(上)事実

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(上)事実

 それは九月初句のある蒸し暑い昼のことであった。僕、勝吉(しょうきち)は人気のない道にぽつんと佇む、おんぼろの一軒家の中にいた。  僕は昨年大学を卒業したばかりの新社会人で、しかしろくに就活もせずに、在学中に受賞した新人文学賞の賞金を糧にのうのうと暮らしているのだった。  しかしながら、一応は人気作家になることを夢見ていて、不規則な生活を送りつつも小説のアイディアを思いついてはメモする生活を送っていた。  そしてそんな僕がここに訪れたのには、訳がある。  「ええと‥‥‥風神(かざかみ)さーん?」  そう言いながら玄関らしき場所から身を乗り出すと、ぎぎーッと木が苦しそうに軋む音が響いた。  しかし響いたのは音だけで、廊下の奥からは物音すらしない。  もしかして、部屋の中で死んでいる?  そんな嫌なことを想像しながら、僕は部屋に上がる。しかしちょうどそのタイミングで、背後の戸がするりと開く音がした。  「おっ、君は勝吉くんじゃないか! 久しぶりだなぁ、元気にしてたかい?」  目の前に現れたのは、赤茶の枝毛だらけの髪を後ろで結んだ、いかにも昭和感漂う、年齢不詳の男だった。その男は、五十代と言われてもはたまた二十代と言われても納得できてしまうような不思議な顔立ちをしている。  風神風吹(ふぶき)  この天才の登場に、思わず綻ぶ。  「はい、お久しぶりです、風神さん」  風神さんは、白いシャツの上にガーディガンを羽織るという出で立ちだった。  さらに、頭には探偵を思わせるチェックの帽子が載せられており、いかにも胡散臭いような、独特な雰囲気を醸し出している。  ファッションセンスが皆無なのか、それともこの格好がかっこいいと思っているのか、彼は、少なくとも僕と会う際は常にこの服装である。  僕が不思議そうな目で彼を見つめていると、彼は声を上げて笑った。  「はっはっはっは! そりゃよかったよ。さあ、両手を出して! 不法侵入で逮捕だ!」  「ちょ、やめてくださいよ!」僕は焦って、強引につかまれた手を払う。「だいたい、いつでも入っていいよ、と言ったのは風神さんの方でしょう?」  「いや、残念ながらそんな事実はないよ。ボクは君に対していつでも来ていい、とは言ったが、いつでも家に入っていいとは言っていない。勝手な解釈はよしてほしいところだ」  「‥‥‥いやだって、風神さん、いつも家にいるじゃないですか。インターホンを押しても出てこないので、てっきり殺されたのかと思ったんですよ!」  「嘘だね」  それだけ言うと、風神さんは僕を通り過ぎて家に上がった。そしてすぐそばにある帽子掛けに帽子をひっかける。  「なんでそう思うんですか?」  「簡単な事さ。」  「あ」  彼の住んでいる家がかなり古いものであるということを忘れていた。  しかも、よく考えてみると僕もこの家に備え付けられたインターホンを見たことがなかった。  「もう少し論理的な推理を期待したかい?」  「いや、別に。しかし、またしてもやられましたねぇ。あはは‥‥‥」  僕は焦りをごまかすために、後頭部を撫でながら苦笑した。しかし風神さんは何も反応せずに、奥へ進む。それを中に入っていい、という合図だと受け取り僕も彼の後に続いた。  廊下を抜けると、相変わらずいつも通りの景色が広がる。  傷だらけの壁に四方を囲まれた部屋には、学校の理科室を彷彿とさせる木製の長机と背もたれのない椅子がワンセット、ぽつんと置かれていた。  机の上には様々な分野の専門書が(うずたか)く積まれていて、さらにその上にコーヒーカップが置きっぱなしになっている。  机が本で埋まり、コーヒーカップを置くスペースすらないのだ。  風神さんはそんな非現実的な状況を見事にスルーして、奥にある椅子にどかりと腰を下ろした。  「さて。まあ、不法侵入については目を瞑ってやろう。しかし勝吉くん、そうまでしてうちを訪ねに来たということは、それ相応の理由があるということでよろしいかい」  「もちろんです。それがなけりゃ勝手に家に上がり込むなんてこと、しませんよ」  「どっちにしろ、勝手に入り込むのはダメなんだが」  僕は背負ってきたウェストバッグから原稿用紙を取り出した。机で叩いて端をそろえてから、それを風神さんに手渡す。彼はそれを不思議そうに眺めたあと、「なんだこれ」と呟いた。  「僕らがつい昨日に遭遇した事件を、小説にまとめてきました」  「ああ、つまり君の稚拙な駄文をまたしても読まなくちゃいけないわけか」  「稚拙な駄文‥‥‥か。まあまあ、そんなこと言わずに。それに、今回のはとっておきなんです」  「とっておき?」  しめた。今まで乗り気ではなかった風神さんが、ついに興味を示してきた。  「そう、密室ですよ、密室!」  「み、密室だって⁉」  「どうでしょう、読む気になりましたか?」  「密室は、ボクが子供のころからずっと憧れてきた存在だ。あの頃は、近所で密室殺人でも起きないか、と毎日思ってたよ」  「それは、なんか怖いです」  まあ風神さんのことだから、それくらい思っていても仕方がないが。それにしても、彼は幼いころから生粋の推理オタクだったらしい。  一応彼のことを説明しておくと、風神風吹という男はずばり、探偵である。探偵と聞けば地道な身元調査や不倫調査などを想像するかもしれないが、風神さんの場合は違う。  非現実的なことだが、彼は不可解で奇妙奇天烈な事件しか取り扱わないのだ。  それも審査が厳しく、平凡な不倫調査はもちろん、刑事事件に発展したことだとしても、それが不可解で奇妙奇天烈ではない以上は、決して依頼を受けないのだ。  しかし、ただ一つ言えるのは、風神さんの才能は本物であるということだ。  確かに審査は厳しいものの、請け負った依頼は持ち前の推理力、洞察力で必ず解決する。そのおかげで今や彼の探偵事務所は大繁盛、らしい。  これはあくまで風神さん本人から聞いた話なので真相は定かではないものの、これが眉唾物であることは明々白々である。  しかし何回も言うが風神さんの才能は本物。まごうことなき天才だ。  実際、僕が持ち込んできた奇々怪々な事件を、いくつも解決してきたのだから。  「さてさて、では読むとするか。楽しみだ」  「ぜひ」  「ああ」彼は原稿用紙から目を離し、人差し指を上げた。「当たり前のことだが、お代は頂くからな?」  「解決したら、ですよ」  「ボクの推理は百発百中だ」  こうやって彼は、僕のわずかな資金を容赦なく奪っていくのだった。
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