ランブル

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ランブル

 ショコラクラシックのこげ茶色のスポンジの屑をフォークの先で集めていると、向かいあった席で水野が息をついた。  長いため息は、4日前の旅行で健司に背を向けて謝ってきた宏之の唇を思い出させる。健司がにらむと、水野は顔の前に掌を持ってきて、とりなした。 「なあ、聞いていい?」  フォークを弄ぶ手は止めず、もう片方の手で思い顎を支えてから、健司はいった。 「処女とやったことある?」 「はあー」  口元に持ち上げたアイスオレンジティーのタンブラーを置いて、水野が苦笑いする。 「なに、それ」 「ある?」 「そりゃあるけどさ」 「どやった?」  なおもなにかいいかけようとする水野を遮って、健司は身を乗り出した。 「やっぱ、処女って重いやろ」 「なんだよ、いきなり……」 「暑苦しいとかうざいとか、そんなん、絶対、あるやんか」 「まあ」  カフェは平日の午後ということもあって比較的空いていたが、当然数人の客と店員がいる。水野は素早く周囲に目を配って、声を顰めた。 「ぶっちゃけ、それはあるよ。好きなら嬉しいけど、べつにそうでもなかったら、マジかよみたいな。とくに、はじめてってこと強調されると、なんか押し売りされたみたいな気になるよな」 「好きとかって何回も聞かれたりとか」 「それもちょっと嫌だな。うざってえ」 「だれがそこまでいえいうた」  丸めたストローの袋が水野のTシャツの胸にぶつかって、床に落ちる。 「自分で聞いてきたくせに……」  ストローの袋を拾おうと屈みかけた水野が、そのままの姿勢で静止した。 「ひょっとして、宏之さんとやったの」  付きあっているのかという質問からは、うまく逃げられる自信があった。しかし、いきなり露骨な表現をされて、健司はつい口ごもった。 「マジかよお。やっぱそうなんだ」  健司の返事を待たず、水野は大仰に頭を抱えた。 「やってへん。勘違いすんなや」 「でも好きなんだ」 「ええー……」 「かっこいいーとか、やさしいーとかじゃなくて、好きなんだ」 「うー……」  次々に畳み掛けられて、健司はすっかり黙り込んでしまった。ずばりいい当てた水野も嬉しそうではなく、むしろ健司以上に落ち込んだ様子で、抱えた頭を神経質に指で叩いた。友人としては、確かに、複雑な思いだろう。 「付きあってんの」 「付きあって……ます」  水野がなにかいいかけようとするのを遮って、健司は肩を竦めた。 「でも、わからん。別れるかも」  嫌われてるっぽいしと繋ごうとしたが、こんどは水野のほうが先回りしていった。 「おまえ、遠距離だめそうだもんなあ」  心得顔でいって、水野がストローを噛む。 「遠距離?」  健司が身を乗り出すのを見た水野の唇から、ストローの先がするりと離れた。 「やっべ……」  健司はフォークを皿の上に叩きつけて、椅子ごと後退しようとする水野のTシャツをつかんだ。  厨房の照明を落とし、裏口から外に出る。梅雨明けの朝の空はもう白みはじめていて、宏之の疲労を濃くした。 「わっ、びっくりした」  階段を降りかけた爪先が止まる。健司のほうは宏之の気配を確認していたらしく、ジーンズの埃を払いながら、立ち上がった。 「迎えにきた」 「ひとりで帰れるのに」  珍しく冗談をいってみたが、健司は気づいてもいないように掌で目を擦った。 「家からきたのか」 「メシ行ってた」 「だれと」 「水野」  一段上から上半身を倒して、眠そうな健司の唇に触れる。閉じたままの唇から微かにアルコールの匂いがして、宏之はこっそり笑った。はじめから泊まる気でいたことぐらい、いちいち確認しなくてもいいだろう。  マンションまでの道のり。会話は弾まなかった。気まずい雰囲気で終わった温泉旅行以来、ずっとそうだった。 「おれ、たぶんすぐ寝るぞ」  部屋の前で鍵束を選びながら、宏之は背後の健司を振り向くことなくいった。 「最近遅くまで店出られなくて。おまえも眠いだろ」  健司のほうを見ようとして、宏之は鍵を差し込もうとしていた手を止めた。 「なに、どこ行くの」  エレヴェータに向かって廊下を引き返す健司の肘をつかむ。抵抗する力は弱々しかった。 「やっぱ、帰る」 「今から?」  宏之は苦笑いして、顎をしゃくった。 「無理しないで、休んでけば。酔っ払ってんだろ、どうせ」 「酔っ払ってへん」  肩に移動しようとした宏之の手を払いのけるように、健司が身を捩る。 「酔えるわけないやろ……」  返すべき言葉が見つからずに、宏之は頭を掻いた。疎ましく思うわけではないが、正直、今は勘弁してほしい。 「何回も電話したんやで」 「ごめん……気づかなかった」 「大家さんにも電話した」 「はあ?」  半分眠気をおぼえていた宏之は、慌てて顔を上げた。 「なんでだよ。仕事中なの、知ってただろ。行方不明ってわけじゃないんだし……」 「来月いっぱいで、部屋出るんやってな」  宏之は沈黙した。  大家の話で、疑惑はほぼ確信に変わっていた。それでも、宏之が黙り込むと、健司の胸は音を立てて軋んだ。 「“鉄郎”も全国チェーンになるんや。すごいやん」  かろうじて唇を曲げてみせたが、笑顔にはならなかった。宏之の表情も硬い。 「正社員なるん?」 「ていうか……店長になる。たぶん」 「……すごいやん」  それで最近忙しそうやったんか。