2 環境保護原理主義者、近衛実美

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2 環境保護原理主義者、近衛実美

 近衛実美(このえさねとみ)には雪の降っている光景を見た記憶がない。雪だるまも雪合戦も雪かきも知らずに育った。それはなにも彼だけではなく、2030年付近に生を享けた大半の日本人がそうだったのだ。  温暖化の亢進した2040年代、中緯度以下の地域では厳冬期でも雪を見られなくなっていた。  彼らは子ども時代に雪にまつわる思い出を作れなかったため、しばしば大人たちから憐憫の目で見られたものだ。〈ロスト・スノウ〉世代である彼らは繰り言のように「俺たち/あたしたちが子どものころは、冬になれば雪が降ったもんだ。雪ってのはな――」という決まり文句を毎冬、浴びせられ続けて育った。  大半の子どもたちは興味を示さず、一部の裕福な子どもたちは高緯度地方に連れていってもらって実地検分をし、さらにごく少数の子ども――すなわち近衛実美は、検分した代物を自分たちの住む中緯度地方にも降らせるべく、奮闘することに決めた。  環境保護原理主義者、近衛実美誕生の瞬間であった。  近衛は先祖が旧華族という文句なしの名家の生まれである。生まれてこのかたなにかに不自由したことはなく、教育は無条件で最高品質のものが与えられ、人格を陶冶するために各種武道も修めさせられた。  近衛家の人間は代々霞ヶ関の官僚になるのが習わしだったのであるが、実美は受けてきた教育のすべてをなげうって環境保護運動家を選んだ。すべては幼き日に思い出として刻めなかった雪を降らすために。  幸か不幸か近衛家には財界や政界にメデューサの髪よろしく、無数の人脈が張り巡らされていた。実美はそれらを臆面もなく活用して暗に明に、二酸化炭素の排出を取り締まる方向へ世の中を動かす――。それが彼のやり方であった。  この方法の弱点は、そもそも大した効果がない点である。2050年までにゼロ炭素社会を目指すと政治家に宣言させたり、再生可能エネルギー分野に補助金を出させたり、〈今後政府に優遇される分野〉というインサイダー情報をエサに財界を炭素フリーな方向へ誘導したりと、彼が弄した手練手管は天文学的な数にのぼった。  換言すれば、できることはせいぜいその程度であった。  なにひとつとして根本的な解決にはならなかった。そもそも実現すらしなかった。炭素フリーとはすなわち経済規模の縮小を意味する。ただでさえ少子高齢化や2028年の国債暴落で低空飛行を続ける21世紀中葉の日本が、自発的に二酸化炭素の排出を制限するのは亡国をみずから招きよせるのに等しい。  政治家は口先だけの空手形を切り続け、財界は合法的に炭素税を回避する方法を公認会計士に相談し、国民は誰もが無関心であった。  近衛実美は抜本的な解決方法を探し求めていた。それを講じさえすれば一挙に地球が氷河期に逆戻りするような、インパクトのある方法を。
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