ラジオネームはスコーピオンさんより

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ラジオネームはスコーピオンさんより

「そりゃあ僕だって一人前の男だし、これだけ寒いと人肌が恋しくなる事もあるさ……現実はそうぬくぬくあったまって居られないけどね。この前寝ていたら、隣からヒヤッと冷え性の足が当たって目が覚めて、夜通し頭が冴えたまま。うっかりそのまま、市の希少動物の問題について片付けたよ……まあ、身体が温まれば心も温まるって事にしておこうか」  州の半分に電波を飛ばしているEACR(イーリング・オール・コミュニティ・ラジオ)は従業員数10人足らず、スタジオは2つ、情報番組半分と70年代以降の音楽半分という典型的な地域特化型FM。元々は玄人受けする局と言うイメージだったのだが、ここ数年でかなり力を伸ばしてきた。LGBTQフレンドリーな局の風潮に、ゲイの市長の当選が追い風を与えた事は否定できない。  ハリー自身も何だかんだとメディア露出が好きなので、数ヶ月に一度程、出演依頼を受けては嬉々として応じている。特に日曜日朝の『サンデーモーニング・イーリング』 は、DJがノンバイナリーのアセクシャルをカミングアウトしているから、ハリーも他のマスメディアを相手にするより遥かにリラックスして収録へ臨んでいた。  けれど、これは幾ら何でも気を抜き過ぎる。スマートフォンのラジオアプリから流れる呑気な笑い声へ耳を傾けながら、エリオットは眉間にうっすら皴を寄せた──つもりだったが、思ったよりも難しい顔になっていたらしい。寝室へ入ってきたヨルゲンセンが「えらく不機嫌だな」と首を傾げる。「僕は寒がりなんだ」「道理で今日も厚着だと思った。今からその有様じゃ、雪が降る頃はどうするんだい」  スピーカーから聞こえてくる軽妙な遣り取りを拾い、合点が行ったのだろう。元々軍で中佐まで上り詰めただけあり、彼はそこらの政治家よりも遥かに状況把握能力が高い。 「ゲストは市長か」 「ああ、しかも生放なのに、迂闊なことを」 「日曜日くらい、仕事のことなんか忘れたらいいのに」  そう言うヨルゲンセンも、今から職場へ向かうのだろう。半年前にシフトマネージャーへ昇格した事を筆頭に、彼は着実にアルコール依存症を克服し、立ち直りつつあった。正気になれば気の迷いだって消えると思っていたのだが。 「出るのは20時?」 「ああ、21時の便でフロリダに。明日の夕方には帰るよ」 「ここにだな? 街に戻って来る事は帰宅と言わないぞ」  まるで自然な仕草でエリオットの肩に触れ、囁くヨルゲンセンは全くご機嫌だった。 「夕飯には帰って来いよ。お袋が今日の仕事終わり、カレリアパイを取りに来いって連絡してきた。あれを一人で食い尽くす誘惑に打ち勝つのは、ビールを断つより難しい」 「君のお袋さんが作るパイは最高だ、一個は必ず残しておいてくれ」  体を繋げた事が無いからまだ恋人ではない。そう主張するのがいい加減苦しくなってくるほど、このハンサムなルームメイトのじゃれつき方は甘ったるい。溜息をつき、エリオットは余分のワイシャツをもう一枚放り込んだ後、キャリーバッグをばたんと閉じた。  幸い、フロリダでのテーマパークに関する打ち合わせは滞りなく終わり、一本早い飛行機で戻る事が出来た。午後もまだ早い時間、しかも月曜日にしては珍しく、ゴードンとヴェラスコも市長付職員のオフィスに詰めてひそひそ話を交わしている。 「まだ定時まで3時間はあるぞ」 「日曜のラジオ、聞いたか」  外套を脱ぐより早く、ゴードンは嚙みつく勢いでそう問いかけた。 「全く、とんでもないことだぞ」 「またイーリング・クロニクルがスクープしたのかい」 「それは差し止めさせた」  子供の不機嫌さで、ヴェラスコは態とらしく鼻を鳴らす。 「冗談抜きで、今後生放送での出演は極力控えさせた方がいいよ」 「大袈裟だな。あんなこと、よっぽど目敏い人間じゃなきゃ気付かないさ」  ハリー・ハーロウは弁護士の端くれだ。しかもこの街で一番腕の立つ法曹界の住人の一人だったと言っても過言ではない。利口な弁護士は言って良い事と悪い事の塩梅を弁えている……白と黒の話ではない、こんなものは加減の問題なのだから。 「まだ彼には話してない?」 「問い詰めたが全く反省の様子がない。ここは彼が一目置く人物にご注進願わないとって、ヴェラと話してたところさ。