しかし、笑顔で祝福できるほど、健司はおとなではなかった。 「てことは……やっぱ、異動てことになるんや?」 「そう……かな」 「そやから部屋引き払うんやろ」 「うん……そうだな」 「そうだなって、なんやねん!」  まるで他人ごとのような宏之の態度に煮え切らなさを感じて、健司はついに声を張り上げた。 「ちょっと入れよ。中でちゃんと話すから」  廊下に沿って並んだドアを横目に見ながら、宏之が健司の口元を押さえようとする。唇を押しつぶす掌から伝わる匂いはごく薄かったが、なぜか噎せ返るような熱を感じとって、健司は自制できなくなった。 「温泉行ったときも、ずっとそのこと考えとったやろ。変やと思った。いつもより気遣ってくれるし……」 「なあ、頼むからでかい声出すなって」  宏之が懇願する。完全に手に余るといった風情だった。健司は情けなくなり、よけいにあとに退けなくなった。 「ヘタレ。いざってなって、びびったんやろ」  宏之の顔から表情が消える。核心をとらえたことを知って、健司は落ち込んだ。 「そりゃ、おれもプレッシャーかけたかもしれへんけど……」 「ちがう」  健司を遮って、宏之がため息をつく。 「あのときは、正直、確かに怖気づいた。責任って、どうしようって。責任って、だって、おまえ男だし、おれも、これから仕事が……って思ったら、もう頭んなか仕事でいっぱいになっちゃって、復活できなかった」 「だからって……」  顎が鎖骨にぶつかるほど深くうなだれて、健司はいった。 「ゆうてくれたらよかったのに」  独白にちかかった。目頭が痛んで、手の甲で雑に擦った。 「サトさんたちも、全然教えてくれへんし」 「みんなにはまだちゃんといってないんだよ。はっきり決まったら、おまえにもいおうと思ってたし、おれなりにいろいろ考えて……」 「噂聞かされたおれの気持ちは考えてへんかった?」  宏之が言葉を切る。 「おまえには、おめでとうつってもらえると思ってた」  搾り出すような声に、健司の胸は張り詰めた。 「おれが自己中なん、知ってるやろ。自分のことしか、おれは考えられへん」  完全に居直りだったが、宏之は怒りもせずに、ただただ申し訳なさそうに頷いた。 「おまえのことも、ちゃんと考えてたよ、マジで。箱根では、ほんとにおまえのことだけ考えてた。最近、新しい店舗のことで忙しくて、全然かまってやれてなかったし、これからは、もっと会えなくなると思う。それじゃ、付きあってる意味ないだろ」 「ちょ、待って」  思いがけない方向に話が進み、健司は慌てた。 「だから、もういっそのこと……」 「待って。ストップ!」  嫌な感覚が脊椎をぞわぞわと這い上がってきて、健司は怒鳴った。 「そんな話やったら、聞きたくない」 「いいから、聞けよ」 「嫌や。帰る」  経験したことのない恐怖に襲われ、健司は取り乱した。宏之の胸を圧し、踵を返した。不意を衝かれた宏之に追いつかれる前に、エレヴェータのボタンを押す。明け方でほかに使用する者もない箱は、ふたりが上がってきたまま止まっていた。ドアが完全に開ききらないうちに体を滑り込ませる。 「健司!」  指先に痛みをおぼえるほど何度もボタンを押す。全身をぶつけるような勢いで宏之の両手がドアに張られたが、すんでのところでドアが完全に閉まってくれた。  ゆっくりと箱が下降していくと、健司は虚脱した体を壁にもたせかけ、呻いた。頭蓋骨の奥が痺れるように重い。想像もしていなかった展開に、頭がついていけていない。今はともかく、一瞬でも早く帰りたかった。  エレヴェータが1階に着き、ポンと軽やかな音を立てる。開きかけたドアの隙間から腕が飛び込んできて、健司は声を上げかけた。  宏之は両手をドアの両側にかけ、こじ開けるように大きく広げた。一定周期で閉じようとするドアを押さえた両手で体を支え、大きく喘ぐ。口を開けても、すぐには声が出なかった。 「階段……降りてきたん?」  他にエレヴェータはない。宏之の答えを待たずに、健司は唖然として首を振った。 「考えられへん。なにしてんの」 「おまえが……」  噎せた。何度も深呼吸しながら、いった。 「おまえが、最後まで話聞かないから」  いい終わる前に、健司が腕を伸ばしてエレヴェータのボタンを押した。宏之の両腕にしっかりと押さえられたドアは当然閉まることができず、同時に、健司は逃げ場を失った。 「お願いやから、なんもゆわんでほしい。もう変な我儘はゆわんから、仕事の邪魔もせえへんから、別れ話だけはせんでほしい」  健司は狭い箱の隅に体を圧しつけて、少しでも宏之の言葉を遠ざけようとする。宏之が一歩でも足を踏み入れようとすると、まるで水槽のなかの闘魚のように大きく体を反応させて拒絶した。精一杯の懇願を聞いて、宏之はたまらなくなった。 「だれが別れ話なんかした」 「宏之さん」 「あのな」  宏之は呆れてため息をついた。 「会えなくなるぐらいだったら、いっそのこと、いっしょに暮らさないかっていおうとしたんだ、おれは」  壁と右手で耳を塞いでいた健司が硬直した。視線だけで宏之を窺う。 「箱根のときに思ったんだよ、もっとふたりでいる時間がほしいって。おれだって、寂しいんだ。もっと広い部屋借りて、でかいベッド置いて、そこに住もう、いっしょに」 「嘘やろ……」 「こんな嘘つくか」  健司がなにか呟いた。でもとかだけどとか、そういった種類の言葉だったように思うが、聞き取れなかった。