KHM153 / 序章 灰雪と銀狼のエピローグ

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【05】  再びの目覚めは、暖かなぬくもりの中だった。朝の弱い光のなかでアンナが顔をあげれば、青年の寝顔が間近にある。  夢じゃなかったのだわ。ほんのりと幸せな気持ちになりながら、アンナはそろりと眼鏡をずらした。ゆっくりと体を動かし、彼がいまだに眠っていることを確認してから、頬に指先で触れる。白い肌はしっとりしていて、どこか人形めいている彼が、ちゃんと生きている人間なのだとしみじみと思う。  青年が目を開けた。アンナは慌てて顔をうつむけ、眼鏡をかける。 「何をしている」 「なんでもないわ」  子供のようなごまかしを口にするのもなんだか楽しくて、アンナは笑みをこぼしながら眼鏡越しに青年と目をあわせた。 「おはようございます、眠りの君さま。とっても素敵な朝ね」 「早起きすぎる」青年はくあと小さくあくびをした。「普段なら眠っている時間だ」 「あら。わたくしは起き始めてる頃よ」 「一晩中起きているのに?」 「あまり長く眠れないの。二時間か、三時間か、それくらいね」 「そうか」と眠そうに相槌を打った青年は、アンナの肩からずりおちた毛布を引き上げた。ほんのりとしたぬくもりと、心地よい腕の重みが戻ってくる。去りがたい誘惑に目を細めたところで、アンナは青年がじっと見つめていることに気がついた。 「どうかなさったの」 「ずっと気になっていたんだが、君はそんなに目が悪くなったのか?」 「あぁ」アンナは眼鏡のつるに指先をかけた。「目は悪くないわ。これは見ないようにするために、先生が作ってくださったの」  青年がかすかに眉根を寄せた。特に隠すことでもないので、アンナは苦笑いして言葉を続ける。 「魔女は分かる?」 「君を追いかけている、狩人の男だろう」 「そう。人は己の罪を自覚すると、不思議な力を手に入れる。そんな人たちのことを、わたくしたちは魔女と呼ぶ。でもね、わたくしの目は見えすぎてしまうの。罪を暴いて、魔女にするだけじゃない。魔女たちの心を壊して、殺してしまう。そういう危険なものだから、眼鏡で隠さなければならないのよ」 「僕に対しても?」  静かな問いかけが、どこか寂しげに聞こえたのはきっと気のせいだ。あるいは、わたくしが浮かれすぎて舞い上がっているせいね。心の中で苦笑を、彼に向かっては冗談めかした笑みを浮かべつつ、アンナは声音だけは真面目に「もちろん」とうなずいた。 「だって、あなたは未来の旦那様ですもの」 「……僕の好みは、物静かでおしとやかなご令嬢なんだが」 「うふふ。そんなに照れなくたっていいのよ」  アンナは立ち上がった。なにはともあれ、彼の傷の手当が必要だ。血は止まっているようだったけれど、彼の右手はすっかり赤黒くなっている。  ずいぶん軽くなった藤かごを取りあげた。そこで、足音がした。  鉄格子の向こう側、階段を降りきって姿を現したのは二人の男だ。薄汚れた狩人の服を着た男がアンナをにらみつけている。彼を従えているのは、身なりのいい男だ。(えり)を立てた黄土色(キャメル)外套(コート)をまとい、磨きあげられた革靴と、なでつけられた茶髪がささやかな朝の光を汚すように輝いている。  アンナは凍りついた。 「……メレトス様」  なんとか口にできたのは、男の名前だ。商家の嫡男(ちゃくなん)にして、アンナ・ビルツの婚約者。そしてアンナに狩りの遊戯(ゲーム)を命じた張本人。  けれど何故、ここにいるのか。彼は古臭いビルツ邸を毛嫌いしていて、よほどの用がない限り立ち寄ることはない。次に来るのは、この冬の終わりだったはずだ。狩りの結果を確認しにくると言っていたのだから。
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