お引き受け頂けますか、エル・エリオット」 「それは別に構わないけれど、みんな仕事してくれ。ヴェラ、チャータースクールの件についてインドリサーノが渡した資料の概要を」 「すぐ流します、パパ」  大仰に首を縮めて見せながら、ヴェラスコは一応潜めている体の声音でゴードンに耳打ちした。 「あれを聞いて平然としていられるなんて」 「余裕があるんだよ」  対して普段から声量のあるゴードンは、頓着など一切せずけろりと答えた。 「カツカツなんて事には絶対ならない。いつでも善後策を用意してる、それがエル・エリオットさ」  市長室に足を踏み入れれば、こちらが口を開く前に「ハリーを責めないで下さい」とモーから懇願された。 「彼は迂闊だったと反省しています。誰かを槍玉に挙げる気は毛頭なかったと」 「だろうね。それは分ってるよ」 「ですが皆、今日一日寄ってたかって」  やきもきする余り、握りしめられているボールペンが、大きな手の中で今にもへし折れる勢いだった。  皆気を遣う余り、過敏反応し過ぎるのだ。ハリーと寝ているとは言え、彼らは元々ヘテロ・セクシュアル。性的少数者に関する話題へ、おっかなびっくりになってしまいがちなのも、分からなくはない。  となると、やはりここでお鉢が回って来るのもむべなるかな。しょげた犬の目つきで様子を窺っているモーへ苦笑いを投げかけ、エリオットは執務室のドアをノックした。 「戻って早々に僕を問い詰めに来るなんて、君もよっぽど暇だな。話し合いは上手くいったと見ていいか」 「ああ、次からはビデオ会議で十分な位だよ……それと私は、ハリー。小言を言いに来ただけさ。君の釈明は求めてない」  組み合わせた両手の甲の上に顎を乗せ、投げかけられるハリーの上目遣いは、一歩も引かないと言うと固い決意が見て取れた。勿論、許してやる気は無い。エリオットはまずいつも通り微笑みを浮かべる事で、軽くジャブを喰らわせた。 「そんな風に構えてるって事は、自分でも悪いと思っているんだろう」 「思ってない」  早速手指をもぞもぞとくねらせ、ハリーはそっぽを向いた。 「娯楽情報番組で、来年に向けた公約を喋れって言うのか? 僕ならそんな、日曜朝から頭痛を誘発するような市長、絶対に続投させないね」 「好きに喋ればいいよ。ただ、適切な話題を、適切な人物に向けて話してくれ」  ちらと拗ねた横目が戻ってきた隙を逃さず、エリオットは執務机へと一歩距離を詰めた。 「あのDJ、ザジだったか。アセクシャルだったね」 「うん? ああ、確か、そうだって聞いてる」 「他人へ性的欲求を抱かない相手に対して、セックスの良さを滔々と語るのは、一歩間違えばマイクロ・アグレッション扱いされるかも知れない……こう言う事案は弁護士の君の方が詳しいかも知れないけれど」  しばらくの間、ポケッとした顔でこちらを凝視した後、ハリーは盛大に肩を落とした。 「忘れてた。君はあのホームセンターの王子様がいるもんな」 「どうしてここでヴァルの話が……」  そこまで言って、エリオットは思わず己の口を覆った。 「今更問い詰めても答えないからな」 「ハリー、君は馬鹿だね」  そして己は、彼に輪をかけて大馬鹿者だ。 「モーが冷え性だとは意外だな」 「どうして……」 「やっぱり彼か」  しまったと目を見開かせる事で一矢報いたつもりになれたか? いいや、全然。  ハリーが誰とベッドを共にしようと構いはしない。彼はまるで色ガラスの欠片のように、光の当て具合、影の差し具合で様々に姿を変える。けれど、あんなにも弾んだ声音で惚気話をされて、全く平気で居られるかと聞かれれば、答えに窮した。 「前に言ってたじゃないか。彼を家に呼ぶって……フロリダの話は後にしよう。ヴェラの送ったチャータースクールの件をまず片付けた方が良いね?」 「そうするか……」  エル。と呼び止める声は、哀れな程の甘ったるさを帯びている。 「帰ってきて一番に、君は詰らなくちゃいけなかったんだぞ」 「40超えたおじさんが、そんなみっともない真似出来ないよ。それはそうとして、お仕置きはしようかな」 「お仕置き?」  上擦る声へ確かに喜悦が混じっていると気付いたから、エリオットは笑いながら扉を閉じる。勿論、待ち構えていたゴードンとヴェラスコに「白状したか」と詰め寄られても、小さくなっているモーへ一度視線を流したきり、適当にはぐらかしておいた。
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