もどかしさに耐えきれなくなり、宏之は壁と自分の胸とで健司を押しつぶすように体をぶつけた。  支えを失った自動ドアが、宏之の背中で閉まった。  部屋に入ろうとしたが、鍵がなかった。鍵束は階段の途中に落ちていた。少し離れた位置に、財布とその中身も散乱していた。ふだんあまり感情を剥き出しにすることのない宏之だったが、よほど焦っていたらしい。決して楽とはいえない階段を全速力で駆け下りる姿を想像して、健司は胸が締めつけられる思いがした。 「他の部屋のひとたちに、変に思われたかも」  やっと部屋に入って一息つくと、健司はさすがに声を顰めていった。 「いいよ。どうせすぐ出てくんだから」 「なんでそんなにやさしいん」  キッチンで汚れた手を洗っていた宏之が、なんともいえない微笑を浮かべて振り返る。ベッドに掛けた健司に体を寄せた。 「来週の休みに、部屋、見に行くか」  本気なんや……。疑っていたわけではないが、ようやく感激する余裕ができた。 「急やない?」 「平気」  健司の肩に腕を回して、宏之も楽しげにいう。 「おまえはどんな部屋がいい?」 「高いところ」  いかにも頭の悪そうな答えを返してしまい、健司は慌てた。 「でも、家賃とか、高いんちゃうかな」 「新丸子なら、安いところもあるだろ」 「新丸子って、那覇市?」 「那覇市?」  宏之が眉を寄せる。 「ちがう」 「じゃ、どこ?」 「神奈川県」 「神奈川?」  こんどは健司が戸惑う番だった。 「沖縄の店に行くんやろ?」 「いや。神奈川店だけど」  ふたりは漫画のように顔を見合わせた。 「でも、宏之さんが携帯とか本で沖縄のこと調べてたって、水野が……」 「それは、おまえが行きたいっていったから」  健司は耳を疑った。確かに、旅行の行き先に沖縄を希望したが、あっけなく却下されたはずだった。 「なんとかもう1日休み取れたら、おまえの行きたいところにしようと思って調べてたんだよ」  宏之が呆れて笑いを噛み殺す。 「どうりで話が大袈裟だと思った。2号店をいきなり沖縄に出すわけないだろ」  そういわれてみればそうだ。顔を赤らめながらも、遠くに行くわけではないと知って、健司は心底ほっとした。 「おまえは、もう、なあ……」  宏之も言葉を失って、いい加減な手つきで健司の腰を突いた。照れ隠しに仕返しをして、その遣り取りが何度か続くうちに、湿った雰囲気に変わった。  宏之の手が伸びてきて、頬を擦った。健司は顔の角度をわずかに変えて、石鹸の匂いのする掌に唇をあてた。  額同士が触れ、息が絡む。両手に顔を挟まれてするキスは、いかにも大切に扱われているという気がして、照れくさいが、嬉しい。口にしたわけでもないのに、宏之は完璧に理解しているとでもいいたげな穏やかな微笑で、何度も同じ角度から奪ってきた。  宏之といると、どんどん素が出ていくようで、少し恐かった。恐いのに気持ちがよくて、とても抑えられそうにない。  腕をとられ、導かれる。逆らわずに、宏之の首に腕を回した。自然にベッドに倒れこむ。宏之の汗の匂いが、健司の鼻腔をくすぐった。 「汗臭いだろ」  苦笑いでいうと、健司はブランケットに髪を擦らせて首を振った。 「汗かかしたの、おれやもん」  確かに。宏之もつい笑ってしまう。 「宏之さんの汗の匂い、好きやし」  微妙に目を逸らしながらいう健司を、宏之は本気で可愛らしく思った。自分は淡白な男であると自覚しているが、このときばかりは、突き上げるものがあった。ものもいわずに、唇を寄せた。健司が下から咬んでくる。自分が蛇口になって、喉が嗄れるまで唾液を啜らせてやる映像が頭に浮かんだが、実際には、健司に主導権を握らせてやった。おそらく健司には、いたってステレオタイプな行為の経験しかないだろう。恐がらせるのは本意でなかった。  健司が唇に気をとられている隙に、カットソーの裾に手を入れる。健司も少し汗ばんでいて、皮膚細胞がしっくりと掌に馴染んで溶けるようだった。  唇を離し、距離をつくって、カットソーをずらした。肋骨を食むと、健司の腰が浮き上がる。ぞくぞくとした感情がこみ上げてきて、宏之はすぐに乳首に口をつけた。健司の踵が床を打つ。座った姿勢から押し倒したので、ベッドに横向きに上半身だけを寝かせた不安定な体勢になっていた。宏之は左手で健司の脚を持ち上げて、ベッドの真ん中に乗せた。  汗を吸ったイグニオのタンクトップを脱ぎ捨てる。全裸になってしまうのは憚られた。臆しているわけではなかったが、無駄な緊張を健司に与えたくない。靴下だけを取って、ベッドに戻った。裸の上半身を擦りあわせるように、健司の上に重なった。以前までは遠慮していたが、構わず体重をかけた。健司は重いといって露骨に顔をしかめたが、満更でもなさそうだった。  乳首が弛緩しはじめている。腕を挙げさせ、カットソーを脱がせた。ジーンズに手をかけると、とたんに健司が身を硬くして、非協力的な姿勢を取った。 「自分で脱ぐ」 「いいよ。おれが」 「自分で脱ぐ」  諭しがたい切迫があった。宏之は諦めて、健司の剥き出しの肩を擦った。 「暗くしたほうがいいか?」  健司が頷く。宏之はベッドを出て、壁のスイッチを落とした。  滑らかな動きでベッドを出た宏之がスイッチを操作して、部屋の灯りが消えた。よく見えないといいながら、宏之はすぐには戻ってこなかった。さりげない気遣いが、健司には嬉しかった。  