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「ごめんなさい……」
「……自己防衛なら、仕方ない……」
陽光差し込む地下牢からの返事は少しばかり冷ややかで、アンナはしおしおと地面にしゃがみこんだ。
眠りの君は、片手でぎこちなく耳元の手当をしている。毛布に直撃された反動で、階段で足を滑らせて落ちたにしては軽症だ。されども、またしても自分が原因の怪我なので、アンナとしては気が気でない。
青年が綿紗や塗り薬を藤かごから取り出していくのを眺めながら、アンナはそうっと問いかけた。
「遠慮しなくても、わたくしが手当してさしあげるわ」
「必要ない。今度はなんの罠をけしかけられるか」
「なっ、なんでもかんでも準備しているわけないでしょう!」アンナは控えめに口をとがらせた。「そもそも、昨日の毛布だって狩人さんから逃げ切るためだけの仕掛けだったのだし……怪我させるつもりなんて、これっぽっちもなくて……」
「……分かっている」
青年の返事が少しばかり柔らかくなった気がして、アンナはぱちぱちと目を瞬かせた。
「……もしかして、今のは冗談だったのかしら?」
「さあ、どうだろうな」いつもどおりの口調で返し、青年は使い終わった道具を藤かごへ戻した。「いずれにせよ、武器をもった人間に立ち向かうのは悪手だ」
「それをいうのなら、女性を追いかけ回すのもどうかと思うわ」
返事をしてから、アンナははっと口元に手を当てる。今のは性格が悪すぎる返事だわ……、とアンナが反省するなか、青年は特に気にした様子もなく、「そうだな」と返しながら鉄格子ヘ背を預けた。
「君の言うとおりだ。だが、これだけはどうしようもない」
「命令されたら、従わなければならない?」
「そのとおり」
「でも、怪我してるでしょう? 痛くて休みたいとか、思わないの?」
「思うことと、体が動くことは別物だ」
彼の声音はあまりにも淡々としていて、まるで別の誰かのことを話しているようだ。
どうしようもなく悲しくなって、アンナは顔をうつむけた。
「そんなの、おかしいわ」
青年が小さく笑った。好意的なものではなく、ひどく神経を逆なでするような笑い方だ。
「君の言葉を借りるなら、僕はおかしいとは思わない」
「ねぇ、そんな言い方ってないわ」アンナは眉をひそめた。「あなたは人間で、武器なんかじゃないのよ。自分の体を大切にしなくちゃ」
「いいや、僕は武器のようなものだ。あくまでも例えだが」
「そんな言い方しないで」
「〈王狼〉とは、かつてこの国に存在した王の手足だ。荒事を請け負う集団だった」
冷めた言葉に、アンナは口をつぐんだ。青年はやはり背を向けたまま言葉を続ける。
「平時であれば暗殺者の集団だが、有事であれば極めて優秀な兵力だ。そして三年前のこの国は、たしかに王にとって有事だった」
「末娘のアンナ・ビルツが革命を起こしたから」アンナは目を伏せた。書物で読んだ記録をたどる。「王は死んだわ。革命軍が彼を捕らえて断頭台で首をはねたのだもの。それこそが、アンナ・ビルツが英雄たる証でもある。眠りの君さま、あなたは主を殺されたことを恨んでいるの?」
「まさか。武器に感情はないと言っただろう。僕は来歴の話をしているだけだ」
「同じことだわ」
「君に罪はない」
「アンナ・ビルツが王を殺したのよ。それはつまり、わたくしだわ」
アンナは思わず声を大きくした。青年が少しだけ首をひねって振り返る。無感動な表情で、責める色はない。だからこそ、直接責められるより、よっぽど苦しい。
記憶がないから罪がないというのであれば、アンナはアンナ・ビルツではないということだ。
じゃあ、わたくしは一体誰なの。
唇の裏をきゅっと噛んで、アンナは乱暴に立ち上がる。
「あなたは武器なんかじゃないし、体を休めるべきだわ。待ってらして。わたくしが何か方法を考えてみるから」
「時間の無駄だ。やめたほうがいい」
「いいえ。アンナ・ビルツは稀代の戦術家と言われるほどに頭が良いのよ。絶対に助けてみせるわ」
他ならぬ自分に言い聞かせるように宣言して、アンナは足早に地下牢を後にした。
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