山茶花

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アメリカでスペースシャトル 「チャレンジャー」が爆発事故が起き 乗組員全員死亡という悲惨なニュースを 幼子心に強く記憶を残す年明けだった。 これから長い不況に入っていく4年前。 最後のバブル期、私はまだ 小学5年生の3学期が始まったところだった。 私の父は1級建築士の資格を取得し従業員を5名ほど雇い設計事務所を構えた。 銀行窓口で働いていた母が経理を担当して 副社長として父を支えていた。 「いつかはマイホームを!」とかの対戦から 高度成長期を経て更に豊かになってきた日本。 くしくも豊かさの追い風に乗って建設業界は みるみる成長していく最中、父もこの波に 乗って羽振りがよくなっていったのだった。 私が小学校低学年まではまあまあ中は悪くは なかったものの、3年生辺りから父の羽振りが良くなっていくにつれて夫婦仲は悪くなっていく。 3年目の浮気…そんな言葉が歌に歌われさも浮気は男の甲斐性と当たり前に思われた 昭和な時代。この当時は今と違い「離婚は家庭の恥」と蔑まれ、妻は黙ってひたすら我慢。 我慢を強いられ母は酒に溺れていった。
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