脚にまとわりつくデニムを剥ぎ取り、下着から爪先を抜く。暗闇のなかを影が蠢いて、宏之が近づいてきた。パイプベッドに宏之の膝が埋まって、引き攣れるような音がした。  いつの間にか宏之も服を脱ぎ去っていて、絡んだ脚の生な感触に、健司はぎくりと震えた。さっきは思い切りのしかかってきたのに、今は体同士の間に微妙な距離があった。それも、たぶん、宏之の気遣いだろう。  おどけたように過度に尖らせた唇が落ちてきた。唇の表面をざらついた舌先が辿り、唐突に塞いでくる。キスの途中で乳首を捏ねられ、健司は眉を寄せた。そこが感じることはもう理解しているが、強く圧迫されると、快感よりも痛みが勝る。 「痛いか」  訊かれて、首を振る。健司の顎の先から胸へと唇が降りていく。まだじんわりと痛む乳首の周囲をなぞられて、浮いた腰をつかまれる。すでに張り詰めている股間が宏之の腹筋を押し上げるのが、自分でもわかる。咄嗟に体をずらそうとしたが、逃がしてもらえなかった。  健司の腰骨を握りしめながら、宏之はしつこく乳首を啜った。腰を圧す手の動きとは対照的に、ちゅうちゅうと音を立てて乳首を吸う唇は子供じみていて、健司は安堵にちかい感覚をおぼえた。  快感をもてあまして俯くと、宏之の硬質的な髪が顎を擦った。両手で抱え込もうとすると、するりと抜け出ていく。唾液で濡れた乳首が外気に触れ、微収縮した。  腰に回されていた手に内腿を拡げられ、健司は我に返った。身構える前に、宏之の顔が股間に埋まった。無意識に脚を閉じようとして、かえって宏之の頭を挟んでしまう。羞恥に健司の顔は燃え上がった。 「いい匂いがする」 「宏之さん!」 「わかった、ごめん」  宏之は素直に謝ったが、声には笑いが潜んでいた。いたたまれずに、健司は掌で顔を覆った。  内腿に指先を埋めて、宏之は感嘆した。思ったより肌理が細かく、滑らかな肌は、宏之の指を押し返して、蠕動していた。肌の裏を駆け抜ける静脈の藍が、闇のなかでもはっきりと見えるようだ。  薄い肉を圧迫しながら、密生する糸を唇でさぐった。たちまち健司の下腹が焦れたように上下し、薄笑いを浮かべてしまいそうになる。驚かせないように気を配りながら、面白いほど過敏な反応を見せる性器に口をつける。シャワーを浴びさせなかったのは正解だった。即物的な匂いが立ち昇ってきて、愛おしさを募らせた。嫌悪じみた感情は皆無だった。指摘するとまた叱られてしまうので、宏之は無言で先端を含んだ。  口元を覆っているのだろう。くぐもった声が上がって、健司が仰け反った。 「だめ……マジ、だめ……」  健司が切れ切れに訴える。 「おれ、ぜったい……すぐ……」  怯えに嘘はなかっただろう。舌を這わせたとたんに、健司の触覚は質量を増し、宏之の喉を圧し戻してきた。自分に倫理観が欠けていることはわかっていたが、それでも、さすがに腰が引けるだろうと思っていた。しかし、舌に広がる独特の味と感触を意外なほど容易に呑み込むことができた。どこが感じるかは、よく理解している。過敏な部分を集中的に刺激すると、健司は息とも声ともつかない音を漏らして全身をのたうたせ、その素直な反応に宏之も昂ぶらされた。いつの間にか髪をつかんでいた指に力がこもり、健司が懇願しはじめる。 「だめ、だめ、だめ……」  ほとんど泣き声にちかかったが、赦してやらなかった。喉をぬめる液体を残らず啜るように、きつく唇を窄めると、健司の下腹がぎゅっと収縮した。呻くようだった健司の声が高まって、口中が粘液で充たされた。先端で唇を塞いだまま、宏之は思わず顔をしかめた。しかし、不快感はなかった。考える間もなく、嚥下していた。舌を内側に巻き込むようにして、触覚を湿らせる液体を残らず掬いとってやる。  すべて清めたところで、頭の上に奇妙な音を感じた。顔を上げると、健司が横を向いてぐずぐずと鼻を啜っていた。 「嫌だったか」  体を起こして、頭を撫でてやる。健司は小刻みに首を振って、呟いた。 「我慢でけへんかった……」  宏之は言葉を失った。快感どころか、羞恥心や自己嫌悪と、それ以上に、本気で宏之に申し訳ないと思っている。宏之は胸を詰まらせ、この子をたいせつに扱ってやろうと決心した。  湿った手で髪を梳かれて、目頭が熱くなった。  こんなことまで、宏之にさせるつもりはなかったのだ。混乱しながらも、同じことをするようにいわれたらどうしようと、健司は不安になった。しかし、宏之は強要するような素振りのいっさいを見せず、横を向いた健司の耳に唇を圧しつけて、宥めてくる。 「びっくりさせてごめんな」 「うん……」 「落ち着いたか?」 「うん……」  顔の側面を埋め尽くすほどキスされて、健司はなんとか笑った。 「こそばい」  宏之がほっとしたような息を漏らす。健司は顔をずらして、宏之を見上げた。だいぶ目が慣れてきて、近距離の顔の表情がうかがえた。宏之は眉を上げて、健司の汗ばんだ額に唇を圧しつけた。 「ほんとにだいじょうぶか?」 「だいじょうぶ」  すでに覚悟は決まっていた。宏之の首に腕を絡めて、健司は息をついた。 「全部、したい」  宏之の首に縋って、健司が見つめてくる。言葉どおりに、すべて預けようとする瞳が、宏之の胸をぎりぎりと軋ませた。確認めいた無粋な言葉を呑み込んで、思い切り抱きしめた。きつく膨張した下腹が健司の内腿に接触して、慌てて身を引きかけたが、健司の腕が離れてくれなかった。  