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「嬢ちゃんも大変だな」
「あら、どうして?」
リダールの執務室でその仕事っぷりを眺めていると、書類を運んできたオルヴァンに声をかけられたわ。
執務室にはオルヴァン以外の部下も出入りしていて、リダールはあれやこれやと指示を出したり、書類にペンを走らせたりしている。リダールが魔王として仕事をしているのは初めて見るけれど、あんな風に凛とした顔をしているのもかっこよくていいわ。
思わず崩れてしまう顔を押さえながらリダールを見ていると、オルヴァンが椅子を引っ張ってきて、私の隣に腰を下ろした。そして、声を潜めて内緒話を始める。
「あいつ、随分嬢ちゃんに入れ込んでるだろ。相手をするの、面倒じゃねぇか?」
お仕事は良いのかしら、と思ったけれど、リダールがちらりとこちらを見ても何も言わないから、大丈夫なのでしょう。私もひそひそと囁き返したわ。
「そんなことないわ。リダールといられるのは嬉しいもの」
「まあリダールが絶世の美人であることは間違いないがな。嬢ちゃんとお似合いだ」
「顔で選んだわけではないけれど、ありがとう」
でもなあ、とオルヴァンは言葉を濁す。首を傾げて続きを待つと、さらに小さな声が聞こえてきた。
「その入れ込みようが、尋常じゃない、っていうか……」
「そうかしら」
確かにリダールは私を愛してくれるけれど、そんな風に感じたことはないわ。他の恋人同士がどんなものかを知らないから、確実なことは言えないけれど。
「だいたい、女の子の寝室に行きすぎだろ」
「ほかに会える場所がないから仕方ないわ」
「嬢ちゃん一人のために世界征服するとか言い出すし」
「あれには私も、ちょっとびっくりしたわね」
「……リダールのやつ、いつもなんて言っているか知ってるか?」
僅かに低くなった声に、視線をオルヴァンへ向けたわ。
「嬢ちゃんのために死ぬなら、幸せなんだと」
「そう」
どこか心配そうな、必死なオルヴァンに微笑みかける。
「私とリダール、同じことを考えているのね」
「……は」
「ふふ、これもお揃いなんて、嬉しいわ」
少しの間固まっていたオルヴァンは、椅子の背もたれに体を預けて深く息を吐いた。それから髪をかき上げて、呆れたように笑う。何かおかしなことを言ったかしら。
「いや、俺の杞憂だったみてぇだな。やっぱお似合いだ、嬢ちゃんたち」
「ありがとう、オルヴァン」
彼が何を心配していたのかは知らないけれど、憂いが晴れたようで良かったわ。
オルヴァンはその後しばらく、黙ったままリダールの姿を眺めていた。
先代の魔王。自らリダールに王位を明け渡した王様。私の知っている国王は、例えばお父様なら、そんなことは絶対にしないわ。死ぬまで玉座にしがみつくでしょう。
必ず最強が選ばれる魔族の王は、いったいどんな気分で玉座に座るのかしら。
「……リダールは」
ぽつり、と語られるのは、私の知らないリダールの話。
「十三で城に来た時、夢を叶えるために魔王になりたい、って俺に言ったんだ。十三のガキが、現役の魔王にだぜ? 笑っちまったが……、多分、将来的にはそうなるだろうなとも思ったな。何せ、その時点で強さは俺と同等レベルだった」
「さすがね」
「その時だったら僅差で俺が勝ってただろうな。でもま、才能ってのは残酷なもんだ。俺がちょっと指南しただけですぐに超えていきやがった。いつか来るとは分かってたが、まあそんときゃ衝撃だったな」
そう言う割に、オルヴァンの顔は穏やかだわ。
「それが、初恋の女の子のためだってんだから、呆れたぜ。何の苦労も知らねぇ坊ちゃんが、一人の女のために魔王の座まで駆け上がってった。しかも、相手はパンデリオの聖女じゃねえか。……嬢ちゃんには悪いが、最初は反対されまくってたんだぜ」
それはそうでしょうね。魔族殺しの聖女なんて、歓迎される訳がないわ。
「リダールが少しずつ変えてったんだ。今じゃ、国中が嬢ちゃんの境遇に同情してる。同じ魔族だってのに、道具みたいにこき使われてたんだ。だいたい、嬢ちゃんが相手にしてたのは、国境近くに住んでる死刑囚だけだった」
「……それでも、私がやったのは許されないことよ」
「それでも、俺たちは嬢ちゃんを受け入れた。だからちゃんと、リダールの傍についててやってくれよ。あいつは間違いなく最強の魔族だが、王としちゃまだまだ未熟だからな」
オルヴァンの目はどこまでも優しい。見ていられなくなって、咄嗟に俯いた。
リダールだけじゃない、魔族の皆は私を受け入れてくれているんだわ。ラートルに突き立てられた心の棘が、すうっと消えていくみたい。
頑張って笑顔を作って、オルヴァンに向けた。
「ありがとう、本当に……。心から」
目を瞠ったオルヴァンは、ニッと笑って手を伸ばしてくる。その手が私の頭に触れる前に、オルヴァンはその場から消えた。
「セレアに触れるのを許した覚えはない」
リダールがいつの間にかこっちに指先を向けていたわ。むすっとした顔の向こうで、部屋の扉がバンバンと叩かれている。
「リダール!! てめえ部屋に入れやがれっ!」
どんだけ嫉妬深いんだ!! なんて絶叫しているオルヴァンに、思わず声を上げて笑っちゃったわ。
「リダール。ここはとってもいい国ね」
ちょっとだけ扉の方を睨んでから、リダールはため息をついて微笑んだ。
「そうだろう?」
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