(下)事実

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(下)事実

 「天王寺さんが‥‥‥」  僕が衝撃の光景を目の当たりにして思わず呟くと、風神さんは真面目な表情で振り向いた。  「ああ、ひき逃げ犯の正体は、天王寺和子さんだ」  「い、いきなり何なのよ、あなたたち!」そこで天王寺さんが怒号を上げた。「さっさと帰ってちょうだい!」  「そういうわけにはいかないな」風神さんは言う。「川本さんとあなたは共謀していた。しかし、残念ながらあなたの計画は失敗した」  「さっきから、何の話をしているんだい! 説明してくれないかい」  ゲラが割り込む。  すると風神さんは、チェックの帽子を押さえながら片手を広げた。  「これからやるつもりだ。解決編をな。  様々な謎を論理的に結び付けて帰結させる。それがボクのやり方だ。  まず、密室の謎は置いといて、証言の食い違いについて言及しようか。ゲラルドゥスく ん、君の推理だとどうしても説明できないことがある。なぜ犯人であるはずの川本さんが 犯人の特徴を証言する必要があるんだ。もし適当に証言をしたら天王寺さんとの証言が食 い違ってしまうのは十分に考えられるはずだ。にもかかわらず川本さんは、嘘の証言をし た。そんなこと考えられないだろう?」  「ま、まあ、そうだね」  「なぜ川本さんは、そして」風神さんは天王寺さんを指さす。「あなたは、それほどまでに自信満々に証言ができたのか。それは、どちらかがひき逃げ犯で、どちらかがそれを庇うために口裏を合わせたからじゃないのか?」  「っ‥‥‥!」  風神さんの言及に、天王寺さんは声のない叫び声を上げた。どうやら、図星の様である。  「し、しかし風神さん、口裏を合わせたと言っても、現に彼らの証言には食い違いが‥‥‥」    明らかな矛盾に僕が指摘をするが、しかしながら風神さんはなおも余裕の笑みだった。  「だから作戦が失敗した、と言ったのだよ。  よく考えてみたまえ。まず川本さんは、犯人は小学生の少年だと言った。一方、天王寺さんは、犯人は背の高い老人だと言った。この証言に、共通点があるのが分かるか?」  そう言われても、頭がこんがらがるだけである。小柄な少年と大柄な老人? それのどこに共通点があると‥‥‥。  「‥‥‥」  背後から、弱弱しい声が聞こえた。振り返ると、声の主はゲラである。その返答に、風神さんは笑みを浮かべる。  「その通りだ。君もなかなかやるね。まあ、推理力はボクに劣るようだが。  彼の言う通り、〝小柄な少年〟は、青山剛昌(あおやまごうしょう)『名探偵コナン』に登場する名探偵、江戸川コナン。彼は作中で小学一年生という設定だ。一方、〝大柄な老人〟はあの有名な作家、アーサー・コナン・ドイルのことだ」    アーサー・コナン・ドイル。確かに、彼は生前百八十センチメートルを超える巨漢であったという話をどこかで聞いたことがあった。  それに、天王寺さんの証言通り、コナン・ドイルはあの特徴的な口ひげを生やしているではないか!  「それで‥‥‥どういうことですか?」  僕の頭の中ではまるで五里霧中である。  「ボクはこの共通点に気づき、推理を巡らせた。そこである可能性を思いついた。  二人が庇い合っているのなら、どちらかが『犯人はコナンのような見た目だったということにしよう』と、提案したのではないだろうか。  そして、その言葉を聞いて川本さんは江戸川コナンを思い浮かべ、一方天王寺さんは、アーサー・コナン・ドイルを思い浮かべた」  「根拠は?」  ゲラが問う。  「勝吉くんの小説によると、川本くんは『名探偵コナン』を愛読していたそうだ。一方、天王寺さんの方は、現場の近くにある喫茶店の常連だった」  「それのどこが‥‥‥」  「あ!」僕が叫んだ。「喫茶店に飾ってある、あの老人の顔の写真‥‥‥いつもどこかで見たことがあると思っていたら、まさかあれがアーサー・コナン・ドイル‥‥‥」  「おそらくそうだろうな。そこの常連であるあなたは、あの写真を常に目にしていた。そのため、『コナン』という言葉を聞いて、真っ先にあの名作家の顔が思い浮かんだのだろうね」  「い、言いがかりよ!」  「そうだろうか。あなたは知らないかもしれませんが、現場は密室状態だったのですよ。そこで考えられる可能性は、それしかない。  もしあなた方が互いにかばい合っていたのなら、トリックなど、ないのだよ」  そこでびくり、とゲラが反応する。