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夜になっても、雪は降り止まず、その街をおおいつくそうとしている。
「パンどうぞ」
男性の大きな声が聞こえた。
太田のことを思い出していたせいか、声が似ているようでビクリとしてしまった。
「配送中のパンを配っていいと会社から許可がありました。遠慮なさらず、どうぞ」
雪の中、大きなケースをソリのように引きながら、男が近づいてきた。大柄で笑顔を振りまいている。
その顔は確かに太田だった。
慌てて、顔を背けた。
自分に気づくわけがない。同窓会には一度も参加していない。年をとった自分に気づくはずがない。
でも、自分は太田に気づいてしまった。
顔を隠すように外をのぞくと、太田は車一台、一台に声をかけ、ケースの中からパンを取り出しては渡している。
もうすぐ、自分の車の番だ。
顔を合わさないように寝たふりをする?
そんなことをしたら、さっきのように窓を叩かれてしまうだろうか。叩かれても構わない。会う必要なんてない。
でも、太田は自分を見たら、どう反応するだろうか。
自分の服装をながめた。ブランド物のスーツと高級腕時計。
さっき、外に出て乱れた髪をなでつけ、深呼吸すると、窓を少しだけ開けた。
「アンパンです」
太田はにっこり微笑んでいた。
ありがとうと口に出して言う気にはなれず、軽く会釈した。
こちらには気づかなかったのか、太田の表情は変わらなかった。
いじめられっ子はいじめっ子を忘れないが、いじめっ子は忘れている。よく聞く話だが、本当なのかもしれない。
狭い隙間から受け取ったパンは氷のように冷たい。ダッシュボードの上に置くと、外へ出た。
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