1- 好きと憧れの人

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1- 好きと憧れの人

 神戸から東京に出てきて一番思うのは、美男美女が多いなということだ。  <あ、また来た>  ドラッグストアの自動ドアから入ってきた人に気付き、レジから「いらっしゃいませ」と声を掛けた。  駅前にはドラッグストアもコンビニも複数件あるが、昔からあって店内が広く品揃えも豊富なこの店舗は、特に来客が多く活気があると思う。いくら常連がいると言っても、そうそう人の顔は全員は覚えられないけれど、夕方6時過ぎから7時前の間によく来るあの彼のことは、最初から忘れられなかった。  店員の「いらっしゃいませ」に反応する客はいないので、その彼も当たり前にスルーして目も合わない。あたしはそれをいいことに、視界から消えるまでその彼を観察する。  180センチ以上はありそうな長身で、それだけでも目立ちそうなのに立ち姿まで美しいから、とにかく目を引く。均整のとれたスタイル以上に、クールで表情が読み取れない、綺麗な顔。ぱっと見あたしと同年代に見えるので、多分大学生だと思う。でも、大学生に見えないくらいに所作が落ち着いているから、もしかしたら社会人かもしれない。  <本当に綺麗な人なんだよなぁ>  この店でバイトを始めてから半年以上が経つけれど、接客してみて思うのは本当に色んな人がいるなということ。最初こそ、相手の反応に一々腹を立てたりショックを受けたりして疲れることも多かったけれど、今では一線を引いて接することができるようになったし、人間観察も板についてきた。  だからこれはその人間観察の延長線なんだと思う。 「――iDで」  さっき目で追っていた彼が、水のペットボトルを1本だけ持ってきてレジの台に置いた。  低くて少しハスキーで、でもどこか甘い声色。 「かしこまりました」  と、返事をしながら、ボトルのJANコードををスキャナに通し、レジの決済選択を操作する。  この会話も、この数か月で飽きるほど繰り返してきた内容だった。  彼が水を1本しか買わないことも、決済は必ず電子マネーということも、スマホカバーがシンプルな黒の革製だということも、本当は言われなくても全部覚えている。彼が「iDで」と言う前にボタンで既に決済を選択しているけれど、それは気持ち悪いから気付かれないようにしているけれど。  スマホをレジのパネルにかざして認証されるまでの一瞬、彼の顔を盗み見た。  絵に描いたような綺麗な顎のライン、整いすぎた鼻梁、ガラスみたいに透き通った鳶色の瞳に影を落とす長いまつげ。陶器のようなすべすべの肌。間近で見てもやっぱり美しい。  ピロン、と音がして、レシートがレジから吐き出される。 「レシートは大丈夫です」  と、これもお決まりの言葉を言って、「ありがと」とこちらを見て小さく微笑んでくれる。切れ長の目尻に少しだけ皺が寄って、一瞬人懐っこくも見える。ただの水1本、いつも同じことをしているだけなのに、この人は毎回お礼を言ってくれるのだ。  <丁寧だなぁ>  クールな雰囲気でとっつきにくそうな印象があるせいで、余計に中身とギャップを感じる。  内心でそんなことを思いながら、口では落ち着いて「ありがとうございました」とだけ言う。  次の客の籠をそばに引き寄せながら、これはファン心理みたいなものかな、と自己分析した。ファンなので、お目当ての人が来ると少しだけテンションが上がる。もっと話したいとか、お近づきになりたいとか、そういう感情は持たない。持ってはいけない存在感。  ただ、彼を接客した後はとても気持ちよく仕事ができるので、あたしがここでバイトをしている間はずっとお水を買いに来てほしいなとだけ思う。
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