この言葉は『魍魎の匣』での京極堂の台詞である。それを真似たのだろう。  「風神さん。それで、どうやって犯人を絞るんです?」  僕が先を促す。  「トリックなどない。どちらかが自転車を駐輪場に隠せばいいだけだからね。北条さんが誰も目撃しなかったというのも、入り口付近に自転車を駐輪したのだとすれば説明がつく。そこで問題なのは、どちらがどちらを轢いたのか、ということだが、仮に川本さんが犯人だと仮定すると、矛盾が発生する」  「川本さんは、骨折していた」  僕が指摘した。  「そう。両足を骨折していた川本さんには、とても自転車を駐輪場に隠せるような余裕はなかったはずだ」  「代わりに天王寺さんが運んだ、という可能性は?」  ゲラが割り込んでくるが、風神さんはそれを一笑した。  「あり得ないよ。だって、彼は潔癖症なんだから。川本さんは他人に物を触られることを露骨に嫌がる。そんな人が、自分の自転車を、しかも年寄りに、託せると思うかい? 答えはノーだね。  これらの推理から、川本さんが犯人だということはあり得ない。つまり、残る可能性はひとつ。犯人は天王寺さんで、自転車も天王寺さん自身で隠した。そしてそんな彼女に轢かれたにもかかわらず庇っているのが川本さんというわけだ」  「‥‥‥」  天王寺さんは、虚ろな目で俯いていた。その悲しげな表情に、僕も言葉を失う。 まさか、本当に天王寺さんが犯人だなんて‥‥‥。  「あり得ないさ!」そこで声を上げたのは、他でもないゲラだった。「だって、天王寺さんは自転車を所持していないのだからね!」  「それを証言したのは誰だ?」    「それは、てっ‥‥‥まさか、嘘だったのかい⁉」    「本格ミステリでは一般に嘘をつくのは犯人だけだ。仮に嘘ではなくても、天王寺さんは友人とお茶をした帰りだったから、帰り道が遠いことを心配した友人が気づかいで自転車を貸したのかもしれない。まあ、どうとでも取れるな」 「‥‥‥」 「‥‥‥」 「‥‥‥」  気まずいような、心地よいような、緊張が訪れる。その間、風神さんは目を瞑り、ゲラは驚愕で固まり、そして当の天王寺さんは悲し気に顔を俯かせていた。  「勝吉くん」  そんな中、風神さんが声を上げる。  「‥‥‥はい」  「事件解決だ。帰るよ」  「はあ」  言うや否や、風神さんはすたすたと歩き始めた。僕はそれを必死で追いかける。  しかし、彼は数歩歩いたところで急に足を止めた。そして、ゆっくりとこちらを振り返る。  「ああ、忘れていた。君、最初から天王寺さんが犯人だと、知っていたんだろう?」  「え?」  いきなりそんなことを言われ、僕は思わず足を止めた。なぜ、それが分かるのだ?  「簡単なことさ。もしボクの推理が当たっているとすれば、君たちが事件に遭遇した際に二人が地面にうずくまっていた、というのはあり得ない。嘘の記述をしたね。ゲラルドゥスくんよりも一足先に事件を目撃した君は、天王寺さんが島本さんと共謀して工作をしているところを目撃してしまった。だけどその事実が信じられなくて、ボクに頼ってきた。違うかい?」  「‥‥‥」僕は俯いた。「あんな気さくな方が犯人とはどうしても思えなくて‥‥‥」  それで、ボクは天王寺さんが犯人だと分かる描写はあえて書かなかったのだった。  しかしながら、結局犯人は天王寺さんだった。僕はその事実がどうしても受け止められない。  「残念ながら、君がどう抗おうが事実は変わらない。ただ、共謀しようと提案したのは、おそらく川本次郎の方だ。アーサー・コナン・ドイルのことを『コナン』と称する人は見たことがない。そこから考えて、川本さんの方が、『犯人はコナンのような見た目だったことにしよう』と提案したんだろう。江戸川コナンを思い浮かべながら」  「そうですか‥‥‥」  その提案に、仕方がなく天王寺さんは応じたのだろうか。  「ああ、あと、捜査料金は頂くからな!」  「え、それは勘弁してくださいよ! 今ピンチなんですからー」  「その状態で依頼してきたのが悪い! ああ、あと不法侵入の‥‥‥」  「それはいいですって!」  そのときには、この事件の衝撃も、そして虚しさも、すべてが吹き飛んでいた。  ただ残るのは、少ない資金の中から金を奪われるという絶望だけだ。  こうやって彼は、僕のわずかな資金を容赦なく奪っていくである。                                    了  
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