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【元素記号の覚え方】
「絶対に秘密だからな、おれの、このケガのことは」
そう気丈に振る舞っている悠馬だったが、唇は震えていた。
ずっと俺や他の一般入試組を見下してサッカーをしていた悠馬に対して、ざまぁ、とは思わなかった。
だってきっと悠馬には悠馬の苦労があって。
さらにはあんなケガもしていて、それを監督には言い出せない状況で。
俺と二人きりの医務室で、悠馬は静かに椅子へ座った。
自分の股関節を労わるように、ゆっくり、ゆっくりと。
もう決壊は近い、ということは目に見えていた。
・
・【元素記号の覚え方】
・
一緒に冬休み明けのテストの勉強をしていた悠馬がポツリと呟いた。
「元素記号って覚えないとダメなのかよ」
俺は呆れて声が出なかったが、まあなんとか言ってやることにした。
「高校一年生はもうそのレベルじゃないけどもな、ある程度知っていて、かつ、ってレベルだから」
「いいよ、おれはスポーツ推薦だから覚えなくて」
と悠馬がハハッと掠れ笑いを上げてから言ったんだけども、俺は毅然とした態度で、
「いや悠馬はケガでもうサッカー辞めてんだから入試組と同じくらい勉強できないとダメだからな」
「とはいえだよ、俺は全然その辺の連中よりも運動ができる!」
と言って十二月に腕捲って、自分の力こぶにキスした悠馬。動作がウザ過ぎる。
でもなぁ、
「俺が言うことじゃないけども、プロにはもうなれないんだろ?」
「そんなん言ったら陽介だってプロレベルで勉強できていないだろ」
「いや高校一年生のプロくらいはできているよ、あくまで高校一年生のプロだけどな」
「そんな……論破するなよ……もう二度と誕生日プレゼントあげないぞ……」
「別に悠馬からもらった今年の誕生日プレゼントって、変な、存在しない形の折り紙とかだったから要らないわ」
「あれはオリジナルの竜王だぞ!」
「折り紙でセロハンまみれにするのは反則だからな」
と俺が厳しめにそう言うと、悠馬はムッとしながら、
「セロハンまみれも大変だったんだぞ! セロハンと思ったら、何か舐めたくなってきて、それをずっと我慢していたんだからな!」
「ケーキのセロハンみたいに思うなよ、セロハンテープをさぁ。ベロがベタベタになるぞ」
「なったわ!」
「じゃあ最低一回舐めてるじゃん! 我慢できてないじゃん! というか舐めたセロハン竜王をプレゼントするなよ!」
「舐めたセロハンは粘着質が無くなったから使わなかったわ! 竜王には!」
「どんだけ舐め切ってるんだよ!」
「おれは全然誕生日プレゼントのこと舐めてないわ!」
「舐めてるし、舐めてるだろ! 誕生日プレゼントのことはマジで舐めてるだろ!」
何か肩で息するくらいデカい声が出てしまった。
対する悠馬もそんな感じで、いや止めだ止め、こんなこと必死になるようなことじゃない。
「今はとにかくテスト勉強だろ、最低限最初の元素は覚えていないと話になんないぞ」
「それなんだけどさぁ、何か序盤のヤツだけ得過ぎじゃね?」
「どういう意味だよ」
と俺が小首を傾げると、悠馬は真剣な面持ちでこう言った。
「おれは全部を覚えたい。全部を覚える呪文を作りたい」
「いいよ、テストっていうのはテスト範囲だけやればいいんだよ。そういう深淵に向かうのはそれこそプロだけでいいんだよ」
「いや、何か最初の元素だけ贔屓するのはおれらしくない」
「悠馬はそんなに正しい人間じゃないから大丈夫だよ」
でも悠馬の瞳は熱い光が灯っていた。
まるで出会った頃の悠馬だ。
スポーツ推薦で入ってきて、一般入試組を見下しているような、ギラギラしている表情だ。
何か、あの頃を思い出して、ちょっと引け目を感じてしまうと、そこにつけ込むように悠馬が声を荒らげた。
「おれは! 元素を全部覚える呪文を作る!」
何だ、コイツ、いや頭では理解できているんだ、すいへーりーべーぼくのふねのことを呪文と言っている時点でダメなヤツだって。
でもコイツのこの顔は、一般入試組からサッカー部に入ってきた俺のような連中を心底見下して、実際テクニックも体力も全然違って、格の違いを見せつけられていたあの頃を想起させる覇気だ。
もういいや、どうせ俺のテストは結構余裕だ、少しくらい付き合ってやるか。
「分かった、悠馬のそれにちょっとは付き合ってやるよ」
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