第28話 故郷への帰還

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 私は軽やかに壇上へ上がった。こうして向き合うと、ルシオンの変化がよく分かるわ。体内で魔力が渦を巻いている。彼は間違いなく、魔族化しているわ。  下で何事か喚こうとしたラートルを、カリオとクシェが抑えている。ほかの人たちはどうしたらいいか分からないみたいで、カリオたちを止めようとはしない。戸惑う彼らをいいことに、ルシオンににっこりと笑いかけた。  それだけでほわほわと嬉しそうにするルシオンに、告げる。 「あなたを止めに来たわ、ルシオン」 「止める?」  何を言われているのか分からなかったのか、ほわほわのまま首を傾げるルシオン。私たちの会話が、魔道具を通して広場に、王都に響き渡る。 「無意味な争いを生み出そうとする、あなたを」  目を丸くしたルシオンは、すぐに痛ましそうな顔で私を見返してきた。 「セレステア、やっぱり君は操られてるんだよ。今僕が、助けてあげるから」  ざわつく兵士たちの視線を浴びて、まっすぐルシオンを見据える。  堂々とするのよ。魔王に洗脳された聖女という、ルシオンの仕込んだ状況をひっくり返すんだから。 「勇者ルシオン。大切な話をする前に、まず、あなたに謝罪しなければならないわ」 「謝罪?」 「ええ。世間知らずのあなたに、身の丈に合わない夢を見せて振り回した、その謝罪を」  本当はお父様が謝るべきなのでしょうけれど、あの人は絶対にそんなことをしない。そして私も、ルシオンを少なからず利用したわ。  僅かに顔を歪めたルシオンに、私は深く、頭を下げた。 「お父様に、私とあなたを結婚させるつもりなんて無かったわ。それどころか、討伐作戦の実行後、勇者に選ばれた人が生きているとも、思っていなかった。魔王と戦って勇者が死ねばそれでよし、もし帰ってきたとしても、何か理由を付けて殺されていたでしょう。……たった一人の王女を、平民と結婚させるはず、ないもの」  まったく、酷い話よね。お父様が求めていたのは、魔王を倒す英雄などではなく、聖女の盾になる人間だったのよ。カリオや騎士たちを選抜に出さなかった理由の一つには、これもあると思っているわ。だって下手に生き残ってしまえば、身分や立場がある彼ら相手に、約束を果たさない訳にはいかなくなるもの。  勇者が私の盾になって死ねば、結婚の約束は無意味になる。万が一生き残ったとして、戦いの怪我が元で死んでしまったとかなんとか言って、こっそり殺すつもりだった。我が父ながら、なんて残酷なことを考えるのかしら。  絶句するルシオンに、生暖かい視線がたくさん向けられる。この城で働き、お父様の人となりを知っている者たちは、うすうす察していたわ。お父様は私にも本心を口にしなかったけれど、何を考えているかなんて丸わかりだった。  浅はかで馬鹿々々しい、けれどルシオンにしてみれば冗談では済まされない企み。自分勝手なお父様の被害者という意味では、私とルシオンは仲間ね。 「叶いもしない夢を見せて、あなたをここまで振り回した。お父様の考えを察していながら、私もあなたの勘違いを否定しなかったわ。私の目的を果たすために。だから、ごめんなさい。心から謝罪します。ルシオン、あなたの人生を、私たちがめちゃくちゃにしたのよ」  選抜試合になど出ずに、ずっと村で暮らしていれば。ルシオンにはそれなりに幸せな未来が待っていたのでしょう。もしかすると、クシェには災難な未来かもしれないけれど。  それを奪ったのは、私たちよ。お父様の馬鹿な計画に、私も乗っかったわ。 「な……ん、それは、どういう……」  理解できない、というより、理解したくない、という顔をしているルシオン。私はゆっくりと、言葉を紡いだ。 「あなたは、英雄になれないのよ。ルシオン」  勇者として祭り上げられて、叶わない希望に振り回され、挙句に死を望まれた若者。哀れだと思うわ。お父様も私も自分勝手ね。  でも、ルシオンはただ可哀想なだけの人じゃないわ。クシェに対する仕打ちを忘れたとは言わせない。魔族を皆殺しにするのだと、息巻いていた姿を見ているのよ。  ルシオン。あなたは人の上に立てる器じゃない。 「私が、聖女に相応しくないように。あなたはあの村から出てはいけなかったの」  ルシオンはすべての表情を失くした。  耳に痛いほどの沈黙が、広場を包む。あんなにたくさんの兵士がいるのに、武具の微かな金属音さえ聞こえないわ。  息を呑んで皆が見守る中、ルシオンはぼそりと呟く。 「僕は……、魔王を倒して、英雄に……。そして、セレステアと」  消えかけている幻想にしがみつく姿こそ、いっそ哀れだわ。 