第二幕 リラとカラボス 4.魔法の網

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第二幕 リラとカラボス 4.魔法の網

 鴉の王は茨の森の上空を飛んでいた。森は三つの国のはざまにあり、それぞれの国から道がのびている。道は茨の枝のようにぐるぐると曲がりくねりながら、かつてフロレスタン国の城だった館に通じていた。  おそい午後の光に道は白く輝いていた。馬車や徒歩の人々が道をいく。裕福な紋章入りの馬車から、ボーナスを懐に入れた兵士まで、身分もふところ具合もさまざまだが、期待に満ちた表情はみな同じだ。  人の心はうつろいやすく、民に見捨てられた土地はあっという間に忘れられる。もはや古老ですら、歓楽の館〈眠れる森〉がかつてフロレスタン国の城だったと覚えていない。しかし鴉の王は覚えていた。カラボスがオーロラ王子誕生の祝宴にあらわれた時、鴉の王もその場にいたのだ。  自然の精霊である鴉の王は、人間とは物事の捉え方が大きくちがって、祝宴の日にカラボスが王子を呪ったことを悪だと考えなかった。十五歳の誕生日に死ぬという呪いは、寛大、あるいは恩寵だと思ったくらいである。なぜならカラボスの呪いは、オーロラ王子が十五歳まで生きることを保障するものでもあったからだ。  人は他の生き物より成長が遅くひ弱である。よちよち歩きの赤子のあいだにどれだけの命が潰えるか、鴉の王はよく知っていた。魔法の祝福がどれほどの美や富を約束しようと、死は突然訪れる。  鴉の王の考えでは、カラボスはオーロラ王子に十五歳までの生を約束したのであって、それは生半可な魔法使いには不可能な強力な魔法だった。十五年あれば次の世代の誕生には十分間に合うから、これは恩寵だ――というわけである。  王は森のすれすれを飛び、道をいく人々をながめ、館を囲む庭園に近づくと翼をはためかせてふたたび上昇した。ちかごろ、茨の森と館は巨大なカスミ網の魔法に覆われるようになっていた。  精霊である鴉の王に魔法の網は効かなかったが、精霊の護り子である鴉は何羽も網にかかり、その後どうなったかわからない。以前も、鴉を近づけない仕掛けや魔法の矢が仕掛けられていたものの、このカスミ網はそれとは何かが異なるようだった。  自然の申し子、森の精霊はひとつひとつの死を特別視しない。死は自然の一部であり、死によってしかはじまらない生があるからだ。たとえ人間が「不慮の死」と呼ぶものであっても、鴉の王にはなぜそう呼ばれるのかわからない。  しかしこの城――館で死んだ鴉には、通常の死とちがうところがあった。魔法使いリラの毒で死んだ鴉も、魔法のカスミ網に捕えられた鴉も、通常の生と死のサイクルから外れてしまったように思えるのだ。それは世界を成り立たせる仕組みから外れることであり、精霊にとって起きてはならないことでもあった。  いったいここで何が起きているのか。鴉の王は滑空し、霧のように透明で細かな粒子に形をかえ、魔法のカスミ網をくぐりぬけた。 〈眠れる森〉のバルコニーに立つオートマタのロラは、午後の光がまぶしい空の中を、砂粒のような黒い影が近づいてくるのをみていた。  人形の目は太陽のまぶしさに惑わされることがない。黒い影はリラが新しい魔法の罠を仕掛けてから姿を消してしまった鴉だと、ロラはすぐに気づいた。この新しい罠は空中を舞い降りるあらゆる生き物をからめとり、押しつぶして消滅させてしまう。  おかげでロラは以前のように遠目にも鴉を眺められなくなった。内心残念に思っても、リラには「鴉に見られるな」と命じられてもいたし、主人で創造主でもあるリラの命令や決定に逆らうなど、オートマタにはおよそ考えられないことだった。この鴉もすぐ消えてしまうにちがいない。  実際その通りだった。砂粒のような黒い影はだんだん大きくなったものの、途中で霧のようにかき消えてしまった――が、ロラはふと首をかしげた。どうも様子がちがうように思ったのである。  空中にかすかな声が響いたのはその時だった。 「おまえは何だ?」  ロラは一瞬無表情になった。驚くという経験があまりにも少なかったため、反応が遅れたのである。 「僕はロラ。あなたは誰ですか?」  ロラは何もない空中をみあげた――が、たちまちそこに異変がおきた。霧のように小さな黒い粒子が集まって、翼ある影になったのだ。  また声が聞こえた。 「俺に名はない。俺はただ在り、森の鴉を統べるものだ」  ロラは精霊という存在を知らなかったから、これが鴉ではないということにまず安心した。それならリラの命令に背いたことにはならない。となるとたちまち好奇心がわきあがった。  翼ある影がすぐ前までやってきたので、ロラは思わず手をのばした。影がロラの指先をかすめる。やわらかな羽毛の感触があった。 「おまえは人でも動物でもないな。それなのに魂の影がみえる。いったい何者だ? 魔法使いか?」と影がいった。 「僕は魔法を使えますが、魔法使いではありません。僕はオートマタで、魔法使いリラに作られました」 「作られし者か。それにしては……」  影はロラの指先で戯れるように揺れ動いた。ロラは続きを待ったが、つぎに聞こえたのはあらたな問いだった。 「おまえはここで何をしている。ここは何だ」 「僕は主人の命令で、この館を取り仕切っています。ここは〈眠れる森〉、訪れる人々に快楽と安らぎを与えます」 「俺の鴉がどうなったか知らないか?」  ロラはすこし考えた。 「わかりません。僕の主人リラは鴉が嫌いなのです。僕も鴉に見られないよう命令されています」 「おまえはこの世の何にも似ていない。おまえのようなものは他にもいるのか?」 「いいえ、僕だけです」 「おまえの主人はどこだ?」 「塔にいます」  ロラがいるバルコニーからリラの塔はみえない。しかし影はすぐ理解したらしい。 「作られし者、おまえはとても変わっているが、邪悪な意思はなさそうだ。だがあの塔からは邪悪の気配がする」  影の言葉をロラは不思議に思った。これまでリラにさまざまな事柄を教わってきたが、悪という観念を聞いたことはなかったからだ。 「邪悪とは何ですか?」 「邪悪とはこの世の――」  声がいきなり途切れた。影がロラの指先から離れて空中に舞い上がる。みるまにふくれあがったと思うと、羽毛と鉤爪とくちばしのある大きな鴉に変わった。ロラは思わず微笑んだが、それも一瞬のことだった。魔法の網を四方に張ったカゴが真上にあらわれたと思うと鴉を中に閉じこめたのである。カゴは糸で吊られているかのようにまっすぐ上に登り、バルコニーの屋根を越えた。
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