第一幕 リラと王子 2.カラボスと死の呪い

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第一幕 リラと王子 2.カラボスと死の呪い

 ついに、漆黒の夜と薄紅の朝の境界で生まれた王子、オーロラの誕生を祝う日がやってきた。  城では早朝から人々が忙しく働いていた。祝宴のひらかれる大広間は花と羊歯で飾られ、招待された十二人の魔法使いのため、玉座の前に特別なテーブルが置かれた。八角形の金の大皿が宴の開始を待つようにきらめいている。  青く晴れた空には綿菓子のような雲が浮かび、そよ風が吹いていた。城を囲む広い庭園には大きなテントがいくつも立てられた。ここでは大広間の祝宴に招かれていない者もご馳走にあずかれるのだ。  正午に門がひらくと、晴れ着姿の平民がつぎつぎに庭園へやってきて、虹色の吹き流しや小旗で飾られたテントに目をみはった。楽師の一団は晴れがましい日にふさわしい音楽を奏で、道化師はあちこちを練り歩いて、おどけた仕草で人々を笑わせる。  同じころ、大広間の祝宴に出席する者たちも城の門をくぐっていた。国の要職について王を支える貴族やその妻子、武芸で名をはせる騎士、学者や工匠もいる。とっておきの衣装に身をつつんだ彼らはもちろん王子への贈り物をたずさえていた。大広間の入口には贈り物係の召使が待機して、受け取った品々は専用のテーブルに並べられ、贈り主の名を大音声で呼ばわるのである。  オーロラ王子のゆりかごは大広間の壇上の、透けるとばりの向こうに置かれていた。訪れた客は王と王妃に挨拶し、とばりごしに王子をながめ、なんと可愛い子だろう、とささやきあう。  主要な客が到着すると、王妃はゆりかごから赤子を抱きあげ、王と共に庭園を見晴らすバルコニーへ出た。庭園にいたフロレスタン国の民は王家の登場をいまかいまかと待ちかまえていた。ラッパが高らかに吹き鳴らされる。王と王妃が手を振ると、人々はいっせいに拍手喝采をあげ、王子と王家をたたえた。  今日の主賓である十二人の魔法使いは、ちょうどそのときにやってきた。  魔法使いはただの人間のようなやり方で旅はしない。魔法を使うそれぞれの方法で空間をすばやく移動するのだ。  魔法使いのうち七人はおなじみの方法、つまり空を飛んでやってきた。ひとりは絨毯に、ひとりは箒に乗ってフロレスタン国を囲む森を超えた。パラソルにつかまって飛んできた魔法使いや、羽根の生えた靴で空を駆けてきた魔法使いもいる。  自分自身を手のひらにのるほどの大きさに変え、鷹の背に乗ってやってきた魔法使いは城についたとたん元の大きさに戻り、鷹は魔法使いの腕に大人しくとまった。翼ある馬で来た魔法使いも、青空に浮かぶ雲を乗り継いできた魔法使いもいる。  飛ぶ以外の方法もあった。水脈をたどってやってきた魔法使いは城の井戸からあらわれた。魔法のランプの巨人に運んでもらった魔法使い、楽音の魔法を使って、吹き鳴らされたラッパから大広間に飛び出した魔法使い、草木の精霊の力をかりて大広間に飾られた花々から姿をあらわした魔法使いもいた。  魔法使いたちの来訪はそれ自体が余興に思えるほど楽しいものだったが、もっとも城の人間に馴染み深い魔法使いリラの登場は、さらに趣のあるものだった。他の魔法使いたちが全員到着したあと、彼は大広間の巨大な銀の鏡から姿をあらわしたのだ。  身に着けた純白の上下は騎士服のような意匠で、青いマントと共にリラの強さと賢さをあらわしている。背に垂れた髪は朝日にきらめく雪のような輝きを放ち、王も王妃も、他の十一人の魔法使いも、大広間にいた人々は全員、鏡の前のリラにため息をもらした。 「我らの王子のために遠くから訪れてくださったことに感謝したい」と王はいった。 