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酔った男は軽く舌打ちをすると、ぶつぶつ文句を言いながら立ち去って行った。
―― 助かった……。
肩の力が抜け、ほっと胸をなでおろす。
―― これで、あの人が奇行に走らなくてすむ。
そう思ったところだった。
酒場の入口が勢いよく開くと、そこには顔を真っ赤にしたレオンが立っていた。
「レオン。違うの、この人は……」
その時になって、まだ見知らぬ男の人に肩を抱かれていることに気づき、慌てて体を離す。
けれどレオンの耳には何も届いていなかった。それどころか、千鳥足のくせにものすごい勢いで迫ってくる。
「貴様ぁ! ツバキに触れるなあぁ!」
呂律の回らない舌でそう叫び、訳の分からない言葉を発しながら右手を振り上げる。
「レオン。お願い、やめて!」
咄嗟に叫んだが、レオンは足をもつれさせ、自分の足にひっかかると、前のめりに突っ込む。そのまま背の高い男の顔面に強烈な右ストレートをくらわし、ドスンっと男の胸に体ごとぶつかった。
驚いてバランスを崩した男が、派手に後ろに倒れるように転ぶとき、街灯に後頭部を激しく打ち付け、鈍い音が夜の闇に響いた。
「たっ、たぁ……」
頭をさする男に急いで駆け寄る。
「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「え? ああ、これくらい大丈夫……」
そう言って微笑んだのも束の間、何かに気づいたように男は鼻を左手でつまむ。腕を伝うように赤い血が流れ、服の袖がみるみる赤く染まっていった。
「た、大変……」
慌ててハンカチを差し出す。
「ああ、ありがとう。ただの鼻血ですよ」
くぐもった声でお礼を言い、男がハンカチで鼻を押さえなおそうと手を離した瞬間、ドバっと大量の血が鼻から流れだし、今度は胸元を赤く染めていく。
「とにかく一緒に来てください。部屋がこの近くにあるので……」
男の顔は恐怖のためか、若干青ざめているようだった。
「え? ああ、その前に、この人、何とかしてください」
男の膝の上でレオンがぐっすりと眠りこんでいた。急激に動いたために酒が完全に回ってしまったらしい。
「レオン……。お願い、起きて。帰るわよ」
必死の思いでレオンを立たせ、引きずるようにして歩き出す。
男は鼻を押さえたまま、すっと横に立つと、レオンの体をやすやすと支えた。
「手伝いますよ……」
それがこの男、ウジェーヌ・デュムランとの出会いだった。
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