3- 飲み会

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「――飲まないの?」  美織の滝川さんロックオン攻撃も落ち着いて、全体的にまったりとした飲み会になってきた頃。  目の前のお皿に残るゴボウチップスを食べようか悩んでいると、その向こうから声を掛けられた。向かいの席に座る滝川さんは、ひたすら生ビールを飲んでいる。  気が付けば、あたしの手元のグラスはカラで、氷も解けて水になっていた。 「お酒強いの?」 「え、あ、普通…かな」  まさか話しかけられるとは思わず、自分のグラスを空なのに持ち上げた。  4月に入って早々に誕生日を迎えて20歳になったあたしは、同じく4月生まれの美織と先日お酒デビューした。2人してそれほど弱くないであろうことは、なんとなく分かって来たところだけれど。 「何か頼みなよ」  と、机の下にあったドリンクメニューを開いて見せてくれる。それを、なぜか緊張しながら受け取り、メニューの文字に視線を滑らせた。向かいから視線を感じて、メニューの文字が一個も頭に入ってこない。  <あれ?いつから観察されてた?> 「さっき何飲んでたっけ。ジントニック?」  自分でも忘れていたお酒を、滝川さんが見て覚えていたことにもびっくりした。  じっと見つめられているのが落ち着かず、メニューから顔を上げる。 「滝川さん…は、ずっと生飲んでますね」 「うん。甘いの飲めない」 「あ、あたしもあんまり得意じゃないです」 「ビールは飲まないの?」 「こないだ初めて飲んだんですけど、なんか頭が痛くなっちゃったんですよね」 「醸造酒が苦手とか?蒸留酒なら体に合うのかも」 「蒸留酒?」  隣の部屋にサラリーマンの団体が来たのか、時々大声で盛り上がっている。一瞬声が聞き取りにくくなって、滝川さんもそれが話しづらいと思ったのか、向かいの席からお誕生日席に移動してきた。  斜め前に、滝川さんの涼し気な顔が近づく。  急な至近距離に一瞬固まったけど、滝川さんはお構いなしで「蒸留酒」と「醸造酒」の違いを説明してくれる。淡々と、でも優しい声色。目の前に来たのをいいことに、滝川さんの手元や口元を観察した。  長くて節ばった指に、綺麗に整えられた爪。少しのゆがみも、過不足もない、ちょうどよい厚みの唇から、時々白い前歯がのぞく。こうあってほしい、という理想をそのまま形にしたような造形に、結局何度となく思った感想が頭に浮かぶ。  <…綺麗な人>  物理的に近くなったことで、なぜか話しやすい印象も受ける。   <…聞いてみようかな>  隣の席の美織は、稜平たちに向かって最近ハマっているドラマについて力説している。  あの、と声を掛けると、滝川さんは返事の代わりにこちらを見てきた。こんな近距離で目が合うのは初めてだ。ガラスみたいな茶色の透き通った瞳が、まともにあたしの目とかち合って思わずドキリとした。 「…初対面じゃないですよね?」  恐る恐る小声で尋ねると、滝川さんは少し気まずそうに視線を泳がせた。  そして、何か考える風に口先を少しだけとがらせる。それを可愛いと思いながらも、滝川さんの反応を黙って待った。  やがてあたしの視線に耐えられなくなったのか、再びこちらを見詰め返してきた。 「うん」  肯定してくれた。――やっぱり、いつものドラッグストアの店員ということには気付いてくれていたんだ。 「やっと客と店員の関係から卒業できると思ったら、どんな顔していいか分からなくて」 「え」 「ずっと話してみたいと思ってて」  思いがけない返事が返ってきた。  「え」と声を発するよりも前に、体が反応した。  口を開けたまま、火が付いたように赤くなったあたしを、今度は滝川さんが「え」という顔で見てくる。 「二人で何話してんの?」  固まった空気を一掃するように、トイレから戻ってきたらしい稜平が、あたしと滝川さんの間に割って入ってきた。 「な、んにもないよ特に。お酒何頼もうかなーって」  慌てて返事をしたが、滝川さんは否定も肯定もせず、ただ冷静にビールグラスを口に運んでいる。あたしを赤面させたセリフなど知らないとでもいうように。  しかも稜平が割って入って狭くなったので、しれっと向かいの壁側に戻っている。  <滝川さんんん!!> 「俺も頼も。つかささっき何飲んでたの」  稜平の至近距離にも、また律儀にどきっとする。滝川さんとは違う、優しくて包み込むような空気。 「…ジントニック」 「ふうん。俺サワーにしようかな」  同じのを頼むのかと思ったら、全然違うドリンクに決めかけている。なんだか緊張が解けて肩の力を抜くと、隣の美織がこちらに声を掛けてきた。 「ねえねえ滝川さん、滝川さんて彼女いないの?」  こちらはだいぶ酔いが回っているらしく、聞きたい放題だ。美織の突然の直球質問に、滝川さんは動じる風もなく、「いないよ」と答えた。 「えーじゃあ、どういう人が好きですか?」  追加の質問に、滝川さんは視線をぐるりと巡らせる。酔っ払いの質問にちゃんと考えてくれるのは優しい。そういえば滝川さんもかなりの杯数を飲んでいるはずだが、全く顔に出ない。  赤ら顔でぼーっとした目の美織や稜平の前で、一人涼し気にビールのグラスを空ける滝川さんは、少し考えた後、真面目な顔で、 「…笑顔が可愛い人」  と答えた。  滝川さんの淡々とした答えに、なぜか美織と稜平が顔を赤くする。  二人の同じような反応に、滝川さんが眉尻を下げて、は、と笑った。今日初めて口を開けて笑っている顔を見た。口角が上がると綺麗な歯並びがのぞく。右の犬歯が少しとがっているのが、めちゃくちゃ可愛かった。 「なんでだよ」  可笑しそうに笑う滝川さんの笑顔に、思わず見とれた。  <…なんか分かるな>  笑顔が可愛いと、人はそれだけで癒される。心が温かくなる。  もっと見ていたくなる。  その思いに見ない振りをして、あたしは手元のおしぼりに視線を落とした。
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