第一幕 リラと王子 3.十二人目の魔法使い

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第一幕 リラと王子 3.十二人目の魔法使い

 輝く白い髪をなびかせ、魔法使いリラが魔法使いカラボスに手を伸ばす。しかしその手のひらに残ったのは漆黒の羽根一枚のみだった。  リラの背後では人々がどよめいている。ある者は悲嘆の声をあげ、ある者は怒り、ある者は混乱して、ただ泣いている。王は魚のように口をぱくぱくさせて言葉を探し、王妃は死人の顔色で座りこんでいる。  混乱した人々をよそに、リラはゆりかごをのぞきこんだ。たった今起きたことはリラにとって完全な不意打ちだった。リラはカラボスのことをよく知っていた。長いあいだ会うこともなかったが、遠い昔、リラとカラボスは同じ学び舎にいたことがあり、一人前の魔法使いとなってからも、しばらくは親しい――親密とも呼べるつきあいをしていたくらいである。  魔法使いは齢をとっても外見が変わらない。カラボスの容姿はリラが最後に会った時からまったく変わっていなかった。魔法使いの時間は人間の時間とはちがうのだ。それはずっとずっと昔のこと――だから、カラボスが大広間にあらわれたとき、晴れやかな白と青を身に着けた魔法使いの胸のうちに渦巻く感情を察した人間など、もちろん誰ひとりいなかった。  カラボスはリラより何年も遅れて学び舎にやってきた。その頃のリラにとって、カラボスは最初のうちは可愛い弟分のような存在だった。ところがカラボスはリラよりずっと速く師の教えを学びとった。  いや、それはリラにいわせれば、学ぶのではなく、飢えた者が食物を詰めこんだり、乾いた土が水を吸いこむようなものだった。段階を踏んで正しく学んだリラとはまったくちがっていたのだ。  しかし師はふたりの弟子の年齢や素質のちがいを気にすることはなかった。どちらも十分に学んだと知った師は、ふたり同時に魔法使いとなる秘儀を授けたのだ。それ以来、リラとカラボスは齢をとらなくなった。  いったいどうしてリラはカラボスと袂をわかつことになったのか。魔法使いは直接のきっかけを思い出せなかったが、カラボスが自分にとってしだいに苛立たしい存在になり、その結果今のようになったということは覚えていた。だから王に相談されたとき、リラはカラボスを祝宴に呼ばないよう働きかけたのだ。  リラはそのことを後悔などしなかった。そもそも、招待されなかったことを恨んで赤子に死の呪いをかけるなど、断じて許されないことだ。リラは決然とゆりかごを見下ろし、オーロラ王子と目をあわせ――言葉を失った。  赤子の澄んだ目がリラをみつめていた。ほんの一瞬にすぎなかったはずだが、深い菫色に魔法使いは心を奪われ、次の一瞬で心を決めていた。  リラは立ち上がった。 「この呪いを取り消すことはできないが、呪いの内容を変えることはできる」  魔法使いのよく通る声に、王と王妃は我に返ったようにゆりかごの方を向いた。リラの指先に白い光がぽっと浮かぶ。光は魔法文字に変わり、文字は連なって糸のように呪文を紡ぎ、織りなされた布となってゆりかごを包んだ。 「紡ぎ車に刺されても王子は死なず、眠るだけだ。百年の眠りののち、真実の愛を捧げる者が王子を目覚めさせる」  リラの言葉が終わると同時に、ゆりかごを包みこんだ魔法文字の織物がぱらりとほどけ、光る糸となって空中に広がった。人々が見守るなかで糸は空気に溶けるように消えていく。 「陛下、これが私の贈り物です」  リラは静かに告げた。そのとたんどっと歓声がわきおこった。さすが魔法使いリラだ! 邪悪な魔法を跳ね返した! 王も王妃も玉座から立ち上がっていた。王はリラに手をさしのべ、王妃はゆりかごの王子をしっかりと胸に抱く。 「魔法使いリラ、あなたは私たちを救ってくれた。礼のいいようもないほどだ」  もっと大きくなった歓声のなかで、ゆりかごのオーロラ王子は菫色の眸をみひらき、不思議そうに周囲をみつめていた。  闖入者の邪悪な呪いで宴は中断されたが、リラの魔法のおかげで人々は安心し、ぐちゃぐちゃになった大広間を片づけにかかった。十一人の魔法使いも協力し、城も庭園も素早くもとの晴れがましい光景を取り戻したので、祝宴はなんとか最後まで続けられたのである。  宴がおわると、王はカラボスが城を訪れた名残りを少しも残さないよう、臣下に命じた。鴉の群れがいたるところに落とした黒い羽根は魔法で一枚残らず集められたが、城の裏庭に積みあげると小山のようになってしまった。火をつけるとその煙は灰色ではなく漆黒で、城の塔よりも高く、まっすぐに空へ昇り、しばらくそのまま留まっていた。しかしやがては風に飛ばされて消えてしまった。  フロレスタン国は次の日の夜明けを迎えたが、オーロラ王子には何の問題も起きなかった。いつもの平和な日がやってきたのである。人々は安堵し、また勤勉に働く毎日に戻った。羊や牛は草を食み、川は楽しそうに流れ、畑では作物がすくすくと育つ日々に。  するとカラボスの呪いもリラの魔法も、ただの宴の余興のように思えてきた。こうしてフロレスタン国の民はすぐ、オーロラ王子にかけられた魔法のことを忘れた。  しかし城の奥にいる王妃は忘れなかった。その顔色は何日たっても青白いままで、妃はふさぎこんでいた。王子はゆりかごですやすや眠っている。王があらわれると、王妃は手を振って乳母をさがらせた。 「妃よ、そんな顔をするな。オーロラの命はリラの魔法で守られている」  王の声に妃は眉をよせて答えた。 