「こちらこそ、お招きいただき光栄の極みです」魔法使いを代表してリラが答えた。  こうして宴がはじまった。テーブルにはこの日のためのとっておきの料理がつぎつぎに並べられる。窓の外は昼の光で輝いているが、魔法使いたちの前にある金の皿は天井から吊り下げられたシャンデリアの光できらめいていた。王や王妃や他の列席者たちの前には銀の皿がある。城の料理長は何日もかけて、とっておきのメニューを用意していた。  食事がようやく一段落したころ、魔法使いのひとりが立ち上がった。 「素晴らしい料理をどうもありがとう。それでは私から、オーロラ王子への贈り物を差し上げることにしよう」  これを皮切りに、集まった魔法使いはひとりずつ、とばりをはねのけて王子のゆりかごの前に立った。最初の魔法使いの贈り物は「みつめる者を虜にする眸」で、彼が杖を振ったとたん、オーロラ王子の菫色の眸はこの地上の誰も知らない魅力を宿してまたたいた。次の魔法使いは「絹のような手触りの髪」を贈り物にし、その次の魔法使いは「しみひとつないなめらかな肌」を捧げた。  贈り物の魔法は王子の外見だけにとどまらず、見えない部分にも及んだ。「病をはねかえす頑健さ」「他者を許せる寛大さ」「節度と忍耐心」「正しいものを愛する心」「おごらず謙虚であること」「自分自身に打ち勝つ強さ」「富を得る機略と富を保つ賢さ」……さらに十一人目の魔法使いが「逆境の時にはたらく幸運」という贈り物を与えて席に戻ったときは、王も王妃も心の底から安堵していた。王子もフロレスタン国の未来も安泰にちがいない。  ところが、その直後のことである。  とつぜん、窓の外の太陽が消えた。  嵐が来たかのように暗くなったのは、奇妙な黒い雲が城をすっぽり包みこんだからだ。雲からはザワザワ、パタパタという不気味な音が鳴り響き、庭園にいた人々は不安な面持ちで上をみあげた。楽師たちは手を止めた。  時をおかず、風が吹いた。  漆黒の風だ。それは空から大広間の窓という窓へ吹きこみ、その衝撃でシャンデリアが粉々に割れた。 「何事だ!」  衛兵や王の叫びは黒い風の不気味な響きにかき消された。風は広間を蹂躙するように吹きすさび、壁を飾る花々をくしゃくしゃにした。楽師のラッパや太鼓は跳ね飛ばされ、弦楽器は粉々になり、貴婦人たちの頭にのった小さな帽子や胸飾りは叩き落された。  不協和音のように不愉快な羽音とカァカァと啼きわめく声があたりを満たし、そのときになって人々はやっと、黒い風の正体を知った。それは大小の鴉の群れだった。指先ほどに小さな鳥から腕の長さはある鳥まで、鴉たちは庭園から大広間の中を目も止まらぬ速さで飛び回り、爪とくちばしでずたずたに引き裂いた。  そして次の瞬間、竜巻のような翼の渦から一人の男が姿をあらわした。  王と王妃の前に立ったその男はまだ青年の若さで、真っ黒な服に身を包んでいた。不健康な白い肌に鴉の羽根のような黒髪がかぶさっている。枯れ枝のような痩身で、野性的な顔立ちは磨けば美しくなりそうだったが、艶のない黒い眸とその下の昏い影で台無しになっていた。  男は王と王妃をじっとみつめながら、片手をあげて指を鳴らした。すると広間を飛び回っていた鴉の群れはいっせいに男の方へ飛んできて、その指に吸いこまれた。ただ一羽だけが男の肩にとまり、王と王妃に顔を向ける。  広間にいた者は全員、彫像のように動きをとめていた。思考は働いても体はぴくりとも動かず、声も出すことができないのは男の黒い魔法のためだった。しかし王妃の顔色には変化が生じていた。薔薇色から白へ、そして青へ。  王妃は男の肩にとまった鴉をみつめていた。 「フロレスタン国王、お初にお目にかかる」  男が口をひらいた。声は鴉の羽音のように、耳に不愉快な割れた響きを残した。 