第26話 ルシオンの夢

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 ぱちり、と目を開く。暗い視界に写ったのは石の壁だった。腕を動かすと、じゃらりと鎖の音。ルシオンは魔王城の牢にいた。ここに入れられてから、断続的な頭痛と発熱がルシオンを襲っていた。そのせいか、思考があちこちに散らばって纏まらない。  どこから歯車が狂ったのだろうか。魔石を盗まれた時? 魔族の国にいる人間を助けようとした時? ルシオンには分からない。  ただ、あの空き倉庫で、セレステアが魔王に抱きついた瞬間だけが、ずっと頭の中で回り続けている。  今までに見たことのないような顔をしていた。どこか恍惚とした、陶酔しきった顔で魔王を見上げていた。それを思い出すたびに、ルシオンの腹の底でどす黒い怒りが渦を巻く。  いったいどうやってセレステアを洗脳したのか。旅の途中、セレステアにおかしなところはなかった。城にいた時と同じように、ルシオンに微笑み、優しく導いてくれていた。  魔王リダール。なんと厄介な相手だろう。聖女の力があまりにも強力だから、卑怯な方法を取ったのだ。  そして、そんな相手にあっさりと屈したカリオとクシェも許せなかった。やはりあの二人は、この旅に必要なかったのだ。どうにかして自分だけでもここを抜け出し、セレステアを助けに行かなければ。  セレステアを奪われた瞬間が忘れられない。怒りが、収まらない。 ――ルシオン。私、初めて会った時から、あなたのことが嫌いだったわ。  最後に聞いた彼女の言葉が耳の奥で木霊する。耐え切れずに腕を振り回した。じゃらじゃらと鎖が鳴って、ルシオンの苛立ちと頭痛を増幅させる。  これほどの怒りは生まれて初めてだった。憎くて憎くて、憎くて仕方がない。  衝動のままに、頭を壁に叩きつける。頭痛と熱が紛れる気がした。歯ぎしりしながら、何度も額を打ち付ける。何度も、何度も。  必ずあの魔王を殺す。そしてセレステアを取り戻す。そうでなくてはならない。それが当然なのだ。あるべき姿だ。 「セレステアは、僕の物……!」  ひと際強く頭をぶつけたその時、轟音と共に壁が崩れ落ちた。堅牢に組み上げられたはずの石壁が、だ。  呆然と崩れた壁を見つめていると、舞い上がった土埃の向こうから声がした。 「な、なんだというのですか」  どこか聞き覚えのある声に、ルシオンは目を細める。いつの間にか体の不調が気にならなくなっていた。 「お前は……」 「勇、者? 一体何がどうなって……、え、頭突きで壁を破ったのですか? この牢の壁を?」  隣の牢に繋がれていたのは、クシェ誘拐を企てた魔王の元側近ラートルだった。あまりルシオンの印象には残っていない。強いて言えば、魔王に叩きのめされていた男、というくらいだ。  そのラートルは質素な囚人服を着て、両手に大仰な枷が嵌められていた。顔もやつれている気がするが、それよりも生気のない目が彼を死人のように見せていた。 「額、血が出ていますよ」  言われて、ルシオンは思わず額を撫でた。ぬるりとした感触に、初めて鈍い痛みを覚える。 「はあ、呆れたものです。どうせ聖女を取られて怒り狂っているのでしょうが、ここに捕まった以上、お互いにどうしようも……」  何やらぶつぶつと呟いていたラートルが、突然ルシオンを見つめて言葉を切った。ゆっくりと目を見開いて、元側近は「ふは」と笑い声を零す。 「ふ、はっはは! まさか、ここに来て運が向いてこようとは!」  気味の悪さにルシオンが身を引いたが、ラートルは気にも留めずににんまりと笑った。 「勇者ルシオン。私の話を聞いてくれませんか」 「馬鹿なことを言わないでくれ。誰が魔族の話なんか聞くものか」 「魔族である私が、何故魔王に牙を剥いたのか、興味ありませんか?」  ルシオンは虚を突かれて黙り込んだ。そこまで深く、魔族側の事情を考えたことはなかった。 「本当はね、私は人間だったのですよ」 「……なんだって?」  ルシオンは、それがラートルの嘘だとは気づかない。なぜならルシオンは、魔族のことを何も知らないからだ。そして今は、その間違いを正してくれる人も、傍にいない。 「ほら、あるでしょう。魔族化の呪いが。私はあの呪いの実験体なんですよ」  ぺらぺらと口から出まかせを並べ立てるラートル。ルシオンは困惑しながらも、それを信じた。 「だから、魔王を倒そうと?」 「ええ。頑張って側近の立場まで上り詰めたのですが、あなたも知っての通り失敗しましたよ。過激派を操るのも、苦労したというのに……」 「そうだったのか……」  もともと深く考える質でもないルシオンは、簡単に同情の念を抱く。魔族は殺し、人間は助けなければ。それこそ英雄の振る舞いだろう。ただその一心で、ルシオンはラートルに手を差し伸べる。 「ならば、僕と一緒にここから出よう」 「願ってもないことです。ですが、この枷。これは魔力を封じるための物なのです。元は人間と言えど、今の私は魔族と同じ体。これを外さなければ、何もできません」 「鍵がどこにあるのか、分かる?」 「おそらくは看守が。けれどあなたなら、壊せるのではありませんか?」  両腕を持ち上げて突き出したラートルは、目を光らせて笑う。 「真の勇者として目覚めたルシオン様ならば、きっと」  真の勇者。ああ、もしや、愛する者の危機に覚醒したのだろうか。今まで眠っていた力が呼び覚まされたのだろうか。  ルシオンは確信した。やはり自分こそが、世界の頂点に立つに相応しいのだと。  ルシオンの明るい未来は、翳ってなどいない。英雄に試練はつきものだ。これはきっと、最後の壁だ。セレステアを救い出し、魔王を倒すために立ち上がらなければ。  ラートルに促されるまま、自分の拘束を引きちぎる。鉄製の鎖はいとも容易くバラバラになった。  ラートルの枷も素手で叩き壊し、魔法を使えるようにしてやる。 「魔法を使うのは嫌かもしれないけど……」 「いえいえ、勇者様のお役に立てるのなら、なんてことありませんよ」 「ごめん、頼りになるよ。さて、それじゃあ行こうか」  ルシオンは意気揚々と、石壁に向かって拳を振り上げた。
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