記憶除去エステ

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 記憶から嫌なものを消すエステ。最近はそんなものが流行っているらしい。なんでも、ストレスをため込まないことこそが、美容の秘訣なんだって。  試した友達は、実際にストレスから解放されて綺麗になった。でも、安全性も心配だし、日常生活にどんな影響があるかわからない。わたしはそういうものを試す勇気もないし、消したい記憶なんてないから、まあ縁がないかな。綺麗になるのは、ちょっぴりうらやましいけれど。 「みゆき!」  そんな風に、さっき手渡された話題の「記憶除去エステ」のチラシを見ながら商店街を歩いていたら、突然男の人の声がした。聞き覚えのない声。おなじ名前の女性が近くにいるんだなぁなんて、のんきに考えていたら、突然腕をつかまれた。 「みゆきったら、どうして無視するんだよ。別れたからって、俺の存在まで消すのか?」  息を切らしながら走ってきた男の人は、なんていうか……平凡。黒髪の短髪、目は小さくて、中肉中背。服装は、ファストファッションの地味な色合い。特徴的でもなく、目立つでもない。どこかで会っても、印象に残らなそうだなぁなんて思って眺めてた。 「……みゆき? ちょっと会わないうちに、なんか綺麗になったな」 「どちらさまですか?」  わたしは不思議に思って首をかしげる。男の人は困ったように視線をさまよわせると、ふとわたしの手元に目を落とした。 「えっ、そのチラシ……まさか、俺のこと……」  記憶除去エステ。わたしったら、この男の人の記憶を、顔のシミを取るみたいに消しちゃったの? まさかね。 「うそだろ? なぁ、俺のこと、覚えてるだろう? ちょっと喧嘩して、言い合いになっただけじゃないか。別れるなんて、やっぱ辞めよう? 俺たち、一時的に距離を置いただけだって、な?」 「覚えてるも何も、わたしたち、知り合いじゃないですよね?」 「そんな……どうして……」  わたしって、一途で愛情深い女なんだから。そんなささいなすれ違いで、恋人の記憶を消すタイプなわけがない。だから絶対、人違いだと思う。目の前の彼がわたしの好みとは全然ちがうのも、その証拠。彼の泣きそうな顔は、ちょっとかわいいなって思ったけど。 「そもそもわたし、あなたを消した理由なんて、覚えてないんです。だからきっと、人違いですよ」    大丈夫、わたしは記憶除去エステなんてうさんくさいもの、利用してない。わたしはお手軽に記憶を消すような、そんな軽い女じゃないんだから。  がっくりと肩を落とすその人を置いて、わたしはさっさと目的のスーパーへ入っていった。
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