羨望

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羨望

 周囲の話題についていきたいがために登録したアカウントだった。  高校の同級生たちをフォローし、部活がどうの、今期のアニメがどうのというくだらない投稿を流し見し、自分も面白みのない内容をあげる。ただそれだけ。  だから、ダイレクトメッセージの通知が来たときはびくびくした。開いてみると、知らないアカウントから。アイコンは真っ黒。名前は「消しゴム」とあった。メッセージはこうだ。 「消したい人、居ませんか? 今なら無料で一人だけ消すことができます。他に対価は要求いたしません。善意でしていることです。ユウさんの心を少しでも軽くするお手伝いをしたいのです」  ブロックしてしまえばそれで済む話。けれど、それができなかった。  僕に……消したい人がいたからだ。  それは兄。僕より三歳年上で、難関大学にストレートで合格した兄。僕と違って背が高くて顔立ちも整っており、運動までできた。  そんな兄と常に比べられてみろ。紙やすりで削られるように、僕の心は摩耗していった。兄は僕に優しく接してくれたが、それすら鬱陶しくて。このところ、顔を合わせても挨拶すらしていなかった。 「兄を消してください」  そう、メッセージを打ってしまった。返事はすぐに来た。 「かしこまりました! 明日までお待ちください!」  僕はベッドに寝転がり、スマホを放り投げた。本当に悪趣味ないたずらだ。こんなメッセージのやり取りだけで、人が消せるはずなんてない。大体、個人を特定していない。兄、と送っただけだ。 「ははっ……」  僕もどうかしているな。こんなことに応じてしまうなんて。翌日は休みだったので、アラームをかけずにのんびり眠ろう、と意識を手放した。  目覚めたのは朝七時。いつも学校に行く時と同じ時間だった。もう少し眠ろうか、と思うも、お腹がすいてしまった。僕はリビングに行った。父と母がソファに座っていた。母が声をかけてきた。 「おはよう、ユウくん。早いんだね」 「ん……目、覚めちゃって。お腹すいた」 「クロワッサンならあるよ」 「ありがとう」  インスタントコーヒーを作り、クロワッサンを食べながら、僕は昨夜のことを思い出した。あのいたずらに乗っかってしまったことを。僕は父と母に問いかけた。 「ねえ、兄ちゃんは?」  父が首をひねった。 「兄ちゃん? 何のことだ?」 「えっ……兄ちゃんは、兄ちゃんだよ」 「何言ってるんだ。お前は一人っ子だろ」  まさか。僕は慌ててスマホを確認した。しかし、あのダイレクトメッセージの履歴自体が存在しなかった。消しゴム、と検索してみても、それらしいアカウントはなかった。僕は父と母にすがりついた。 「ねえ、いたでしょ、僕の兄ちゃん! 三つ上で! 今は大学行ってる!」  母は眉根を下げ、僕の肩をさすった。 「どうしたの、ユウくん……変な夢でも見た? あなたにお兄ちゃんはいないよ」  僕は立ち上がり、家族のアルバムを開いた。大きくなってからはともかく、幼い頃は兄と撮った写真がたくさんあるはずだった。しかし、ページをめくれどめくれど、兄の姿は見つからなかった。 「嘘でしょ……じゃあ……」  続いて、兄の部屋に行ってみた。そこは物置のようになっていて、家具はなく、父のキャンプ用品や今は使わない季節用品、クリスマスツリーなんかが雑然と置かれていた。 「兄ちゃん……」  僕はそのままそこで膝をつき、ぐすぐすと泣いた。僕は……僕は、本当に消したかったわけじゃない。確かに、羨ましかった。まぶしくて仕方なかった。だからこそ、大好きだったのだ。  それから僕は、一人っ子として日々を過ごしている。あのアカウントは削除した。月日が経つにつれ、僕に兄がいたという記憶の方が間違っているのではないかと思うようになった。このまま、兄を想うこともなくなるのだろうか。わからない。既にどういう顔をしていたのかさえ思い出せなくなっており、唯一浮かぶ兄の名前をそっと呟くのみだ。 了
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