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「だいたいの食べ物は、冷凍しちゃえば日持ちするから大丈夫よ!」
そう言って、私の母は何でも冷凍庫に入れる人だった。
お陰で実家の冷凍庫はいつもパンパン。
冷凍庫程ではないけれど、冷蔵庫にも常に何かしら物が詰まっていた。冷蔵庫に入れれば食品が傷みにくいからと、母は言っていた。
学生時代は全く料理をしなかったから聞き流していたけれど、社会人になり一人暮らしを始めて料理をするようになってから、母が言っていた事がよく分かるようになった。
料理などは二、三回分まとめて作った方が楽だから、沢山作ってタッパーに入れて冷蔵庫へ。節約の為特売で沢山購入した野菜は下処理して冷凍庫へ。
結局一人暮らしをしている私の家の冷蔵庫の中も、実家と同様常にパンパンになってしまった。いつか誰かが言っていた事を思い出す。「冷蔵庫の中は母親に似る」って。本当にそうだなって思った。
就職して半年。彼氏ができた。同じ職場の人だ。私の家に遊びに来た時に手料理をご馳走したのだけれど、彼はとても喜んでくれた上、洗い物までしてくれた。
洗い物をする彼の横で飲み物を取ろうと冷蔵庫を開けた私。チラリと見えた冷蔵庫内のタッパーに入った惣菜に、「家庭的だね」って褒めてくれた彼。
付き合って三年で彼からプロポーズされた。
冷蔵庫の中の作り置き惣菜を見て、私との家庭がイメージ出来たのがきっかけで結婚を意識するようになったんですって。私は喜んでプロポーズを受けた。
嬉しかった、楽しかった。
彼と結婚できた事が嬉しくて、毎日が楽しくて。
お互い仕事を続けながら、充実した毎日を送っていた。
ああ、あの頃の気持ちを冷凍保存できたら良かったのに。
仕事を終えて帰宅して、目の前の閑散とした部屋を見つめる。彼はあれから部署異動して、更に忙しくなった。帰宅も遅く私が先に寝てしまう事もよくある。夕食は殆ど別々。朝も私だけが早く起きて朝食を食べ、彼はギリギリまで寝ていて食べずに出ていく。休日は日曜日と祝日のみで、彼は半日寝ているから会話も少ないし、もう長い事出かけてもいない。
すれ違い、次第に二人でいる事が嬉しい、楽しい、と思う気持ちが薄らいでいった。
疲れた身体を引きずるようにキッチンに立つ。
シンクの中には夜食べようと思って朝冷凍庫から出しておいた牛のステーキ肉。ほぼ解凍されていて、パックの中にはドリップ液が溜まっていた。
このドリップ液には栄養分や旨味成分が含まれてる。つまり、解凍した事により肉本体から旨味が抜けてしまった状態なのだ。
あれ?このお肉はいつ買ったものだっけ……
私は呆然とシンクの中を見つめた。
以前は好きだったステーキ。しかし最近はそれ程食指が動かない。肉より魚を好んで食べるようになった。好みが変わったのだ。
私は力なくキッチンの床にへたり込んだ。
冷凍保存している間に時は流れ、周りの状況は変わっていた。冷凍庫の奥底に追いやられ、いつの間にか冷凍したことすら忘れてしまう。思い出して解凍したとしても、同じ質のものを得ることができるとは限らないのだ。
気持ちは生モノだ。冷凍させちゃいけない。
ノロノロと立ち上がりフライパンを取り出す。
油をしいて肉を乗せ、ドリップ液も入れて塩コショウをした。肉の脇に、凍ったままのミックスベジタブルも入れる。蓋をして火を点けた。
美味しくなれ、美味しくなれ。
フライパンに向かって念じる。
彼と一緒にいても、以前感じたような嬉しさや楽しさはあまり感じ無いかも知れない。寂しく思う事もある。でも、仕事ができる彼を誇りに思うし、パートナーとして頼もしく思う。
「だから、一緒に居るんだ」
そう声に出すと、不思議と気持ちが楽になった。
状況も気持ちも変わって当たり前。何でこんな当たり前の事に気付かなかったんだろう。
―ピコン
スマホの通知音。開くと、彼からだった。
『予定より早く終わったよ。あと10分くらいで着く』
こんなタイミングの良い偶然、あるのだろうか。
久しぶりに一緒に夕食が食べられそうだ。スマホを見つめ、私は自然と笑顔になっていた。
おわり
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