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情けない悲鳴が部屋の外から聞こえてきて、私はまったくもって爽やかじゃない目覚めを迎えた。せっかくいい夢を見ていたのに、台無しよ。
ベッドから起き出して、そっと扉に近寄る。さっきの悲鳴、勇者の声だったのだけど何があったのかしら。
やがて静かな足音が聞こえてきて、扉がノックされた。
「失礼いたします、姫様。お目覚めでいらっしゃいますか?」
「カリオですか。はい、起きていますわ」
「申し訳ございません。ルシオン殿がトラブルを起こしたようです。危険はございませんので、姫様はまだゆっくりなさってください」
やっぱりルシオンか。カリオには聞こえないようにため息をついて、こちら側から扉を叩いた。
「いえ、わたくしも向かいます。少し待っていてください」
しかし、と渋るカリオを無視して、着たままだったドレスを脱ぎ捨て、膝下丈のスカートとブラウスに着替える。その上に軽い外套も羽織った。これでも運動に適しているとは言い難いけれど、足に纏わりつくドレスよりはマシでしょう。
乱れた銀髪を手で整えてから、扉を開けた。声の通りに渋い顔をしているカリオに、ちょっとだけ笑ってしまった。
「危険はないのでしょう? でしたら、構いませんよね?」
「……私の後ろから、出ないでくださいね」
しっかりと腰に長剣を佩いたカリオを先頭に、数人の兵士を伴って宿を出る。騒ぎの元へ近づくにつれ、知らない女の子の声が聞こえてきたわ。合間にルシオンの声も挟まっているけれど、どうやら女の子の勢いに押されてたじたじになっている様子。
しっかりしなさいよ、仮にも勇者でしょう。
ちょっと呆れながらも、ルシオンたちの周囲を囲んでいる兵士に道を開けてもらった。
「おはようございます、ルシオン様。いったいどうなされたのですか?」
振り向いたルシオンが、ばつの悪そうな顔で頭を下げる。そんな彼と派手に言い争っていた少女が、はっとして両膝をつく平民の敬礼をした。茶色の髪を高い位置で一つに結った、可愛らしい子だ。ルシオンと違って堂々としている彼女の目には、何故かめらめらと炎が燃え盛っている。えっと、すごく睨まれてる、わね?
「ええと、僕の幼馴染で、クシェといいます。僕のことを追いかけてきたみたいで……。すみません」
「ルシオン! 聖女様になんて口の利き方をしてるの!」
クシェはルシオンの膝を拳でたたき、私に向かって平身低頭した。
「申し訳ありません、聖女様。ですが、ルシオンはこの通り、剣の腕だけで他に取り柄もありません。幼馴染として、聖女様にお仕えできるか心配で……」
そういう割に、私に向けてくる敵意はなんなのかしら。カリオが警戒しているのも頷ける。ルシオンは特に気にしていないようだけれど。
「クシェは心配性だよ。僕だって勇者として選ばれたからには、しっかりと勤めを果たすさ」
「あたしがいなきゃ、なーんにもできないくせに!」
「大丈夫だってば」
おや? おやおや?
私はぱちくりと目を瞬いた。
「じゃあご飯は作れるの? 服の洗濯は? 戦うこと以外にできること、言ってみてよ!」
「……えっと」
「あるの?」
「ない、です」
「ほら見なさい!」
夫婦漫才かしら?
一転して呆れ顔になったカリオが、咳払いで注意を引いた。
「分かった、分かったから。ルシオン殿の家事スキルはともかくとして、それがルシオン殿を襲う理由にはならないだろう」
「襲う?」
思わず口をはさんでしまった。襲ったの? 何をしているの?
