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彼女の名前は椿(カメリア)
ウジェーヌが案内されたのは小さなアパルトマンの部屋だった。三階まで、いつも彼女はレオンと呼んだこの男を、引きずって上っていくのだろうか。
「すみません……」
女は何度目かの謝罪の言葉を口にすると、レオンを引き取るように奥の部屋に入っていく。おそらく、そこが寝室なのだろう。
しばらくして戻ってくると、女はウジェーヌの前に水の入った器を差し出す。
「これを使ってください。それから、血の付いた服をこちらに。その……、そのままではシミになってしまいますから」
薄暗い部屋の中で、女のたまご型の顔が浮かび上がる。
「君は……、東洋人なのか?」
女はひどくあっさりした顔をしていた。涼やかな一重の瞳が微かに細められ、頷く。その拍子に、後ろで束ねられていた艶やかな黒髪がひと房、肩に流れ落ちる。
「はい。日本人です」
「名前は?」
「椿」
「ツバ……キ?」
「呼びにくかったら、椿と呼んでください」
そう言って儚げに笑い、椿はウジェーヌから血の付いた服を受けとった。
「カメリア?」
「はい、日本語でカメリアの花のことを椿というんです。レオン以外の人はほとんど私のことを椿と呼びます」
カメリアという名前から連想されるものとは程遠く、どこかエキゾチックで神秘的な雰囲気を椿は身に纏っていた。
「僕は、ウジェーヌ・デュムランだ。すまない。君のハンカチを血で染めてしまった」
ぼんやりと見つめてしまいそうになる椿の姿から視線を逸らし、ウジェーヌは先ほど受け取った水の入った器のふちに掛けたハンカチに視線を落とす。
桜の花の刺繍が施されたハンカチは赤く染まり、きれいな水を一瞬で真っ赤に染めてしまっていた。
改めて自分が流した血の量に愕然とする。
「いいえ。こちらの方こそ、本当に申し訳ありませんでした。他にお怪我はしていませんか? 助けていただいたのに、こんなことになってしまって。なんとお詫びを申し上げたらよいのか」
椿は丁寧すぎるほど深く頭を下げる。
「いや、それはよけられなかった僕に責任がある。カメリアが気にすることじゃない」
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