KHM153 / 序章 灰雪と銀狼のエピローグ

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KHM153 / 序章 灰雪と銀狼のエピローグ

【01】  どうせなるなら、お姫様がいいわ。誰か助けてって泣いたときには、とびきりかっこいい王子様が助けに来てくれるの。  リリア。あなたときたら、そんなわたくしの言葉を笑っていたわね。「そんな人はどこにも存在しないし、アンナは助けてなんて泣かないでしょう」って。  でも残念。あなたの言葉が半分はずれってことが今日証明されたわ。だって今、信じられないくらい綺麗な男の人がわたくしの目の前に眠っているんですもの。 「……眠ってなどいない」 「あら」しゃがみこんで男の顔を眺めていたアンナは、ぱっと顔を輝かせた。「あらあら、まあまあ! おはようございます! とっても奇遇ね! わたくしも今ちょうど通りがかったところでね、ええもちろん偶然よ! それにしたって、こうやって目を覚ましてお話できる日がくるなんて! 一刻ごとに様子を見に来たかいがあったわ!」 「息をするように矛盾するな、君は」  表情に乏しく、されど声音だけはうんざりした様子で男が返す。おりしも小さな天窓から、朝一番の冬の日差しが差し込んで彼を照らした。  素晴らしいタイミングだわ。アンナはうっとりと思いながら、瓶底眼鏡をかけなおした。当然、男の顔はぼやけて見にくくなるが、心の写真帳(アルバム)にはしっかりと納めてある。  色白で黒髪の、美しい青年だ。上下そろいの着古した服は黒色。なのに、不清潔な感じはどこにもない。肉食の獣が日陰で休んでいるときのような、ほんの少しの気怠さと凛とした雰囲気を漂わせている。上背(うわぜい)はアンナよりもあると思う。思うというのは、彼が立ったところを見たことがないせいだ。  青年は、今日も石壁に背を預けて眠っていた。石造りの床の上だ。そして、アンナと彼を隔てるのは無骨な鉄格子。  ひと月前、アンナはこの地下牢で眠れる青年を見つけた。その間、一度だって目を覚まさなかった彼につけた渾身(こんしん)の呼び名はこうだ。 「眠りの君さま……」  アンナがほれぼれと呟けば、微妙な沈黙のあとに青年がゆっくりと問うた。 「何の目的で、ここに来た。アンナ・ビルツ」 「まあ嬉しい! わたくしの名前をご存知なの?」 「この国で、君の名前を知らない人間はいない……なんだ、その気持ち悪い笑みは」 「えっへへ……だって、憧れの眠りの君さまに名前を呼んでもらったんですもの! 胸がきゅってなるわ! ときめきなのだわ!」 「……もう終わりでいいか」 「あーん、待って待って! もっとお話しましょ! せっかく数百年ぶりのお目覚めなのだもの……あっ、ごめんなさい! これはわたくしの妄想の話だったわ!」  呆れたような青年の沈黙を無視して、アンナはぴんっと指を立てた。 「さっき目的はなにかと仰ってたわね。よろしい、お答えしましょう。わたくしは屋敷を散歩していたの。せっかくだから、あちこち扉を開けてね。そうしたらなんとびっくり、階段下の物置に階段があったというわけ。実際ここは地下ではなくて、半地下だけれど。ところで眠りの君さま、あなたはどうしてこんなところに? やっぱり、悪い魔女に呪いをかけられてしまったのかしら? 姫を助けることができずに、長い眠りについてらっしゃったとか? それにしたって、本当に美しいお顔だわ。一体どこの方なんでしょう? あぁ大丈夫よ。これでもわたくし、古い地図もしっかり読み込んでるから、地理には詳しくて……うん? 眠りの君さま? 死んだ魚のような目をして、どうなさったの?」 「……君の子供みたいな質問量にうんざりしているだけだ」 「まあ」アンナは目をぱちりと瞬かせたあと、微笑んだ。「それなら良かったわ。てっきり体調が良くないのかと。もうすぐ春とはいえ、ここはひどく寒いもの」 「薄着の君に言われたくはない」 「心配してくれるのね。でも大丈夫よ。慣れているから」  くたびれた灰色のワンピースをはたいて、アンナは立ち上がった。牢屋の扉を軋ませて開ける。鍵は必要ない。最初からかかっていないのだから当然だ。  ならば彼は、どうして地下牢にいるのだろう。浮かんだ疑問はけれど、彼がうんざりするだろうから胸に留めておいた。 「というわけで、眠りの君さま。せっかくだから上の部屋に行きましょう? お話はいつだって、おいしいお茶と菓子を囲んですべきだわ」 「断る」 「えっ」  アンナが間抜けな声をあげる間にも、青年は目を閉じてしまった。まるでこれ以上の理由は必要ないと言わんばかりだったし、実際、彼の言葉の続きもない。  少し迷ったあと、アンナはおずおずと声をかける。 「でも、ここは寒いわ。体に良くないでしょう?」 「必要ない」 「霜が降りることだってあるでしょうし」 「厳冬の山を歩くのに比べれば、はるかにましだ」 「その……わたくしがうるさいと言うのならば、どこか別の部屋に行きますから」 「……君のせいじゃない」  最後のほうのアンナの声はずいぶんと小さかったけれど、青年には聞こえたようだ。  うんざりしたような、でもどこか柔らかな声音の返事のあとで、青年がまぶたを上げた。灰をまぶした炎色の目がアンナに向けられる。 「命令がない。だから僕はここから出られない。それだけのことだ」  
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