雪の思い出

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「人生って、夢や希望を追い求めるにはあまりにも短いんだ。けれど嘆いて過ごすには途方もなく長いんじゃないかな」 天使になった彼女の言葉には、有無を言わさない説得力がある。長い人生にうんざりしている僕は、まさに『シン・無気力男子』だった。 「だけど僕はお姉さんのいない世界に、夢も希望も見つけることができないんだ」 彼女は僕のニット帽の隙間から手を差し入れて、あの頃のように頭を優しく撫でてくれた。 「そんなことはないよ。だって今のきみは雪のゲレンデだ。まっしろに広がる、はてしないキャンパスだ。これから雪が溶けて、どんな世界が描かれるのかは、ぜんぶ自由で、ぜんぶきみ次第なんだから!」 彼女の言葉に呼応するように雲の切れ間から光が差し込んでくる。その光は線を描きながら近づき、掬い取るようにみぞれさんを包み込む。別れの時間が迫っていた。行かないでほしい、でも、止めることなんでできない。 寂しさをかき消すようにみぞれさんはほほえむ。 「あのね、『スキーに行きたい』っていうお願いは嘘だから」 「え?」 「ほんとうのわたしの願いは――『きみの未来を見てみたい』だったの」 そうか、だからふたたび出逢えたのか。でも、そんなに僕のことを思っていてくれたなんて。麻酔にかけられたように心が痺れた。 「ほら、もうすぐだよ」 言われて視線を前に向けると吹雪の中にリフト降り場が浮かんだ。あわてて身構えたが、みぞれさんは降りる気配がない。ああ、もっと高い場所まで行くんだろうな。 「慧くん、どんなに広い世界に飛び立っても、わたしのことを記憶の片隅に残しておいてね」 湿り気を帯びた声に僕も声が震える。 「あっ……たりまえだ! この思い出は僕の宝物だっ!」 今ならわかる。どうして僕だけ、みぞれさんの記憶がなかったのか。 皆の持つみぞれさんの記憶は、神様がこしらえた、かりそめの記憶に違いない。彼女が消えたら失われてしまうはず。 けれどこの邂逅は、もともとは僕のお願いがもたらした神様の恩恵だ。僕自身に効果が及ばないのも当然のこと。 でも、だからこそ、この瞬間の想い出を僕が忘れるはずはない。 僕が胸に秘めていれば、それでいい。 ――ありがとう、天使のみぞれさん。   ストックを構えてリフトを滑り降り、雪上で足を止める。 振り返ると、みぞれさんの姿はリフトの上から消え去っていた。 けれど彼女の最後のささやきは、いつまでも僕の耳に残っている。 ――慧くん、すてきな大人になあれ。 ゲレンデの頂に立つと、背中から力強い風が吹いてくる。 眼下に広がる銀世界の先で、はてしない未来が僕を待っている気がした。 Fin
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