燻る紫煙は虚無の味

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 やけに冷えると店のカウンターから窓へ視線をやると、外で雪がちらつき始めていた。  雪、か。  溜息のように煙を吐けば、憂鬱な気分と同時に気力も抜けていくような独特の錯覚。そのあとには何も残らない。  気取った金持ちなどは味がどうの香りがどうのとご高説を垂れたがるが、俺にとって煙草とは虚無をこそ味わうものだ。  なんの苦楽も無い刹那がここにはある。  とはいえ雪はよろしくない。  雪は嫌いだ。  足音が立つ。足跡が残る。  忍び込み、盗み、ときには殺しもする裏稼業で、雪はその難易度を格段に上げるので好ましくない。自分はまだしも部下たちの仕事ぶりには不安が残る。  偽装でやってる表稼業の喫茶店も雪が降れば客足が遠のき、かといって積もれば雪かきをしないわけにもいかず百害あって一利なしだ。  それに。  ちらりと視界の隅に娘の姿が映り込む。一応真面目に店内の清掃をしているがほんのり酒の匂いが漂ってくる。  また昼間から呑んでやがるな、このアル中め。  彼女にとっての俺は義理の父であり、仕事の上司であり、そして親の仇になり損ねた哀れな他人といったところか。  雪は嫌いだ。  殺したいほど憎んでいたあの男が死んだ日を思い出すから。  今日こそ殺してやると意気込んでいたあの日。雪にハンドルを取られた車からこの娘を庇ってあの男は死んだ。  即死だった。  この娘を人質に取るという俺のアイデアが正しかったと証明されたも同然だが、微塵も嬉しくなかった。  のであってわけじゃない。  皮肉やレトリックの類いではない。  この手で成し遂げることにこそ意義があったのだ。それを勝手に死にやがって。  そのあと死んだやつがどう扱われたかなんぞ見に行ったのがまた良くなかった。  聞けば身寄りも無いという娘を、故人と知らん仲でも無いならと近所の連中から押し付けられるように引き取るハメになって今じゃこのザマだ。もう学生って歳でもねえのに肩と足を剥き出しのメイド服でゴキゲンにしてやがる。 「なによパパ」  視線を感じていたであろう娘がこちらを振り返る。わけあって裏稼業で使っていた時期もあり一人前には仕込んだつもりだが、鈍ってはいないらしい。 「義理だからって娘のミニスカメイドなんか見て興奮してんじゃないでしょうね。金取るわよ?」  減らず口のほうは相変わらず一人前だ。 「しねえよ。チャラけた格好で店の雰囲気壊しやがって、歳考えろや」 「とっ、歳はカンケーないでしょ歳はさぁ!」  この店は静かな雰囲気を売りにしていて給仕は元々クラシックメイド服を着せた少女をひとりだけ使っていた。それをここで働きたいと言い出すからおなじ制服を用意したはずなのにどこでどうなったのか。 俺の白髪も随分と多くなってきたが、世の中は相変わらず思うように行かないことばかりだ。  などと考えているうちにどうにも面倒臭くなってしまい、ぎゃあぎゃあと響く反論の声を意識から切り離して次の煙草に火を付ける。  雪の様子は強くなるばかりでうんざりしてくるが、そんな気分も全て煙にのせて胸の内から吐き出される。  心地良い虚無を味わう。  ああ、煙草はいい。  なんの苦楽も無い刹那がここにはある。
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