第一幕 リラと王子 6.慢心の果て

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第一幕 リラと王子 6.慢心の果て

 オーロラが小塔の床に崩れ落ちたその時、魔法使いのリラは西の塔にいた。召使はおろか、王ですら立ち入るのを拒まれた塔である。  リラはこの十五年、昼のあいだはオーロラ王子の教育係や王の補佐役をつとめてきたが、夜は西の塔で秘密の研究を続けていた。  長寿の魔法使いは眠りもほんのすこしで足りるので、リラの夜の時間はただの人よりずっと長い。秘密の研究は長い夜の無聊を慰めるためにはじめたものだったが、リラがもつ魔法の知識や魔道具の技術のすべてを注いで行われていた。  最初の試作品が作られたのは何年も前で、それからも改良が重ねられ、オーロラ王子が十五歳になる今日の真夜中、ついに最終的な完成を迎えたところだった。そのためいつもなら西の塔を出る時刻になっても、リラはまだ寝室にいた。絹のとばりに覆われた寝台のうえで、秘密の研究の成果を夜通し試していたのである。  そしてリラが心ゆくまで満足したその瞬間に、鴉が――カラボスの使い魔が――小塔の上で勝利の声をあげたのだ。 (リラ、思い知ったか!)  鴉の声はカラボスの声、魔法の叫びでもあった。その時になってリラは思い出した。カラボスが呪いをかけた日から十五年経つことを。  リラはすぐれた魔法使いである。ところが彼はフロレスタン国の城ですごした十五年のあいだに、だんだん自身の力を過信するようになっていた。  この十五年、リラは毎日、彼を頼り、賛美する人々に囲まれていた。たしかに彼は、賛美にふさわしい働きも、きっと時にはしていただろう。しかしリラには、世界のすべてを自分の思うとおりに変えられるような力はなかった。いや、どんな魔法使いにもそんな力はなかった。  かつてリラが師のもとで魔法を学んでいた時、おなじことをくどいほど諭されたものである。しかし最近のリラは自分に不可能なことはないような気分に陥りがちだった。  もちろんそれは間違いだった。リラはすぐれた魔法使いだったが、失敗することもうっかりすることもあったのだ。何しろリラは紡ぎ車のことをすっかり忘れていたのだから。  十五年前、フロレスタン国王は民に紡ぎ車をもつことを禁止した。リラは王に力を貸して国中の紡ぎ車を没収した。納屋や屋根裏に隠された紡ぎ車も魔法でとりあげて燃やしたが、それからしばらくたって、リラがフロレスタン国の人々にこっそりかけた魔法があった。それは忘却の魔法で、昔から伝わる糸紡ぎの歌を忘れさせたのである。こうして人々の頭にはだんだん、糸を紡ぐということが浮かばなくなり、十五年たった今は完全に消えてしまっていた。  ところがこの忘却の魔法は、思いがけずリラ自身にも作用していたのである。  紡ぎ車はオーロラ王子にかけられた呪いの(そして、リラがその後かけ直した魔法の)直接の原因だ。ところが紡ぎ車を完全にフロレスタン国から排除したと確信したあと、リラはなぜ自分がそんなことをしたのかを忘れていたのだ。  しかしリラは鴉の声を忘れることはなかった。カラボスとのつきあいはフロレスタン国で過ごした年月よりはるかに長かった。遠い遠い昔、学び舎にいたころのカラボスはリラをなによりも――時にはふたりの師以上に――慕っていたものだった。リラもそんなカラボスを憎からず思っていた――そんなときもあった。  しかし今はカラボスについて考えているときではない。鴉の声を追ってリラは小塔を駆けあがり、眠るオーロラ王子をみつけたのである。 「ああ……! オーロラ王子よ」  回り続ける紡ぎ車をみたとたん、リラは何年も忘れていたことを思い出した。何年も閉ざされていた小塔の扉を誰が明けたのか、てっぺんの小部屋になぜ紡ぎ車があったのか――いくつかの疑問が頭に浮かんだが、すべてはリラの慢心のせいかもしれなかった。フロレスタン国王はこんな事態を避けるために、リラをこの城に留めたのだから。  リラはオーロラ王子を腕に抱いて小塔を下りた。幸いなことに、リラが十五年前にかけた魔法はたしかに効果があった。王子は死んでおらず、眠っていただけだった。絹のような髪も透きとおるような肌ものびやかな肢体も、王子の美しさはそのままだったが、菫色の眸がリラをみかえすことはない。まぶたはかたく閉じたまま、リラの腕の中で目覚める気配もない。王子を腕に抱きかかえたまま、リラは王を探しに玉座の間へ向かった。  ところがそのころ、城の全体で不思議なことが起きていたのである。  リラがたどりついた玉座の間では王ががくりと首をふせ、深い眠りに落ちていた。王妃は着替えの途中だったのか、鏡のまえで膝を折って眠っていた。その隣では侍女がブラシを持ったまま壁にもたれて眠りこんでいる。  大広間や庭園で祝宴の準備をしていた召使たちも、厨房の料理人や下働きも、全員が深い眠りに落ちていた。  ついさっきまで祝宴の準備で湧いていたのに、いまや話し声ひとつしない。いったいどうしてこんなことに? 十五年前、リラは死の呪いを百年の眠りの魔法に変えたが、これによって眠るのは王子だけのはず――  そのときリラは、かつて学び舎で師が語ったことを思い出した。 (死の呪いは魔法をもってしても完全に解くことはできない。できるのは呪いによる死を生の中断に変えることだけだ。生の中断とはすなわちある種の眠りのことをいう。しかし死をあがなうためにどれだけの眠りが必要か、予測するのはとても難しい)  まさか王子ひとりが百年の眠りにつくだけでは、カラボスの死の呪いに対抗できなかったというのか。  おのれの慢心と失敗を悟り、リラは玉座の前で膝をついた。玉座では王が眠り、リラの腕の中ではオーロラ王子が眠っている。死のような静けさが城を満たしている。
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