宏之の肩口に頬を埋めるようにして、大きく息をする健司の反応を見ながら、そっと圧しつけた。健司は肩を強張らせたが、逃げなかった。女同士のセックスのように股間を擦りあわせると、達して間がない器官がまた力を漲らせはじめる。  健司の背中に腕を置いて、宏之は額の汗をおざなりに拭っていた。健司の視線を意識しないなにげないしぐさにさえ、胸が高鳴ってどうしようもなくなる。  目があって、慌てて逸らす。 「なに」 「や……」  宏之の顔が近づいてきて、健司は思わず唇を尖らせた。 「したことあるんかな思って……」 「ないよ」  返事が早すぎた。健司の臀部を撫で回す宏之の微妙な手つきはいかにも慣れていて、健司は全身が焦げつくような嫉妬をおぼえた。  まずったかと舌打ちしたくなった。健司は拗ねた顔を枕に圧しつけている。  男とはもちろん考えたこともないが、女とのアナル・セックスは何度か経験がある。そのことを悟られたのではないかと宏之は狼狽え、同時に苦笑いした。こんなふうに、いちいち焦ったり戸惑ったりするのははじめてだった。  顎を持ち上げて振り向かせ、小さくキスすると、ようやく健司が見つめてきた。 「おまえだけだよ」 「……ほんまに」  応える代わりに、背後から抱きすくめた。健司が漏らす安堵のため息が、耳に心地よかった。  太腿を圧され、四つん這いにさせられた。臀部の肉をマッサージするように揉まれて、膝がわななく。緊張で胸がつぶれそうだった。  宏之が指の腹で健司の臀部の肉を大きく割る。握りしめるブランケットのバイル生地の手触りが頼りなくて、健司は大きく息をした。 「だいじょうぶ」  冷たい汗の浮く健司の背中に掌をあてて、宏之は根気よく宥めた。 「おれ、そんなでかくないから」  あまりにも真剣にそんなことをいうので、健司はつい笑ってしまった。本当に、宏之の自制心には頭が下がる。たいせつにされているのではないかという、過剰な自意識が生まれてきそうだ。  遠慮がちに、しかし強い決意といっしょに、宏之の指先が触れてくる。咄嗟に力をこめると、指はあっけなく離れた。一拍置いて、熱い息が掠めた。  肉を分けて露になった菊座に指をあてがい、宏之はため息を飲み込んだ。ひどく狭隘で、きつく窄まっている。こんなところにうまく埋めることが本当にできるだろうか。 「力、抜けないか」  不安が伝染しないように、作為的に軽い調子で促す。健司はうんともううんともつかない声を漏らしただけだった。  健司の協力を仰ぐのは諦め、宏之は半身を屈めて健司の脚の付け根に顔を寄せた。息がかかって、健司が大袈裟に体を竦ませる。 「舐められるの、嫌?」 「そこは嫌や」 「なんで」 「恥ずかしい」 「前は舐めさせてくれたのに?」  健司はぐっと詰まり、悩みながら、そこは嫌だと繰り返した。 「頑張って力抜くから」  愛おしさを抑えきれなくなった。宏之は唇を離し、背後から体を重ねて、健司のうなじに咬みついた。  肛門から顔がはずされ、ほっとする間もなく、首に歯を立てられた。やさしくされても乱暴にされても、即座に感じてしまう。恥ずかしさに身悶えしながら、健司はじっと耐えた。  解放された肛門が、また指で圧迫される。力を抜くと約束しはしたが、どうしても緊張して、完全に弛緩できなかった。 「だいじょうぶ、だいじょうぶ」  噛んで含むように宏之が囁いてきて、ようやく少し落ち着いた。 「もっと、足、ひらいて」  いわれるままに膝をずらすと、指先の圧力が強まった。 「う……」  内臓を押し上げるように指先が挿入され、健司の背中に粟が浮いた。 「入る……?」 「入る」  圧しころした声で宏之がいう。無意識に閉じようとする太腿を左手で支えながら、右手を小さく蠢かせる。膜を傷つけまいとする微妙な動きだったが、健司は過剰に反応してしまい、下腹に力をこめた。  指先を押し返す強い抵抗に、宏之は思わず慄いた。非常な征服慾をおぼえ、宏之の男が烈しく膨張する。かろうじて自制し、左手を滑らせた。 「あっ……」  軽い刺激を加えると、萎えかけていた器官がたちまち首を擡げる。不意をつかれて上がった小さな声に、宏之は目眩さえした。  健司の体に隠れて見ることはできないが、かえってその部分のかたちがしっかりと確認できた。豊満な糸が雑に絡んできて、縛られているような感覚に陥った。女とちがって、よぶんな手の入っていないあるがままの風情がなお愛しい。  ゆるく握りこむと、自然に健司の腰が浮き上がる。頃合いを見て、指を進めた。第二関節まで没すると、締めつけが強くなった。 「ひっ……い、いっ……」  痛いともいいとも取れる声が、健司の唇とブランケットの間をたゆたった。しっとりと濡れた、秘めやかな声だった。  ほんとにこんな声が出ちゃうんだなあ。  演技でないのはわかっていた。感激にちかい昂ぶりを抱きながら、宏之は半分以上呑み込まれた中指を見つめた。  宏之の右手に直腸内をさぐられ、前に回された左手に触覚を擦られ、健司の意識は散り散りになった。 「痛い?」 「わかんない……けど、こわい」  健司は正直に答えた。駆け引きをする余裕など、あるわけがない。自分の体なのに、どこがどうなっているのか、まるでつかめないのは、形容しがたい恐怖だった。 「入ってるん……」 「入ってる。奥まで」  宏之の声も幕がかかったように朧で、興奮しているのがわかる。 「動かしてみていい」  切迫した言葉に、断ることができなかった。