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第3話
──そして、イベントが無事終わり。
私たちは、会場の近くにある海が見える公園で休憩をしていた。
「凄く良かった~! 市松猫さんカッコ可愛かった!」
オタクは尊さに弱い生き物ではあるが、今日のイベントは特に尊さが凄かった。
市松猫への感謝を噛み締めるように余韻に浸っていると、芽衣がふっと笑った。
「実はさ……私、友達とこうやって出かけるの初めてなんだよね」
「え!? そうなの!?」
私は目を瞬かせながら答える。
「でも、いつもクラスで友達に囲まれながら楽しそうに話してなかった?」
「あれは上辺だけの関係だよ。休日に一緒に遊んだりしないし。……こんな風に、素の自分を出せる相手は水谷さんが初めてかも」
芽衣はそう言いながら笑顔を見せるが、私は未だに信じられなかった。学校一の美少女が実は「ぼっち」だなんて。
「これでも、一応演技は得意だからね」
芽衣は、私のほうを見ながら茶目っ気を含んだ笑みを浮かべる。
「みんな、芸能人の夏川芽衣を見てるだけなんだよ。本当の自分を見せたら嫌われちゃうし、求められもしない」
私は言葉を失った。何故なら、自分も同じ考えだからだ。
普段SNS上でやり取りをしているフォロワーたちに本当の姿を見せたら、間違いなく嫌われてしまうだろう。
望んで「愛莉」を演じているはずなのに、時々どうしようもなく自分に嫌気がさしていた。
あれこれと複雑な思いを抱えながら黙り込んでいると、不意に芽衣が言った。
「そう言えばさ。前から言おうと思ってたんだけど……水谷さんの下の名前、すごくいい名前だよね」
「え?」
「文子って、すごく綺麗で素敵な名前だなって前から思ってたんだ」
突然の賞賛の言葉に、顔が熱を帯びてくるのがわかる。
私は、この古臭い名前が嫌いだった。……いや、名前だけじゃない。自身のネガティブな性格も、顔も何もかもが嫌いだった。
だからこそ、SNS上で「愛莉」を作り出して演じていたのだ。
でも──芽衣はこんな自分でも仲良くしたいと言ってくれた。認めてくれた。それが、何よりも嬉しかった。
「……ありがとう」
気づけば、無意識にそう返していた。そんな私を見て、芽衣は満足げに笑みを浮かべた。
ふと、自分の中である葛藤が生まれた。これ以上、SNS上で「愛莉」を演じていていいのだろうか? 友達に隠し事をするなんて、やっぱり後ろめたい。
だからといって、「愛莉」として積み上げてきたものを壊すのも気が引ける。私は、大きな決断を迫られていた。
──結局、自分はどうしたいんだろう?
(私は──)
数日後。
私は、椅子に座ってスマホの画面を見つめていた。
画面に表示されているのは、「愛莉」のアカウントだ。私は、このアカウントを削除しようとしていた。
少しでも指が触れれば、アカウントが消えてしまう。踏ん切りがつかないまま、時間だけが過ぎていった。
「──よし、決めた」
やがて意を決した私は、苦労して積み上げてきた「愛莉」のアカウントを削除した。
けれど、不思議と心は晴れやかだった。
『ねえ、どうして私を消したの?』
ふと、「愛莉」がそう尋ねてきたような気がした。
あなたは過去の私。塞ぎ込んで、自分を偽り続けるしかなかった頃の私だ。だから、こう答えてやる。
「あなたを消した理由はね……もう、自分を偽る必要がなくなったからだよ」
もう、二度と仮面を被る必要はないんだ。そう思うと、心が軽くなった。これからは、自分を偽らずに人生を楽しもう。
そう決心すると、私は顔を上げる。そして、スマホを操作して新しいアカウントを作った。
『そう言えば、ようやくSNSアカウントを作ったんだ』
アカウントを作り終えると、真っ先に芽衣にメッセージを送る。
『え、本当!? どんな名前にしたの?』
『フミだよ』
そう返すと、ほどなくして既読が付く。
『ほとんど本名なんだね。何か理由があるの?』
『そんなに大それた理由じゃないけど、一応ね』
『え? なになに?』
『内緒』
『えー! 気になる!』
勿体ぶらないで教えてよ、とせがんでくる芽衣に対して私ははぐらかす。
(前に、芽衣が「素敵な名前だね」って褒めてくれたからだよ)
──なんて、とてもじゃないけど気恥ずかしくて言えなかった。
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