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私が住んでいる福岡県は、あまり雪が降らない。
降っても積もらない。
子どもの頃は、積もっただけで奇跡だし、小学校の授業は雪遊びに変更になった。
雪だるまだって、土が混ざったものしかできなかったし、雪合戦は石が混じってしまうから禁止だったけど、数センチしか積もっていない雪をかき集めて、小さな雪玉だけでも楽しかった。
小学校の教師になって、子どもたちが雪に歓声をあげているのを見るのも好きだ。
降っただけで、積もると確信して、「かまくらを作るんだ!」だなんて数年に1回ある雪が降るかもしれないそんな寒い日。
私はコロナに感染していた。
日頃の疲れと、急な寒さに体がついていかなかったのだろう。
雪が降れば交通機関が麻痺して、奇跡的に学校が休校になるかもしれないと願ったが、無駄だった。
教室に残された30人の子どもたちのことを考える。
この数日は教頭先生が代わりに授業をしてくれるらしいが、それでも不安だ。
教室というものは教師の王国のようなものであり、個人で多少色が出る。うそ、かなり色が出る。
そこまで適当にはしていないつもりだが、だからといってきっちりとした学級でもない。
復帰したときに、ちゃんとしてなかったって怒られたら嫌だなあなんて思ってしまった。
『コロナになったよ』
ベッドで横になり、母にラインをした。一人暮らしを初めて数年。
ここまで体調が悪いことなんてなかったから、母もびっくりしたスタンプを送ってきた。
ベッドに寝転んで窓を見上げる。
カーテンの隙間から雪がちらちらと降るのが見えた。
積もる気配はまったくないが寒いのには変わりない。
仕事を休むなんて、働いてから初めてだった。
申し訳ないなと思いながら、目を閉じた。
次の日になると熱が出た。嫌だなあと思いながら解熱剤を飲む。
母に
『熱がある』
とラインした。
いつもはすぐに返事が来るのに、珍しく既読もつかなかった。
電話の音で目が覚めた。
珍しいことが続くもんだと電話を取る。
「昨日おばあちゃんが入院している病院から電話があったんだけど、亡くなったんだって」
突然のことで理解ができない。
コロナ禍前から入院したり、施設に入ったり、入院したりを繰り返していた祖母。
もう4年も会っていない。
私が子どもの頃は毎年遊びに行っていたが、直接会話をする機会はもうなかった。
『でも、お葬式には来られないよね。代わりに孫代表として手紙を書いてくれない』
断る理由はない。さて、何を書こうか。
ネットで検索すると故人の思い出を書くことが多いらしい。
孫は私一人で、大変可愛がってもらった思い出はたくさんあるし、思い出すこともできたが、どれがふさわしいのかわからない。
母が入院していたときに代わりに家に来てくれたこと、私は小学2年生で、母がいない寂しさから祖母にわがままを言いまくっていた。
学校が終われば、今まで家で過ごしたいた放課後から変わり、毎日遅くまで友達と公園で遊んでいたし、トイレからテレビが見えるようにとテレビを移動してもらったりしていた。今思えば、とてもとても寂しかったのだ。
一人っ子でずっと母がいた。半年ほど母のいない生活は今でも思い出せば泣いてしまいそうになる。
雪のふる日に、祖母の家で雪合戦をしたこと。
山奥の祖母の家では、私の地域とは比べ物にならないほど雪が降った。一緒に雪合戦をした。作るスピードが追いつかなくて雪を丸めずにそのまま投げつけた。一緒に遊べるくらいだったから、まだ祖母も若かったのだろうか、そもそも何歳だったのかすらよく知らないのだ。
ある日、
「ばあちゃんが死んだら、葬式で、ちょっとでもいいから泣いてね」
と言われたこと。いつだったか、どこだったか、全く覚えていないのに、その言葉だけは覚えている。
私は、うんと頷いたはずだ。
しかし、お葬式にも行くことができない私には、それはできないこと。
こんな約束を守れない孫でいいだろうか。
しばらく考えて、私はスマホに手紙を打ち込んだ。
手紙に書きたいことはたくさんあったし、本当は、泣いてね、の話を書いたほうがいいのかもしれないと思ったけれど、気恥ずかしくてできなかった。
『祖母の葬儀に接し、孫として一言ご挨拶申し上げます。いつかこんな日が来るとは思っていましたが、突然のことでまだ実感がわきません。
本来なら直接お別れを言いたかったのですが、コロナのため会いに行けずにごめんなさい。
おばあちゃんは、たった一人の孫である私を小さい頃から可愛がってくれましたね。
私が小学生の時、おばあちゃん家に帰ってきて一緒に雪だるまを作って遊んだことを昨日のように思い出します。
高校に入学したときも、成人式を迎えたときも、就職したときも、自分のことのように喜んでくれてありがとう。これからの私のこともおばあちゃんに報告したかったけれど、後日ちゃんとお話しにいくね。
私の成長をずっと見守ってくれたおばあちゃん。長い間ご苦労様でした。安らかにお休みください。』
手紙を書き終わり、ラインで母に送る。
『ありがと』
返事を確認した後、私は気恥ずかしいのか、悔しいのかよくわからないまま、ラインの文言を削除した。母からは見えるままになっているが、自分がラインを開くたびに書いたことを思い出したくなかった。
その後、通夜の様子が送られてきた。
遺影の祖母は私の記憶の中のままで、いつの頃の写真だろうかと思う。
あれが最近の写真ならば、私の4年の記憶の中の祖母と今の祖母は変わりなかったということになる。
4年もの歳月がいったいどれくらいの差を生むのか、私にはわからなかった。
それを聞くのも違うと思ったから
『たくさんのお花があって素敵だね』
とだけ送った。
今日も雪が降っている。
雪は溶けたら何になるのだろう。
お葬式では泣けない私の気持ちは涙になって、届いてくれればいいのにと願って。
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