赦してみせると、宏之は慎重に指を曲げた。上下させたり、円運動を加えたりしながら、健司のなかを確認する。 「ん、うー……」  内臓を掻き回す異物感に、健司はぎゅっと目を瞑った。手首を噛みしめて、必死に苦痛をやり過ごす。 「痛いか? 痛いよな?」  当たり前だといい返してやりたいが、不安げに尋ねられると、考えるより先に首を振ってしまう。  宏之もつらいのだと思うと、自然に体から力が抜け落ちた。息を刻みながら、健司はいった。 「もっと痛くして」  苦痛に慣れているわけでもない健司の言葉は、宏之の胸を打った。男の処女といういいかたはおかしいが、それでも、奪ってしまうことに畏怖と躊躇をおぼえていた自分をぶちのめしたくなった。 「っん……」  指を引き抜くと、粘膜が即座に収縮して、追いかけてきた。無意識の動作だろうが、宏之は強烈な執着をおぼえた。ずり落ちていた膝を押し上げて腰を上向かせてから、きつく張り詰めた先端を圧しつけた。 「入れるぞ」  宏之の言葉は頭上を抜けていくようだった。 「健司?」 「うん……いいよ、入れて」  喉の奥が痺れて、声が掠れた。宏之は体を伸ばして一度背中に唇をつけた。腰骨をつかまれ、下腹がぐっと密着する。血管の漲りが、やわらかい部分に押し入ってくる。  あ、どうしよう。入る、入る……  健司は左の掌で顔を覆って、唇を噛んだ。 「い、いー……っ」  やわらかく侵入したつもりだったが、抵抗は予想をはるかに凌駕していた。噛みしめた歯の隙間から叫ぶような声が漏れて、宏之はみっともなく焦った。 「そんなに痛い?」 「痛い。痛い痛い痛い痛い痛い」  子供が駄々をこねるように健司が喚き、先端のみを埋没した状態で、宏之は途方に暮れた。少し慌てすぎたかもしれない。 「一回、はずすから」 「だめ!」 「でも、痛いんだろ」 「痛いけど、痛いけど、はずさんで」  意図的にか無意識にか、健司のなかが烈しく絡みついてきて、宏之は傷みに顔をしかめた。抜こうと思っても、簡単にはできそうにない。愛情を超越した健司の執着心に、宏之は泣き出したくなった。処女を抱いた経験はあったが、これほどまで懸命に求められたことはなかった。無私、無垢の極致。健司はこれ以上なく健気で、それが宏之には、可愛くて可愛くて可愛くて、しかたがない。  痛い。とにかく、口を開けば、その言葉しか出てこなかった。  限界まで拡げられた孔はもちろんのこと、侵入によって圧迫される内臓の重みが胸にまでせり上がってくるようで、息苦しさまでおぼえた。  無理。無理。無理。無理。無理。  心中で何度も叫んだが、宏之が慌てた様子で体を引きかけると、思わず締めつけて閉じ込めてしまう。 「平気やから、して平気やから」 「無理しなくていいんだぞ」  無理するに決まっている。今を逃してしまえば、またぐずぐずと逃げてしまう。 「手、貸して」  素っ気ない調子でいって、腰にあてがわれていた宏之の腕を奪い取る。子供のように手に縋りながら、じっと待った。宏之もそれ以上たしかめてはこなかった。 「は、あ……っ」  限界かと思っていた孔がさらに大きく拡げられて、密着が濃くなった。苦痛はとどまることを知らず、健司は宏之の腕に額を圧しつけて喘いだ。 「んっ、きつ……きつい……」  意識が朦朧としかけたところで、宏之の動きが止まった。健司のなかでじっと硬直する。 「全部入った」  惚けたような声に、健司はふっと脱力した。しばらくは互いに息を整えていた。思い出したように、宏之がいう。 「わかる?」 「わかる……」  現実味は稀薄だったが、繋がった部分から痺れるような感覚が這い登ってきて、健司は身を震わせた。宏之の腕をつたう汗が冷たい。異なる感触が、徐々に実感を帯びて健司の胸を充たした。  おれ、今、好きなひととしてるんや。 「健司……」  宏之の体の重みを背中に感じた。露骨な運動を加えられ、声が溢れる。体を強張らせると、宏之はぴたりと動きを止めた。すぐにでも内壁に擦らせて快を極めたいという欲望が同じ男としてわかるだけに、健司は感動した。 「だいじょうぶ?」 「うん」  顔を覗き込むと、健司の潤んだ瞳が見上げてきて、胸が痛くなる。危うくいきそうになったとは、とてもいえない。  やばかった……  淡白だなどという自負は捨て去らなければならない。意識していないうちに、かなり溜まっていたらしい。微弱な摩擦で、追い詰められそうになった。健司の構造の素晴らしさもあったが、口にしても恥ずかしがらせるだけだろう。  健司の両脇に手をついた姿勢のまま、宏之はなんとか気を散らせようとした。早漏はまずい。非常にまずい。 「宏之さん……?」  うかがうような健司の言葉に、ぎくりとする。 「気にしてる?」 「なにを」  一拍置いて、健司がいう。 「……でかいで」  噴き出しそうになった。なんて可愛いことをいうのだろうか。健司は顔を真っ赤にしている。宏之はますますきつくなった。 「やっぱ、一回はずそうか」 「だいじょうぶ」  この期に及んで健司の体を気遣うような言葉を吐ける宏之に尊敬にちかい気持ちをおぼえながら、健司は首を振った。 「もうきて」  背後で宏之がため息をつく。諦めたように、小さく動いた。粘膜がこそげ落ちるような感覚に、健司は頭を仰け反らせた。慣れはじめているのか、痛みはだいぶ薄れていたが、内臓が移されるような不快感は消えなかった。 「あ、いー……いっ」 「いい?」  