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「ちょっと待った」
風神さんは自作の小説に見入ったかと思うと、すっと顔を上げた。
「なんですか?」
「なんだ、この文は。あの江戸川乱歩『D坂の殺人事件』の丸パクリじゃないか」
「なあに、リスペクトですよ」
『リスペクト』ほど便利な言葉はないな、などと思いながらそう言うと、彼は赤茶の髪をぼりぼりと掻きながら、こちらにしかつめらしい顔を向ける。
「そういうことか。自分の文の下手さを覆い隠そうとしてるというわけだ」
「ちっ、違いますって! せっかくD坂に似たシチュエーションなんだから、雰囲気に合わせた方がいいじゃないですか」
そう言ってごまかそうとすると、風神さんは顎に手を当てて「んー」と何やら唸り始める。
「乱歩の『D坂の殺人事件』のD坂は文京区の団子坂のことだが、この近くにD坂なんてあるか?」
「ええと、それは、創作です」
「そしたら『江戸川喫茶』なんてのも創作ということになるね」
「‥‥‥そうなりますね」
僕はまるで説教を受ける生徒のように肩をすぼめて、苦笑する。
「誇張しすぎだ。それじゃあ、何の変哲もない坂の何の変哲もない喫茶店で起きた何の変哲もない——」
「はいはい、分かりましたよ! 確かに風神さんの言う通りですが、さっさと読んでください」
僕がむきになって声を上げると、風神さんは片眉を上げてふっと笑った。これの何が面白いというのだろう。
「わかったよ。‥‥‥それからゲラルドゥスなんちゃらっていうのは‥‥‥」
「ああ、それは本名らしいですよ。彼が言うには」
「はぁ⁉」
改めて言うが、作中に出てくるゲラルドゥス翁というのは、他でもない本名である。彼が言うには。
「この名前にはかなり見覚えがあるんだがなぁ。あれだ。メルカトルあ——」
「それは本人に言ってください。彼がゲラルドゥス翁なんですから」
「うーむ‥‥‥」
呻き声らしきものを上げながら、彼は納得のいかない表情で原稿用紙に視線を戻す。
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