ジュシロカの花束を

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 グランマが残してくれた本を見つけた日から、ティアレは毎日、波打ち際に座り、何度も何度も読み返しては、この美しい花への思いを募らせた。 「綺麗ね……」  言語はわからないけれど、絵を見ているだけで楽しかった。あるページには、すべて幾何学模様で出来たさまざまな形のガラスの花が描かれている。そうかと思えば、ページごとに、見たことのない絵が飛び込んでくる。  真っ白くて分厚い砂浜のような場所で、膝まで埋もれた子どもたちが楽し気にしている絵。頭にターバンのようなものを被り、もこもことした衣装を身に着けて、手も布で覆っているようだ。そうしてこの真っ白い砂の固まりを投げ合って笑っているように見える。 「楽しそう。こんな場所があるのかしら……?」  次々とページをめくる。子どもたちが真っ白い砂で大きな玉を作り、もう一つ小さい玉を乗せ、枝や木の実、葉っぱで目、鼻、口をつくれば、真っ白人間の出来上がり。バケツを逆さにして頭に乗せるのね。ふふ、ビーチでも真似できそうね。  そうしてティアレは来る日も来る日もこの本を開き、枝で砂浜にガラスの花々の絵を真似して描いた。ようく見ながらでも難しい。けれどもそれが、何度やっても楽しい。  花の絵を三つ完成させると、今度は波が染み込んだ湿った砂を丸く固めて、自分の膝くらいまでの真っ白人間を真似て作った。 「ねぇ、蟹さん見て。真っ白人間」  蟹達も驚いているように見えた。  日が傾いて砂の真っ白人間の影が伸びてきた。もう一体作ろうかと砂を集めながら、風に吹かれた髪を払うと、花の絵の先に見覚えのない素足が見えた。といっても、ここには滅多に人が来ない。グランマと自分以外の素足を見るなどいつぶりだ。 「へぇ、雪だるま、知ってるのか?」  聞き慣れない言葉が降ってきた。思わず足から順に見上げていく。  擦りむいた跡のある膝、膝丈の茶色いズボン、ティアレと同じような、袖のない白いシャツ。  ティアレに話しかけてきたのは、同じ年頃の少年だった。黒くて短い髪をして、髪と同じ色の瞳をしている。  少年は、砂の上の本をそっと持ち上げ、驚いた顔をしてティアレを見下ろした。 「日本語がわかるのか?」  ティアレは何を言われているのか、わからない。けれど少年はこの本のことを知っているのかもしれない。思わず立ち上がって聞き返した。 「きみ、この言語が読めるの? 何て書いてある?」  少年は少し困った顔をした。無言でパラパラとページをめくる。すると、その瞳はいきいきと輝き始めた。 「これは、これで、これは、これなの。とっても綺麗よね?」  ティアレはページをめくる少年の手を止め、ガラスの花の砂に描いた絵を指した。真っ白人間のページをめくり、砂の真っ白人間を指して精一杯説明した。 「……雪が、気に入ったのか?」 「なに?」  少年に何か尋ねられたけれど、わからなかった。すると少年は、さっきよりも口を大きく、大袈裟に開け、本のページを指してティアレの目を真っ直ぐに見た。 「こ れ は」  ティアレも前のめりで聞き取る。  少年は、今度は口を大きく尖らせ、「ゆ」  横にいっぱい引き延ばして、「き」  と言った。ティアレも真似をした。 「ユ……キ?」  少年は頷き、次に美しいガラスの花を指す。  口を大きく尖らせたり、伸ばしたり開いたりして言う。 「じゅ し ろ っ か」 「ジュシ……ロカ?」 「うん!」  少年は少し嬉しそうに指で丸印を作った。  次に少年は、ゆっくりと絵を指し、「ゆきを」と言った。  二本指を自身の二つの瞳に向けてから、宙を突き刺し、「見たいか?」と、ティアレの青い瞳を覗き込んだ。  少年の黒い瞳が空のオレンジ色を映す。二人の影がぐんと伸びてきた。  穏やかに打ち寄せていた波が、ティアレの心と手を繋ぎ、リズムを変えて歌い出す。 「……ええ、見たい! 本物があるの? どこに?」  ティアレは大きく何度も頷き、少年の体を見回す。  少年は笑って首を振った。 「それじゃあ明日、行こう。雪を見せてやる」
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