ちゃうんやけど……でも、いいや。  あえて否定せずに、頷いてみせる。それが合図だったかのように、大きく突き上げられた。下腹を捻じ切られるような激痛に混じって、稲妻のような感覚がはしった。 「あん、んっ……」  なに、今の声!  首からこめかみにかけて、かっと熱が昇る。  いやや。恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。 「や、やっぱ、待って……」  慌てて身を捩ったが、首を押さえられて動けなかった。 「あっ、あっ、あっ」  小刻みに揺さぶられて、思考が飛び散った。宏之の律動に呼応するように、嬌声はとどまるところを知らなかった。 「あ、はっ、はあ……あっ」  息と声が混在した文字にならない声をなんとか制しようとして、健司は宏之の腕を捜した。さっきまで目の前にあった手が、いつの間にか股の間に差し込まれていた。気づいたときには、何度目かの刺激を受けていた。 「あかん、そこ……そこ触ったらいく……っ」  露骨な言葉が飛び出て口を覆うが、どうしても止められない。 「だめ、だめって……」  ブランケットを掻き分けて逃げようとしたが、宏之の腕はしっかりと腰をつかんでいて、とてもかないそうにない。渦を巻いて襲いかかってくる感覚が、健司の思考を完全に奪った。 「あ、あっん……」  湿り気を帯びた健司の声が鼓膜を駆け抜けて、宏之は自制心を放擲した。たいせつに扱うという誓いも忘れ、徹底的に貪った。 「だめ、だめ、だめ……っ」  前に回した手に健司の指がかかったが、力はなかった。掌を押し返す血管の細さを頼りなく思いながら、加減して擦った。 「やっ……は、あっ」  逃げるようにずり上がりながらベッド・ヘッドに縋りつく健司の背中を眺めていると、庇護慾と征服慾が混在した正体不明の感情がこみ上げてくる。拒絶めいた言葉を唱えながらも、健司の体は宏之に連動するようにぎこちなく蠕動しはじめていた。若々しさの横溢する動作に、宏之は狂おしく応じた。 「嫌……いやや、へん、へん……」 「どこが、へん」 「ぜん、全部……全部、変っ」  単語を発するごとに、手のなかの健司はきつく張り詰め、宏之を包む健司は収縮を烈しくする。理性が保たれるはずもない。宏之は記憶にないほど没頭して、牡の動きを続けた。 「ん、うんっ、んーっ……」  頬杖をつくように逆向きの手で口元を覆って、健司が息を漏らす。手の感触にぬめりの素が強くなり、粘着質の音が室内に響いた。 「んく……いっ」 「いく?」  健司が大きく何度も頷く。顔半分しか見えないが、その表情を見下ろしているだけで、宏之の腹筋も波打った。 「も……無理。離して、離して……」  切実な訴えだったが、無視した。宏之は直線的な動作を止め、ゆるやかな円運動に切り替えながら、左手に意識を集中させた。 「やあ……あ、あ、あっ」  小刻みに啼いて、健司が二度目の精を吐き出した。さっきほどの烈しさはなかったが、体を震わせ、間歇的に迸らせる。静かに弛緩していく背骨に指を這わせながら、宏之はなんともいえない充足感をおぼえた。  立て続けに二度も追い詰められ、健司は息も絶え絶えだった。ベッド・ヘッドが汗で滑り、枕に頭が落ちる。そのまま眠りに堕ちればさぞ気持ちいいだろうと思ったが、そんなわけにはいかなかった。腰を引き上げられ、意識が鮮明になった。 「あ……」  振り返ると、視線がぶつかった。とたんに、体のなかの宏之の質量が増す。身構える間もなく、突き上げられる。何度も何度も何度もしつこく奥を打ち抜かれ、気が遠くなりかけたところで、宏之が唐突に硬直した。  あ、くる。  予感めいたものがあった。健司は手首を噛んで待った。一拍置いて、宏之が吼えた。熱い粘液が健司のなかを充たして、疼きに似た感触がはしった。 「はあ、あっ……ん」  そこがきつく収縮するのが、自分でもわかる。入口にちかい箇所を濡らして、宏之が出て行った。  ごく浅い位置で射精して、健司の腕を引いた。虚脱しきった体は重かったが、視線で促すと、健司は素直に仰向けになった。だらけた下半身に向かって、軽く扱く。太腿を持ち上げると、思惑どおりに、繋がっていた部分から白濁が滲み出てきた。気をつけていたつもりだが、やはり少し切れてしまっていたらしく、血を帯びてピンク色に染まっている。それを観察しながら、残りの精液を健司の下腹に落とした。思わず後悔したくなるほど濃い液体が、放物線を描いて健司の肌を滑り、糸に絡んで粘る。  顔を上げる。健司もぼんやりとした目で自分の腹を伝い落ちる宏之の徴を見つめていた。宏之の視線に気づくと、顔を真っ赤にした。 「なかにするんかと思った」 「なかにした」  並んで寝転がると、健司は恨めしそうににらみつけてきた。 「奥」 「なに?」 「次はもっと奥のほうにして」  宏之は目をしばたたいて、健司の頭を引き寄せた。 「わかった」  至近距離で見上げられて、宏之は顔を逸らした。カーテンを閉めていても、すでに外が明るくなっているのがわかる。 「今日はだめ」 「疲れた?」 「血が出てる」 「嘘やろ」 「マジ」  健司はしばらく考え込むように絡みあった脚を見下ろしていたが、すぐに達観して顔を上げた。 「もっと出して」  こいつ……  宏之は天井を仰いだ。  仰向けにさせられ、宏之が重なってくる。闇が朝日に敗北して、くすみはじめている。  