「あなたが魔王を……、リダールを倒したとして、私はリダールと一緒に行くだけよ。私は聖女なんかじゃなくて、この国の王女という立場も捨てて、魔族として生きることを選んだのだから」 「ちがう……、違う、違う違う、違うッ! なんで二人揃って同じことを言うんだ! 僕は勇者なんだっ!」  ルシオンは激しく頭を振り、足を踏み鳴らす。子供が癇癪を起しているみたい。だけどそんな可愛いものじゃない。  扱い方を知らない魔力が、歪な形で膨れ上がる。ぐずる赤ん坊と同じ、魔力の暴走よ。 「セレステアは、僕の物だ! 僕の物なんだ……!」  咄嗟に魔法で障壁を張ろうとして、後ろから抱きしめられた。 「リダール!」  私を庇うように半身を翻し、リダールはさっと手を払った。半透明に輝く壁が、私だけでなく兵士たちをも守るように出現する。  直後、暴走した魔力が吹き荒れる暴風となって、リダールの障壁に衝突した。障壁は一瞬だけたわみ、魔力をルシオン本人へと跳ね返す。 「ぅぐ、あぁっ!」  演壇の上からルシオンが吹き飛ばされて、地面に転がった。 「ありがとう、リダール」 「怪我はないか、セレア?」 「ええ。リダールが守ってくれたもの」  体を強化しているルシオンは、すぐに飛び起きてこちらを睨みつけてくる。腰に提げていた真新しい剣を抜き放ち、私の隣に立つリダールに突き付けた。 「セレステアから離れろ、魔王!」 「お前はそればかりだな」 「うるさいうるさいうるさい!! セレステアが僕に酷いことを言うのは、全部お前が操っているからだろう!」  どこまでも自分中心でしか考えられないのかしら。あまりにも幼稚な言葉に、思わず笑ってしまったわ。 「言ったでしょう、ルシオン。私はあなたを利用したことは申し訳なく思うけれど、感情は別よ。私は、あなたが大嫌いなの。リダールを選び、ルシオンを選ばないのは、私自身の意思よ」 「そんな訳がない、セレステアは僕のことが好きなんだ!」  ルシオンがそう叫んだ瞬間に、リダールがものすごい形相になったわ。 「セレアは俺のものだ。そして、俺はセレアのものだ! 誰が何と言おうと、これだけは譲らない! 俺がセレアを幸せにするんだ、そのために魔王になったのだから!」  ああ、こんな場面なのに、嬉しくって仕方ないわ。リダールが私を愛してくれている、それが分かるから。思わず微笑んだら、それがルシオンの癇に障ったみたい。 「なぜ、なぜそんな顔をする……! セレステアは僕だけを見て、僕にだけ笑っていればいいんだ!」  下段に剣を構え、こちらが壇上にいることも構わず突っ込んできたルシオン。リダールは障壁を作り出そうとして――、ふと顔を強張らせた。 「セレア、下がれ!」  横合いで魔力が爆発する。カリオたちに抑えられていたはずのラートルが、いつの間にか立ち上がってこちらに手を向けていた。 「グラエス・フルク!」  氷の奔流が押し寄せてきた。うねる氷の流れを足場にして、ルシオンが高く飛び上がる。リダールが空中から取り出した光の剣と、ルシオンの剣が交差した。 「カリオ様!」  クシェの叫び声に視線を下ろすと、ラートルの作り出した氷にカリオが閉じ込められつつある。 「く……っ」 「カリオ!」  リダールがルシオンを再び跳ね返すのと同時に、私がラートルの魔法から魔力を奪い、氷を消失させる。解放されたカリオにクシェが駆け寄ったのを確認して、改めてルシオンとラートルに向き直った。 「僕の邪魔をするな!」 「はあ。邪魔ではなく援護ですよ、ルシオン様」 「全部僕が倒すんだ! あの魔王も、鬱陶しいカリオも、面倒なクシェも! お前は手を出すな!」  本当に救いようがない。できることなら話し合いを、と思ったけれど、ルシオンがこれでは不可能だわ。 「……カリオ、クシェ。ラートルの相手は任せるぞ」 「はっ。もう二度と遅れは取りません!」 「もちろんですよ! こいつへの恨みも忘れてないんだから!」  壇上へ上がってくるルシオンから目を逸らさず、リダールは二人に指示を出した。カリオとクシェは意気揚々とラートルの前に立つ。  そして私たちも、ルシオンの殺意に塗れた視線を受け止めた。 「お前だけは絶対に殺す……! 魔王!」  自分の妄想に憑りつかれ、ここまで狂ってしまったルシオン。それを増長させたのは私たちなのだから、ちゃんと止めないといけないわ。  まるで飢えた獣のようにぎらついた顔をするルシオンを前に、リダールは私を背後に庇う。 「そこで見ていてくれ、セレア。何も心配することはない」  喉が裂けんばかりのルシオンの咆哮が、開戦の合図だった。
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