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三月の慌ただしい時期に降って湧いたような話だったこともあり、卓都は新社会人になる深春に合わせて、入社時期に間に合うように急いで部屋を借り上げた。
同居ということで、部屋は3LDKの広めのタイプを選んでおいた。
自分の荷物は早々に引越しを終えた。今日はいよいよ、その同居人がやってくる日だった。
顔合わせはもう済んでいたが、その時は父親と再婚相手の春子のことや、これまでの息子たちのお互いの思い出話に花が咲いて、結局のところ深春と二人で話をする機会も殆ど持てずに終わっていた。
(まぁ、話す機会はこれから沢山あるはずだ)
深春の見た目は、身長は卓都より十センチほど低く、細身な身体つきをしていた。顔は母親似なのか、可愛らしく綺麗な男子といえた。
あまり自分からは話さないタイプかもしれない。いや、慣れれば話くらいはするだろうと、卓都は相手にあまり勝手な印象を持たないようにと心掛けた。
《ピンポーン》
マンション入口のインターホンが鳴った。
(着いたか?)
引越し業者が先か、同居人が先かとモニターで確認すると、モニターには深春の姿のみが映し出されていた。
「はい?」
『こんにちは。深春です』
すぐさまエントランスのロックを解除する。
「どうぞ。上がってきて」
『あ、ハイ』
モニターの中の彼は、自動扉の先へと消えていった。モニターにカートを引いた姿が映り込んだ。
卓都は部屋を出て、三階のエレベーターの前で到着を待った。
エレベーターの扉が開くと、リュックを背負い肩にスポーツバックを下げ、カートを引いた深春が出てきた。
「お疲れさん。大荷物で大変だったな」
手に引いていたカートを代わりに持ってやると、深春は素直にお礼を言った。
「ありがとう、お兄さん」
「…お兄さんって、ちょっと照れるな」
まだ呼ばれ慣れないその呼び方に、卓都は妙な違和感を感じた。一人っ子としては『お兄さん』などと言われると、気恥ずかしく思えてしまう。
「あはは。僕は呼べて嬉しいですよ」
お互い一人っ子だから、気持ちはわかる気がした。卓都も兄がいたらと思ったことは、人生において幾度かはあったものだ。
玄関に入ると、まず深春の部屋へと案内した。とりあえずそこに深春の手荷物を置く。
続いて、他の部屋の案内や使い方の説明をして、リビングでひとまず休憩を取らせることにした。近隣の市からの引越しといえど部屋を引き払っての引越しだから、掃除や荷物の梱包もさぞ大変だったことだろう。
「コーヒーでも、飲むか?」
「はい。いただきます」
深春は母親の教育の賜物なのか、すぐさまお礼を言って椅子へと座った。
「で、引越しの荷物はいつ頃届きそうなんだ?」
カップにコーヒーを注ぎながら卓都は問いかけた。
「うん、もうそろそろだと…」
ちょうどその時になって深春のスマホが鳴り出す。
「あ、着いたのかも」
深春は慌てて椅子から立ち上がった。スマホを片手に玄関を出ていく。
(休ませる暇もなかったな)
そう思いながら、卓都も深春を追って部屋を出ることにした。
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