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歩いている間にも、雪は強くなっていった。大粒の雪が、二人の頭に降り積もっていく。風も強くなっていき、二人は身を縮こませながら我が家の方へ向かった。
途中で地下道を通った。この地下道を抜けた先の道を右へ行くと修一の家があり、左へ進むと伸雄の家がある。なので修一の家から伸雄の家までは一本道で行けるのだった。二人の家は距離にして、だいたい五百メートルほどだった。
「この地下道って、昔は音楽がかかってたよな」
「そういえば。いつから流れなくなったんだろう」
この地下道は人が通るとセンサーが反応して音楽が流れる仕掛けになっていた筈だったが、いつからか壊れていたようだ。外よりも、静けさが増した。二人は階段を降りていき、靴音が微かに中で響いた。
階段を降り切って、平らな一直線の通路を歩き出したところで、向こうの入り口の方から足音が聞こえてきた。その足音は普通ではなかった。修一や伸雄が鳴らす硬い靴の音ではなく、何か柔らかい肉のようなものが、ペタペタと地面にくっつくような音だった。
二人は無言で顔を見合わせ、その場に固まった。前方の階段から、人影が降りてきた。背の低い人影は、手に何かを持っていた。
ペタペタと裸足でこちらへ歩いてくるのは、老婆だった。そして老婆が手に持っていたのは、鎖鎌だった。
靴どころか、服すらまともに身に付けていなかった。上半身は裸で、腰の辺りにズタズタに引き裂かれた薄茶色の布のようなものを巻いているだけだった。
皺だらけで、へその辺りまで垂れた長い乳を見せつけながらゆっくりと近づいてくる。目は真っ赤に充血し、睨みつけるような視線を二人に向けている。じゃらじゃらと鎖が擦れる音が聞こえてくる。
修一と伸雄は、頭が真っ白だった。
「逃げよう」
やっとのことで、絞り出すような修一の声が喉から漏れ出た。それを合図に二人は同時に身を翻し、来た道を走って引き返した。階段を二段飛ばしで登る。背後からペタペタと聞こえる足音により、老婆も駆け出していることがわかった。
地上に出ると、そこら中にひらひらと舞う白い雪が視界に飛び込んできた。二人はただ真っ直ぐに視線を向けたまま、無我夢中で駆け続けた。走り続けなければ殺される。修一は白い息を吐きながらそう思った。ほとんど思考が停止した中で、修一の頭では、さっき伸雄が言った裁きの女神、という言葉と、いま二人の背後に迫る老婆を不思議と結びつけていた。あれがもしかして、伸雄のおばあちゃんが死ぬ間際に繰り返していたという、裁きの女神なのか。あんなものが。いや、あれは裁きの女神なんかじゃない。鎖鎌を持ったババアだ。
だいたいあいつは何でこんな真冬に、裸同然の格好でうろついてやがるんだ。あの鎖鎌はなんなんだ。何のために持っているんだ。修一は鎖鎌ババアの殺意をこめたような真っ赤な目を思い出しながら、伸雄との並走を続けた。
「アッ」
と伸雄が呟き、修一がそちらに顔を向けると、まず雪に飛び散る大量の赤い液体が目に入った。それは、伸雄の血だった。
伸雄は肘から先のない自分の右腕を見つめながら、そこに立ち止まってしまった。
少し先で修一も立ち止まり、息を切らしながら振り返る。伸雄の背後に、今の今まで伸雄のものだった肘から先が落ちて雪にはまっていた。地面から生えているように、ちょうど直立していた。そしてその向こうで、鎖鎌ババアは鎖を引っ張り、鎌の部分を手元まで戻している最中だった。
伸雄は茫然自失、失った左腕を見つめたままで動かない。断面から大量の血が溢れていて、修一はそれを見てサッと血の気が引き気を失いそうになった。
鎖鎌ババアは、再び鎖鎌を手に持ち、伸雄目掛けてまた投げ放とうとした。それを見た修一は咄嗟に体が動き、タックルするようにして伸雄を突き飛ばした。鎖鎌をかわすことはできたと思ったが、修一の頬を掠めていたようで、血が雪の上にまたぼたぼたとこぼれる。
駄目だ。このままでは殺される。このババアは一体何が目的なのか、そんな疑問がこのタイミングで一瞬だけ修一の頭に浮かんだが、とにかく今は生きるための選択をしなければならない。修一は、今度は鎖鎌ババアに向けてタックルをかましに行った。今なら、鎌は手元にはない筈だ。
鎖鎌ババアは倒れ、修一が覆い被さった。修一は、鎖鎌ババアの顔面目掛けて思い切り拳を振り下ろした。鎖鎌ババアは殴られながら何か叫んでいたが、歯が無いらしくふにゃふにゃと喚き声が聞こえるだけで何と言っているかはわからなかった。
修一はもう一度鎖鎌ババアの顔を殴る。鼻が変な方向に曲がった。もう一度殴る。口から血がごぼごぼと溢れた。修一の拳からも血が滲み出た。殴られるたびに長い乳も左右に揺れる。
数え切れないくらいに殴り続け、鎖鎌ババアは気を失った。修一も糸が切れたように倒れ込んだ。辺りにはやはり白い雪が舞っていた。
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