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たくさんの人に協力してもらって社内に入ることは阻止できた。あとは、帰り道だ。きっと来る。絶対に。
定時に会社を出て辺りを見回す。とりあえず、見える範囲には母はいない。
(早くけりをつけないと、毎日これでは身が持たないわ)
駅に向かって歩き始めると、どこに隠れていたのか突然、母は目の前にあらわれた。
「月葉! あんたいい加減にしてちょうだい」
「お母さん……」
母は額に青筋を立てて怒りの表情をしている。子供の頃、私が一番怖いと思っていた顔だ。
「ずいぶんと恥をかかせてくれたわね。親子なのに警察呼ぶとまで言われて。あんたと同じであんたの上司も常識が無いったら。相手させられて疲れ果てたわ。早くお金を出しなさい。足りないなら下ろしてきて。もう帰って休みたいのよ」
イライラした雰囲気を全身から漂わせているのもいつも通り。こうすれば私が怯えて言うことを聞くと思っているのだ。
「常識が無いのはお母さんのほうだと思うわ」
「な、何ですって?」
「娘の会社に押しかけて大騒ぎして。恥ずかしいのはこっちよ」
「あんた、いつからそんな口きけるようになったのよ!」
「もう、お母さんに対して我慢するのやめたの。今後一切、お母さんには会わないしお金も渡さないわ」
すると母はますます顔を真っ赤にして怒り出す。
「何て親不孝なんだろう! 大学まで出してやったのに、この恩知らず!」
私はわざと大袈裟なため息をついてみせた。
「学費を出してくれたのはお父さん。お母さんじゃない」
「あんたを大きくなるまで育ててやったわよ!」
「ご飯作ってくれてたのもお父さんだし、小学校高学年になってからは私が家事を担ってたよね。お母さんは何もしてなかった。産んでくれたことだけは感謝してるけど、それ以外はマイナスばかりだわ」
「つ、月葉!」
母が右手を振り上げた。平手打ちしようとしているのだ。殴られる、と思った瞬間私は左手を出して母の手を掴んだ。
(……えっ? こんなもの?)
母も、驚いた顔をしていた。こんなにあっさり防がれると思わなかったのだろう。
(急にお母さんが小さく見えてきた……あんなに怖かった人なのに。今なら、言える気がする。私の気持ち)
私は息を深く吸って母の目を見た。私を睨みつけているその目は昔と変わらないのに、なぜか全然怖くない。
「お母さん。私は、ずっと陽菜に比べて可愛くないって言われて辛かった。愛してもらえなくて、離婚の時もあんたはいらないって言われて、自分に価値を見出せなくなってた。でももういい。お母さんの評価なんて必要ない。私の人生にはお母さんは必要ないってわかったの。もう私に関わってこないで」
「こっ、このっ……! 母親にこんな態度を取っていいと思ってるの! こっちこそ、あんたみたいな可愛げのない子はいらない! もう顔も見たくないわ!」
「どうぞ、ご自由に」
それだけ言って母の横をすり抜け、駅へと歩き出した。追いかけてくるかと思って背中に神経を集中していたけれど、それはなかった。
足が震えている。涙も出そうだ。でも私は泣かない。
(言いたいことは言えた。もう母のことは考えるのをやめよう。私は、私を大事にしてくれる人たちを大切にしていく)
お父さん、おばあちゃん、会社の人たち、そして悠李。私にとって必要で、大好きな人たち。
過去と離れ未来が明るくなった気がして、私は顔を上げて駅へと向かった。
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