カリオは掌でクシェを示す。
「彼女は先ほど、ルシオン殿の部屋に窓から侵入したのです」
「まあ。兵士は誰もそれを見ておりませんの?」
「姫様の部屋に護衛は付けておりましたが、私とルシオン殿にその必要はないと判断しましたので」
それでも、宿の周辺に兵士はいたはず。それを掻い潜り、目的の部屋に潜り込むまで見つからなかったのだから、その度胸と実力は本物だわ。
私は素直に感心してしまったが、カリオはきつく兵士たちを睨みつけている。青い顔をしているのはきっと、その時間に護衛に当たっていた兵士でしょう。選抜大会を勝ち抜いた勇者の部屋にただの女の子が忍び込むなんて、普通は考えないわよね。
「すごいですわね。クシェさん、とおっしゃったかしら」
クシェは私の方を見て、突然髪と同じ茶色の目を目をきらめかせた。
「聖女様! どうか、お願いがございます!」
「は、はい。なんでしょうか」
あれ、何故かしら。嫌な予感がするわ。
なんというか、ルシオンとそっくりの表情をしている。勢いの良さというか、前向きな感じが。
「あたしも、魔王討伐の旅に連れて行ってはもらえませんか!?」
反射的にだと思うけれど、私の隣でカリオが首を振った。さすがのルシオンもぎょっとしている。
まさかそんなことを言い出すとは思わなかったから、私も思わず「えぇー……」と素に近い声を出してしまった。危ない危ない。
「ど、どうしてそのような? これはとても危険な旅です。守るべき国民を連れて行くことなどできませんわ」
「あたしは魔術師です。魔術が使えます。きっとお役に立って見せます! どうかお願いします!」
そう言ってクシェは、腰の後ろから短い杖を取り出した。手作り感溢れる木の杖だけど、手元の柄に当たる部分に嵌め込まれているのはなかなか立派な桃色の魔石だ。純粋な魔力の塊である魔石は、純度が高く、そしてサイズ が大きいほど内包する魔力が高い。あれが使いこなせるなら、魔術師としての技量はそれなりのはず。
私も城で魔術師たちから指導を受けていたから、一応自分の杖がある。嵌めてあるのはクシェのものより一回り大きな黒い魔石で、杖の材質は象牙だけれど。こんなところにお金をかけたところで、どうせ私は魔術なんてほとんど使わないのに。
ふむ、と考えて、カリオを見る。私と同じようにクシェの杖を見ていたカリオは、眉間に皺を刻んで彼女に向き直った。
「ルシオン殿の部屋に侵入した時、魔術を使ったか?」
「はい、姿を隠す魔術を」
「ほかにはどんな魔術が使える?」
「基礎的な魔術は一通り。あとは独学ですが、攻撃系や補助系の魔術もいくつか使えます」
独学っていうのがちょっと難点だけど、ルシオンの幼馴染なら彼女も辺境の村出身。魔術を教えてくれる人もそういないでしょう。そう考えると、むしろクシェは才能のある部類じゃないかしら。
ちなみに、魔族の扱う魔法と、人間が使う魔術に大きな違いはない。魔族は自分で魔力を生み出すことができるけど、魔力を『生成』『保持』できない人間は魔石などの媒体から借りなければいけないの。
呼び名が違うのは、多分魔族と人間は違うのだとアピール したいだけ。それが代々の魔術師の総意なのだとしたら、すごく愚かなことだと思うわ。
「クシェの魔術はすごいですよ。村でも男たちに交じって、魔獣の駆除に参加してました」
ルシオンの言葉もあって、一度クシェの魔術を見せてもらうことになった。
攻撃系としては一番基本的で簡単な、炎を生み出す魔術。魔術師たちが訓練で使うような的なんてないから、対象はその辺の石っころよ。
カリオが村のはずれで拾ってきた拳大の石を前に、クシェは大きく深呼吸する。そして杖の先端を石に向け、小さく呟いた。
「カロル・イグニ」
一瞬で石が炎に包まれる。クシェがさっと杖を振り払うと炎は消えたが、燃やされた石はほんの数秒だけでドロドロに溶けていた。だというのに、周りの地面には焦げた跡すら見当たらない。
思った以上の実力に、私もカリオも目を丸くして顔を見合わせた。魔術の威力も、そのコントロールも完璧。こんな逸材が辺境で生まれていたなんて、王城の魔術師たちが知ったら地団太を踏んで悔しがるわ。
というかルシオンやクシェを生み出した村、いったいどうなってるのかしら。超人が多くない?
