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「俺、異世界転生者なんだよ」
「社長、コーヒーをお注ぎしました」
重厚な机に手を組んで顎を乗せ突然そう言い放った社長に俺は表情を崩さないまま、煎れたてのブラックコーヒーを音を立てる事なくコーヒーソーサーと一緒に彼の前に置いた。
しんと静まった空間。
社長の背後には 階の窓の陽射しが差し込んで光後が差しているように見えた。彼が身に纏っているスーツはオーダーメイドだ。それから右の腕時計は何百万もする代物で、革靴もブランドもの。精悍な顔立ちは彫りが深く、はっきりとした目鼻にキレイな形をした額だ。そこに、後ろに撫で付けてセットした前髪の束が一房額に掛かっていて、それが妙に色っぽさを演出していた。身体は週末ジムに通っている為、鍛えられていてスーツの上からでも、身体つきが良いのが見てわかる。
そんな彼の前で俺はタブレットPCを出して、今日の予定を読み上げる。それはいつものルーチンだった。
「記憶を取り戻したのは、半年前に事故を起こした後なんだが」
話を続ける俺の雇い主兼上司の社長──黒田 愁一を無視する事に俺、花川 流星は決めた。
「12時にステファンジュエリー丸本会長とAMOホテルにてランチ。15時に東京支社を視察。16時に倉持社長とzoomにて会議、19時にはザ・シュラホテルで立食パーティー」
「どうやら俺は今流行りの異世界から転生したようなんだ。一見ヨーロッパのような造りなんだが、文化も地名も違って、俺はそこの皇帝で」
「丸本会長へのプレゼントの花束はホテルに入る前にお渡し致します。あの方は宝石を見慣れていらっしゃるので、そういったプレゼントに弱いです。念の為スイートルームをとってあります。次の予定に余裕で間に合うよう、次の視察時間を遅めました。丸本会長と密談が長引いた場合の事を考えまして、東京視察は他日にズラす事も可能です。先方には伝えてありますので」
「そこで俺は政略結婚で他国から嫁いできた嫁が居るんだ」
しつこいぞ、黒田社長……。
そう心中で毒吐きながら、俺は社長の話を無視し続ける。
「会議資料はまとめてタブレットに送信してあります。立食パーティーには女優の白鷺 玲奈様がゲストとして呼ばれています。彼女は社長に大変興味があられるようでして、彼女へのプレゼントも用意致しました。それからホテルの最上階を取ってあります。プールに入りながら夜景を楽しめます。ホテルの部屋の詳しい内容と白鷺様の出演作品をまとめたものを今社長のタブレットへ送りました」
「その嫁と俺の関係なんだが冷え切っていてだな」
妄想に付き合いきれずも、これは突っ込まないと話が終わらないと感じた俺は、眼鏡のブリッジを上げて彼を見る。
すると、「やっと俺を見たな」とニッと白い歯を見せて笑った。
「……社長。そのお話をいつまで続けるつもりですか?」
実はこの社長の『転生話』は彼が半年前に起こした交通事故の後から聞かされていた。
何をとち狂ったのか、社長はエンジン全開で急カーブでハンドルを切る。そのまま崖に転落。自殺行為の事故を起こしたものの奇跡的に命は助かり、頭を強く打っただけ。
しかし、頭を強く打ったせいで一種の妄想話、つまり『俺は転生者なんだよ』という物語を語り出した。医者曰く、
『一過性のものでしょう』
『いつ戻るかは……人それぞれです。一生語るかもしれません』
『妄想話以外は記憶はハッキリしておりますし、日常生活に問題ないようですので、左程問題はないかと思います』
──いや、問題大ありでしょう。
今まで、漫画なんて読んだ事がない男が最近はやりの転生ものの話をしだすんだぞ。突然『俺転生者なんだよ』とか言い出したら、頭のどっか打ち所悪かったに決まってるよ。
だが、脳スキャンに異常はない。
それから、社長は退院してから女遊びしなくなったんですよ──今まで、女を酷い捨て方をしてきたから、その後のケアまでしていた俺にとったら、すごく有難いんですけども。でも、突然人が変わったように女遊びをしなくなったら、下半身の打ち所悪かったかな、とか思うよ。
退院して仕事に復帰した社長は、本当に何事もなくいつも通りにバリバリ働いた。そこに女遊びがなくなって、ホテルの予約をしないで済むようになるーー筈なのだが、習慣付いてしまったものは、俺の脳と体に染み付いてしまっているようで、黒田社長が女性とアポを取ると流れでホテルを予約してしまう。
(予約しても、女の子と外泊しないんだよな)
やはり、頭だけじゃなく下半身を強く殴打されているのではないか。
まぁ、黒田社長が女の子と関係を持たなくなったおかげで、こっぴどく捨てられる女の子がいなくなり、今まで俺がしていた彼女たちの心のケアをする必要がなくなって、すこぶる平和だ。
しかし、平和の代わり仕事の合間、時間が空いたタイミングで彼は『転生話』を俺へするようになった。
今までスルーしてきたのだが、もうかれこれ彼が退院してからそれをあしらうのも疲れてきた。一度話を聞いたら満足するだろう。そして、彼は二度とこの妄想話をしなくなるかもしれない。
「花川が聞いてくれるまでだ」
俺の予想は当たったみたいだ。
ならば、妄想話に乗ってあげようじゃないか。
「分かりました。聞きましょう」
そう言うと、社長が目を細くして嬉しそうに笑う。イケメン黒田社長の素の笑顔を近くで見れるって、レアだな。
「座っていいぞ」
社長から許しを得て、俺は座り心地が良い黒革のソファーへ腰を下ろす。
注いであげたコーヒーと一緒に俺の前に社長は座る。彼は湯気が立つコーヒーに口を付けて、コーヒーソーサーの上に戻すとゆっくりと語り出した。
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