唇があわさって、唾液がめちゃくちゃに混じりあった。脳髄が枕やパッドに沁み込んで床に滴りそうだった。 「いいのか」  舌先を圧しつけたまま、宏之が何度目かの確認をとる。 「裂くぞ」  骨盤を揺らすような低くころされた声だった。 「裂いて」  よくこんなことがいえるものだと、自分でも呆れた。  宏之の肘が曲がって、人差し指と中指が孔を拡げる。ぬめった液体が流出していく感覚に、健司は顔をしかめた。そんなところに出しやがって。  遠慮なんかはしてほしくなかった。気遣われるのは嬉しかったが、破壊されたいという欲求のほうが勝っていた。それを伝えたくて、渾身の力で宏之の首に縋った。  死ぬほど疲れていた。疲弊しきっていた。それでも、健司にしがみつかれると、即座に反応した。意識外に追いやっていた飢餓感を突きつけられ、宏之は苦笑いを浮かべた。  健司と視線をあわせたまま、手探りで照準をあわせた。予告もせずに貫いた。 「はあ……」  健司の眉間に皺が寄る。凝固しかけている血が抵抗したが、まだ少し残った体液のぬめりに助けられて、案外スムースに侵入できた。間髪を入れずに包み込まれ、呑み込まれる。 「う……すごいな」  いわずにいようと思っていた賞賛を口にしてしまった。健司は頓着せずに、思い切り宏之の肩に爪を立てる。 「あ、んっ……」  一度達して、わずかながら余裕があった。軽く突き上げながら、舌をさぐる。健司はすぐに察して受け容れてきた。思ったより、才能があるのかもしれない。 「気持ちいい?」  我ながら陳腐な台詞だと思ったが、健司は素直に頷いた。 「おれも超気持ちいい」  ゆるやかな律動を繰り返しながら、宏之はそのまま寝てしまいそうな安寧をおぼえた。  健司の肩口に顔を埋めている宏之の耳に指をあて、その熱さに驚愕した。 「ほんまに気持ちいいんや……」 「あたりまえだろ」  投げ遣りな口調だったが、健司は胸をいっぱいにした。 「ほんまに?」 「うん」 「気味悪いとか、引くわとか思わへんかった?」 「おまえ」  健司としては本気で訊いたのだったが、宏之は呆れたように笑った。 「おまえ、ほんと、可愛いよ」  ぐっと突き上げられて、ベッドが軋んだ。脚を抱えられ、密着の角度が変わる。 「は……んっ」  声を出すたび、喉が痛んだ。髪をつかまれ、上向かされた。人工呼吸の人形のような姿勢で、キスを受けた。唇がずれるほど烈しく襲われる。二度も極めたのにもかかわらず、すぐに絶頂が訪れ、健司は爪先まできりきりと絞らせて全身を撓ませた。  健司の放ったものが腹を打って、宏之はなんとも和んだ。このまま重なりあって沈んでしまうのもいいが、射精の勢いで極限まで絞り上げられ、耐えられなかった。少し間を置いて、こんどは委細構わず炸裂させた。 「え、あっ……っ!」  咄嗟に健司の口を手で覆って、戸惑いを帯びた悲鳴を塞いだ。逃げかける腰を引き寄せて、最奥に注ぎこむ。 「ん、んっ……んうーっ」  だからいっただろ。心のなかで謝りながら、宏之は健司の直腸内を白濁で満たした。  人差し指の側面を健司の涙で濡らして、宏之は内心白旗を掲げた。  本当なら、綿密に準備して、少しずつ馴らし、快感をひとつずつおぼえさせるつもりだった。しかし、健司ははじめのうちこそ小動物のように怯えきって、まったく協力しなかったくせをして、いつからか、完全に宏之にすべてを任せきって、自分から求めるまでになっていた。  体を捩ってすべて注入し終えてから、宏之は静かにはずした。  弛緩した体を預けられ、健司は息苦しさに身を捩った。その拍子に、奥に打ち寄せられた液体が、まるでそれ自体が意志を持った生きもののようにうねりながら外に出てきた。  慌てて締めつけようとしたが、宏之が指を差し入れてきて、それを辿って流出していってしまう。  にらみつけると、宥めるようなキスをされた。 「あの……」 「なに」 「やっぱいい」 「なんだよ」 「好き好きって何回も訊かれるんは、うっとうしいって」 「だれが」 「水野」  宏之は怒ったような笑ったような複雑な表情をつくった。 「おれはうっとうしくない。訊いていいよ」 「……好き?」 「好き」  健司は腕がだるくなりそうなほど強く宏之に抱きついた。  薄い布団を巻き込むようにして眠っている健司の横顔を見下ろしながら、宏之はこれまで感じたことのない平穏に浸っていた。  汗と体液で汚れたブランケットとシーツが、洗濯槽のなかでぐるぐる回っている音がする。  シャワーを浴びるときも、健司はブランケットを離さなかった。直接出してしまった精液の処理が気になったが、触らせてもらえなかった。健司は時間をかけて風呂に入り、バス・ルームのなかにまでタオルと服を持ち込んだので、けっきょく、灯りの下で裸を見ることはかなわなかった。すべて済ませてしまったあとでも、恥じらいを捨て去ろうとしない健司の自意識をもどかしく思いながら、その控えめな振る舞いを愛おしく思った。  この先、この子のすべてを受け容れ、この子のすることはどんなことでも赦そうと思った。  仕事の開始まで残された時間を頭のなかで反芻しながら、宏之は健司の横に寝そべった。  いかにも緩慢な陽光がカーテンの隙間から差し込んできて、ふたりぶんに膨張した布団を滑っていった。 おわり。
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