「俺はカラボス。今日は王子の誕生を祝って素晴らしい宴がひらかれていると聞いたので、西の山地から飛んできた。どうやら顔見知りの連中は全員ここにいるらしい」  カラボスは王と王妃の前のテーブルをふりかえった。十二人の魔法使いもカラボスの魔法によってその場に凍りついている。カラボスは魔法使いたちをねめつけるようにみつめ、とくにリラに対しては憎しみを隠さなかった。  魔法使いたちのテーブルも鴉に蹂躙されてめちゃくちゃになっていたが、十二枚の金の皿は吹き飛ばされることもなく、いまだに輝きを放っている。カラボスは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。そのとたん金の皿がいっせいに魔法使いたちの頭上の空中に浮かび、彼らの頭をひっぱたいて、けたたましい音を立てて床に落ちた。  悠々と動き回る黒衣の男をみつめる王妃の顔色は、今は青を通りこして土気色に変わっていた。彼女の目はずっとカラボスの肩にいる鴉を追っていた。さすがに王もそのときには気づいていた。  あの鴉は王子の誕生を予言した鳥ではないか。  自分たちは、絶対にやってはいけない間違いを犯したのではないか。  その時とばりのむこうから赤ん坊の泣き声が響いた。大広間の異変を感じとったのかもしれない。 「ああ、王子はあそこか」  カラボスはかすかに笑った。王の目には邪悪に、王妃にはどこか、悲嘆にあふれて見える笑みだった。どちらにせよその笑みには死の影が映りこんでいた。  声を出せたなら誰もがやめろ、と叫んでいたにちがいない。しかし誰ひとり止める者はなく、この場でもっとも優れた魔法使いであるはずのリラですら、カラボスがかけた魔法を解けなかった。黒衣の魔法使いは悠々とした足取りで玉座のうしろの段をのぼると、とばりをひらいた。王子はゆりかごの中で手足をばたつかせていた。  殺されてしまう、と誰もが思った。  しかしこの時、十一人の魔法使いが王子に与えた贈り物は、もうその力を発揮していたのである。  カラボスはゆりかごの中をみつめた。オーロラ王子はカラボスの黒い眸をみたとたん、泣くのをやめた。菫色の眸が黒衣の魔法使いをみかえした。見つめる者を虜にする眸である。  それでもカラボスは指を鳴らそうとした。しかしここで、十一人目の魔法使いの贈り物、逆境の時の幸運が王子のために働いた。肩にとまっていた使い魔がもぞもぞと動き、黒衣の魔法使いの気を散らしたのだ。  カラボスは舌打ちをして、また王子に向かいあった。 「他の連中はみんなおまえに贈り物をさずけたらしい。それなら俺もおまえに贈り物をしようじゃないか。俺にしか与えられない贈り物だ」  カラボスは今度こそ指を鳴らした。肩にいた鴉が一声啼き、空中へ飛びあがる。カラボスは顔をあげ、大広間の人々にむかいあった。背筋をのばし、両手を広げる。澄んだ魔法の声が大広間に響き渡ったとき、若者はどういうわけか、それまでとうってかわって美しくみえた。 「オーロラ王子は紡ぎ車によって、十五歳を迎える日に死ぬ」  カラボスの背中に漆黒の翼がひろがった。その時になってやっと、大広間を縛っていた魔法が解けた。最初に立ち上がったのはリラだった。青いマントをひるがえしてカラボスへ向かっていく。 「待て!」  こんな状況でも美しく頼りになる魔法使いの姿に人々は見惚れた。しかしリラの手はカラボスに届かなかった。暗黒の翼がいちど大きくはためいて、黒衣の魔法使いを包む。次の一瞬、ゆりかごのそばには誰もいなかった。鴉の羽根が一枚、宙をひらひらと舞っているだけだった。
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