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「おっまえ、めちゃくちゃうまそうに食べるじゃん!」
笑いながらそう言った彼に対して私が抱いたのは、羞恥でも怒りでも喜びでもなく。
ただ、驚愕だった。
私の家では、家族揃って食事をとるということが滅多になかった。また、テレビ番組で見るような、和気藹藹とした食卓も知らなかった。お行儀良くすることが、私に課せられた義務だった。
家族が揃って食事をする時は、団欒するためではない。普段の生活の報告だったり、お小言だったり。学校の定期テストと同じだ。家庭の定期チェックなのだ。だから私は、揃って食事がしたいとも思っていなかった。
味覚は人並みに発達していた。だから「緊張して味がしない」とか「嫌いな人と食べる食事は不味い」というのは嘘だと思っていた。
誰と食べても、どんな状況でも、食事の味そのものは変わらない。不味いものは不味いし、美味しいものは美味しい。
家族と食べる食事も。学校でグループと食べる給食も。放課後に友達と行くファストフードも。おじさんに奢られる高いご飯も。
全部一緒。値段相応、物相応の味がする。おじさんと食べる黒毛和牛より、友達と食べる謎肉の方が美味しいなんてことはない。黒毛和牛の方が美味しい。
場の空気が嫌になることはある。けれどそれは雰囲気に対して嫌悪感があるのであって、やはり味覚に影響はないのだ。
ずっとそうだった。それが当たり前だと思っていた。だからあの日、私は驚いたのだ。
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