「……実力は確かなようです。ですが、命の危険が伴うことに変わりありません。私は反対いたします、姫様」
カリオは渋い顔をして意見を口にした。戦力になるかも、とは思ったみたい。
もちろん、カリオはクシェが私に敵意を持っていることにも気づいている。不穏の種はできるだけ排除したいのでしょう。そう思うなら、まずルシオンと和解してくれって話だけれど。
「そんな……」
クシェは悲痛な顔をしてルシオンを見た。どこか必死なその様子に、当のルシオンは全然気付いてなさそうね。
「そう、ですね」
私はクシェに近づいて、杖を持ったままの手を両手でぎゅっと握った。
「それでは、ご一緒してくださいますか?」
「姫様!?」
慌てふためくカリオを無視して、私は続ける。
「幼馴染のため、ひいてはこの国のため。ここまでできる方はなかなかいらっしゃいませんわ。その覚悟が本物だというのなら、あなたの同行を許可しましょう」
どう見たってクシェはルシオンに恋をしている。だから私が嫌いなのよ。自国の王女を敵に回すことも厭わない上に、敵国への潜入について来ようなんて、恋の力ってすごいわ。
恋人について国を裏切ろうとしている私が言えたことじゃないかしら?
クシェを仲間にすれば、きっとトラブルも増えるでしょう。けれど彼女がいれば、ルシオンの相手をしてくれるかもしれない。
正直、幼い頃からずっと一緒だったカリオはともかく、ルシオンと旅をすることには少なからず抵抗があった。あっちは私と結婚する気満々だから、やたらと距離が近い時があるし。それをクシェが阻止してくれるなら、私としてもありがたい。
それに、旅のお供に同性がいないのもちょっと嫌だった。私のことを好いていないとはいえ、女の子もいてくれた方がいい。
思惑はほかにもある。そもそも、この旅の目的は魔族の国を見て回ることだ。勇者に立候補するくらいに魔族を嫌っている人が、魔族の本当の姿を見てどう思うのか。私はそれが知りたい。何かが大きく変わるとも、思えないけれど。
だから、カリオとルシオンだけじゃなくて、ほかの人の意見が聞けるのはありがたいわ。
リダールのところに行ったら、クシェのことはちゃんと保護してもらえるように伝えなきゃ。彼女が望んだとはいえ、私の我が儘で連れて行くようなものなんだから。
「あ、ありがとうございます、聖女様!」
「いいんですか、ひめさ……、殿下」
飛び跳ねて喜ぶクシェと、私に呼びかけようとしてカリオに睨まれ、呼び方を正すルシオン。本心はすっかり隠して、私はにっこりと微笑んだ。
「魔術師が同行してくださるのは、とても助かりますわ。ですが危険があることに変わりはありませんから、ルシオン様がしっかりとお守りくださいませ。カリオも、それでいいですね?」
「……姫様が、そうおっしゃるならば」
納得していない風情のカリオだったけれど、私が念押しすると引き下がる。
「それでは、クシェさん。これからよろしくお願いしますわね」
「はいっ、聖女様!」
「他人行儀な呼び方はやめてくださいな。セレステアとお呼びくださいまし」
「そんな、恐れ多いです……!」
「では、カリオと同じように姫様、と」
「は、はい……。姫様」
少しだけ緊張したように顔を赤らめるクシェに、私は小さく笑った。
「わたくしたち、仲良くなれそうな気がいたしますわ」
本当に、何となくだけど。そうなるといいな、という願望も込めて、そう言ってみた。クシェにはちょっと呆れたような目をされたけど、笑い返してくれたから、今はまだこれでいいわ。
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