KHM153 / 序章 灰雪と銀狼のエピローグ

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*****  陰惨な昔話は、前触れもなく途切れた。救いなんてなく、アンナはこみあげる後悔とともに消えてしまいたくなる。  彼の過去を知りたいと思った。そうすればもっと、上手くやれるだろうと思ったからだ……そう、結局は自分が安心したいだけだった。あぁ、なんて身勝手な考えだったのだろう。こんなのあまりにもひどすぎる。彼に過去を語らせることは、彼の古傷を暴いて、短剣を突き立てるのと同じことだ。そういうことをしたのだ、自分は。  よりにもよって、アンナ・ビルツだった人間が、それを求めたのだ。  最低だ。最低だ。最低だ。吐き気のするような自己嫌悪に、アンナは口元を押さえて顔をうつむけた。今すぐに頭を石床にたたきつけて死んでしまうべきだと思った。でも、できなかった。糾弾するでもなく、蔑むでもない、彼の穏やかな声が続いたからだった。 「君の言うとおりだよ、アンナ。信じたいと思うことは、信じられないと思うことと同じだ。僕は、僕を信じたいと思う。だが、仲間殺しを仕方なくやっていたのか、そうでないのか。いまだにずっと分からない。誰も殺さずにすむ方法があったんじゃないか。誰かを大切に思うなら、真っ先に僕が殺されてやるべきだったんじゃないか。それなのに仲間を殺して食べ続けたということは、はじめから僕の本性は人殺しだったんじゃないか。命令されれば、迷いなく誰かを殺す。そんなのは人間じゃない。武器そのものだ……だから無駄だと、僕は君に警告した。僕の本性は、どうあっても変えられないと思ったから。なのに君は話も聞かず、僕を助けた」  どこか優しい青年の言葉に、アンナは泣きながら首を横に振った。情けなくて、頭がどうにかなりそうだ。 「……慰めないで……」 「慰めなんて言わない。僕は事実を並べているだけだ」 「事実なんかじゃないわ……だって、助けてなんかないもの……」 「体を守ることより、心を守ることのほうがずっと難しい。君はより難しいほうをやり遂げたんだ。だから僕は昨日、君を傷つけずにすんだ」 「っ、心だって守れてない……! だって、あなたの過去をめちゃくちゃにしたのは、わたくしだわ! 今も昔も、わたくしはあなたを傷つけてばかりじゃない! あなたのことをちゃんと守りたいのに!」 「君は相変わらず、欲張りだな」  青年が苦笑いした。欲張りなんかじゃないわ。それこそ、事実の話をしているだけよ。大真面目の反論はしかし、顔を上げた瞬間にアンナの頭から吹っ飛んだ。  呆れたような、懐かしむような、愛おしむような。あどけない少年のような表情で、彼は笑っている。 「……ずるい、わ……」  彼に目を奪われたまま、アンナはぽつりと呟いた。  そんな顔で笑わないでほしかった。なにもかも許されるんじゃないかって、勘違いしてしまうからだ。それくらい、アンナという人間は愚かだった。アンナ・ビルツとは似ても似つかない馬鹿な女だった。そんなこと、アンナ自身が一番良く分かっていた。  あぁ、でも、なんて罪深いのだろう。わたくしは、彼の笑顔をずっと見ていたいと望んでいる。この優しい表情を。たくさんの過去があるはずなのに、まるで何もなかったかのようなふりをして慰めてくれる。強くて美しい、この人を手放したくないと、願っている。  アンナは毛布を握ったまま、よろよろと立ち上がった。青年が不思議そうな顔をする。こんなことをするべきじゃないと理性が言った。けれど結局、彼の目の前までたどり着いてしまったのだから、その理性も良い子ぶりたいだけの見せかけに違いない。 「もしも、」どうか自分を罵倒してほしいと泣いて願いながら、アンナは唇を震わせた。「もしもわたくしを責めないと、言うのなら。どうかわたくしを、あなたの花嫁にして」
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