「でもあなたも気がついたでしょう? あの鴉は……予言の鴉でした。私たちは宴にあの魔法使いを呼ぶべきだったのかも」 「妃よ、王子の誕生が予言の成就だとは限らない」  王はきっぱりといい、苦悩する王妃をなだめた。 「あの鴉の言葉がたまたま当たっただけでないと、誰にいえる? 宴には12人しか呼べなかったのだ。すんだことは忘れなさい。仮に呪いが本当になるとしても、リラの魔法がある」  そうはいっても、王もカラボスの呪いとリラの魔法について、くりかえし考えてしまうのだった。王子は紡ぎ車によって十五歳を迎える日に死ぬとカラボスはいい、リラは、死なないが百年の眠りにつく、といった。仮にリラのいったとおりになったとしても、フロレスタン国は王子をある意味で失うことになる。 「……紡ぎ車を禁止しよう」  王の言葉に、王妃はハッと顔をあげた。 「十三人目の魔法使いの呪いは紡ぎ車によっておきる。紡ぎ車がなければいいのだ。国じゅうにふれをだし、すべての紡ぎ車を集めて焼こう。新たに作ることも、こっそり使うことも許さない。これで王子は守られる」 「でも、あなた、紡ぎ車はとても大切な道具です」  王妃は急いでいった。 「羊の毛も麻も綿も、紡ぎ車がなければ糸になりません。みんな困ることになります」 「羊毛とひきかえに買えばいいではないか。我が国には蓄えがたくさんある。紡ぎ車などなくても大丈夫だ。糸も織物も買えばいい」  王はそういったが、王妃は不安だった。紡ぎ車は城はもちろん、民の家にも貴族の館にも一台はある、ごくふつうの道具だった。女たちは空いた時間に糸をつむいだり布を織ったりして、家族の日常着を作るのだ。  フロレスタン国の外から来る商人の中には糸を商う者もいたが、長い距離を運ばれてくる糸は晴れ着用の特別なものだった。ふだん着のために糸を買うようになれば、そのためのお金が必要になる。女たちは糸紡ぎに費やしていた時間を別のことに使うだろうが、そうなるといったい何が起きるだろう?  とはいえ王の話には一理あった。紡ぎ車による呪いを避けたければ紡ぎ車を失くせばいい。 「いい考えだろう? さっそくリラに話そう。そうだ、紡ぎ車を集める時もリラの魔法に手を貸してもらおう」  王は自分の考えに酔ったようにうきうきした様子で立ち上がると、王妃を置いて出て行った。王妃は夫の背中を見送ったが、ふと、自分たちはフロレスタン国の未来に大きな、後戻りできない変化をもたらしてしまったのかもしれない、と思った。  でも、すべてはこの子の未来のためなのだ。  王妃は王子の寝顔をみつめ、ぷくぷくした頬をそっと撫でた。  リラは王の考えに反対しなかった。魔法で紡ぎ車を集めてほしい、という王の願いもすぐに叶えてくれた。人々には一度だけおふれが出された――これからフロレスタン国では紡ぎ車を使うことが禁じられる。今ある紡ぎ車はすべて王家が没収する。  こうして集められた紡ぎ車は、鴉の羽根を焼いたのと同じ城の裏庭に積みあげられ、火をつけられた。濃い灰色の煙が遠くからでもみえるくらい高くのぼり、紡ぎ車はすべて灰になった。  こうなってはじめて、民の一部は王家に不満をもつようになった。糸紡ぎをしてはならないし、紡ぎ車を作ってもならない。そうなると糸紡ぎ職人は仕事を変えなければならないし、木工職人は商売の品をひとつ失う。糸紡ぎ職人の中にはフロレスタン国を出て行く者もいた。  かわりにあらたな商人たちがやってきた。糸の自給自足ができなくなったので、王が呼んだ糸商人である。彼らは砂金や羊毛をフロレスタン国から運び出し、糸だけでなく、フロレスタン国では作っていないものをあれこれ持ちこむようになった。人々は商人がもたらす新しいものに魅了された。  こうして糸の取引をきっかけに、フロレスタン国はすこしずつ変わりはじめた。紡ぎ車と糸取引以外にも、大きく変わったことがひとつあった。王は魔法使いリラを正式な王の顧問として、また王子の教育係として、城内に住まわせることにしたのだ。  もっとも王が最初に頼んだとき、リラはきっぱり断ったのである。城にずっと留まっていては魔法の探求が滞ってしまう、という理由だった。しかし王は何度も頼みこみ、さらに、城の東西南北にそびえる四つの塔のうち東の塔を自由に使ってよいといって、ついにリラの承諾を得た。  白い髪に青いマントをなびかせた魔法使いリラは王の隣に立ち、毎日のように王の相談にこたえ、やがて自発的に意見をするようになった。リラの助言で糸をはじめとした貿易は軌道に乗り、リラの魔法で人々の不便はときおり解消されたから、リラを城に迎えた王の決定に反対する者はいなかった。  それどころかフロレスタン国の人々は、これまで以上に美しく決断力のある魔法使いに魅了された。リラはとても勤勉でもあって、空いた時間は城の塔で魔法の研究にうちこんでいた。彼がたくさんの道具を運びこんだのでやがて東の塔は手狭になり、王は北の塔もリラに与えた。やがてリラは西と南の塔も使うようになった。  とはいえ、そんなリラを不穏に感じ、疎ましく思う者も少数ならいた――たとえば王妃である。しかし王がリラを信じきっているのをみると何もいえなかったし、すくすくと育つオーロラ王子に向きあえば、愛らしさで不穏な心も消えてしまう。  オーロラ王子は十一人の魔法使いたちに与えられた贈り物のとおり、美しく健やかに育った。
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