雪の日の肉まん

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 大学受験のために通っていた塾の帰り道。私は同じコースで受講している、ある男子生徒とよく一緒になった。  暗い夜道を一人で歩くのは危ないから、と彼が声をかけてくれたのが切っ掛けだった。  今思えば、私は彼のことが好きだったのだと思う。けれど当時は、受験に失敗できないというプレッシャーから、恋などと浮ついたものを考える余裕がなかった。    その日は雪が降っていた。  肺まで刺さる冷気。手袋をしていてもかじかむ指先。鼻は真っ赤で、鼻水が垂れてやしないかと、私は気が気でなかった。早く帰りたかったが、急いで歩くと転んでしまいそうで怖かった。  彼と並んで歩いていると、私のお腹がぐうと鳴った。学校が終わった後、塾に来る前に夕食を食べそびれたので、お腹が減っていた。私は慌ててお腹を押さえたが、彼には聞こえたようで、くつくつと笑っていた。 「なぁ、コンビニ寄ってかね?」  時刻は夜の九時をとっくに過ぎている。高校生である私達はファミレスやファストフードは十時に追い出されてしまうので、塾の帰りに寄る生徒はほとんどいない。  この寒いのに、とも思ったけれど、彼と寄り道できるのが嬉しくて、私は黙って頷いた。  コンビニに入った瞬間、温風を感じてほっと体が緩む。しかし一度暖かさに慣れてしまうと外に出るのが億劫になる。私は真っ直ぐレジに向かって肉まんを頼み、彼はピザまんを頼んだ。  店内にイートインスペースはない。買ったものを持って外に出て、駐車場の端に寄った。  冷えた指先を温めるように、私は手袋を外して、肉まんを袋の上から手のひらで包んだ。 「そんなんしてると冷たくなるぞー」  彼は熱々のピザまんをさっさとほおばっていた。 「ん! んんん」  とろりと伸びたチーズが落ちそうになって、彼はそれを舌で追って掬ったが、更に伸びて、また食いついてを繰り返していた。  その姿がおかしくて、私は声を上げて笑いながら、自分の肉まんの包みを剥がした。  冷たい手で包んでいたせいで少しばかり冷めてしまったが、まだ十分に温かいそれに大口でかぶりつく。一口で中身まで到達できたので、じゅわっと肉汁が口に広がって、私は満足げにそれを咀嚼した。  そうしていると、横から「ぶはっ」と吹き出す声が聞こえた。 「おっまえ、めちゃくちゃうまそうに食べるじゃん!」  笑いながらそう言った彼は、おそらく私を食いしん坊扱いしたのだと思う。そもそもコンビニに寄ることになった切っ掛けは、私がお腹を鳴らしたからだ。  だからきっと、ここで私が取るべき反応は、少し恥じらってみせることだった。そして照れ隠しにわざとらしく怒ってみせるべきだった。  ところが私は、あまりの驚きに、そのまま呆けてしまったのだ。  私は今までの人生において、「美味しそうに食べる」などと言われたことは一度たりともない。  どんなに美味しいものを食べても、美味しい、と感じるところで私の感情は終了していた。だからそれが表情に出ることはほとんどなかった。  今も。確かに寒い中で食べる肉まんは美味しかった。けれどコンビニの肉まんはコンビニの肉まんでしかなく、味覚にそれ以上の影響は与えなかった。  違うのだ。今感じているこれは。肉まんを特別に美味しく感じているのではない。  楽しいのだ。  私は今、この時間を、肉まんを食べることを、「楽しい」と感じている。  食事を「楽しい」などと思ったのは初めてだった。食事はただ義務でしかなく、栄養素を摂取し腹を満たすための行為で、たまに交流のために使われる煩わしいものですらあった。  それがどうだ。ただ彼と一緒にいるというだけで。彼と食事を共にしているというだけで。この肉まんは特別なものになった。  人が言う「美味しい」はきっと、こういう気持ちを含めての事なのだろう。味覚の反応だけではない。心が感じている嬉しさや楽しさを含めて、「美味しい」と言っているのだ。  私はその時初めて理解した。何を食べるかよりも、誰と食べるかが重要だという意味を。 「な……なんだよ。怒ったのか?」  からかったつもりが全く反応を示さない私に、彼が恐る恐る声をかけた。はっとして、私はぶんぶんと首を振った。 「ううん、ちょっと、びっくりしただけ」 「ふぅん……?」  彼は怪訝そうにしながらも、深く聞くことはなかった。  気まずい空気になるのが嫌で、私はまた大口で肉まんに齧りついた。 「うん、美味しー」  もう食べ終わっていた彼は、何か言いたげにしていたが、結局何も言うことはなかった。黙って雪を目で追う彼の横顔を見ながら、私は噛みしめるように肉まんを食べていた。
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