はらり、舞う雪は

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「掴もうと思っても掴めないよ、雪って」 静寂の中響いた、耳障りのいいボーイソプラノ。柔らかくて冷たい空気が肌を刺す。 灰色の空から舞い降りる羽に、白い指先を伸ばしながら、彼はそう言った。まるで、何かを辿ろうとするように。 「……そうだね」 まるで、君みたいだ。 なんて。そんな言葉は、白い吐息の中に溶かして。 「んは、変な顔」 から、と君は笑う。肺まで凍らせてしまいそうな冬の空気に、色素の薄い銀色の髪を揺らして。 重いばかりのコートの裾を握りしめて、ぎこちなく下手くそな笑みを浮かべてみせる。……雪は、嫌いだ。 ――嗚呼、だって。 「もう、そんな顔しないの」 だって君が、そうやって苦しそうに笑うから。 消えてしまいそうだって、思うから。 だから、雪は嫌い。大嫌いだ。 「酷い顔。ね、笑ってよ。僕、笑ってる君が一番好きなんだ」 慰めるように、君は僕の頭を細い指で撫でる。其れが苦しくて、ぎゅっと眉根を寄せた。 「……寒いね。そうだ、家においでよ。一緒にココアでも飲もう」 冷えた陶磁器(セラミック)のような手が、僕の右手を包む。触れたら壊れてしまいそうなほど儚く、彼は微笑んだ。 「そんな…いきなりだろ、悪いよ」 ゆるゆると首を振る。まるで血が通っていないかのように温度のない手が寂しくて、いっそ、僕の体温を全て君が奪ってくれたらいいのに、なんてことを思った。 いっそ、君が全部奪ってくれたら。そしたら、こんな苦しみも失くなる筈なのに。――君の心も…溶かしてしまえるかも、しれないのに。 「いいよ、僕が君とココアを飲みたいんだ。ね、おいで」 ぐいぐいと手を引く彼。名前に雪を冠する君は、酷く遠くに居るように見えた。 「――マシュマロ、」 其れが、苦しくて、切なくて、嫌で仕方なくて。縋るように呟く。 「……マシュマロ、浮かべたのがいい。二つ」 君が――雪白(ゆきしろ)が何処かに行ってしまわぬように。ぎゅっと、其の手を強く握って。いつものように、わざとらしいぐらいに明るくねだってみせる。 「ふふっ、いいよ。丁度昨日、雲の形のマシュマロを買ったところだったんだ。白雪(しらゆき)は本当に甘いのが好きだね」 優しく微笑(わら)う君。手を引かれるが儘、其の後をついていく。 はらり、白い羽が散った。 * * * * * * * * * * * 雪は嫌いだ、と、彼は言った。雪の気配なんてない、真夏の夕暮れのことだった。 「――なんで、嫌いなの」 彼と出会って、二年が経とうとしていた夏だった。茜射す教室と、赤く縁取られた君の横顔を、よく覚えている。 君は僕の問いには答えずに、只曖昧な微笑を浮かべた。寂しそうな、諦めたような、怒ったような、そんな微笑。 硝子細工みたいな君は、其の日を境に何度となく其の言葉を口にした。 ――「雪は嫌い」と。 其の後は決まって、あの微笑を浮かべるのだ。寂しいのか、諦めたのか、怒っているのか、判らない微笑みを。 何を言えば、君はそんな風に笑わなくなるんだろうって、君を苦しくさせるものは無くなるんだろうって、僕はずっとそんなことばかり考えてしまう。だけど僕は毎回、君の言葉に対する答えを見つけられずに、黙ってしまうんだ。 「――どうしたら、」 どうしたら、君は笑ってくれるのかな、なんて。 そんな言葉を、洋盃(グラス)の中に溶かして。踊る月光の後を辿るように、目を伏せた。 こんな夜更けに寝台(ベッド)を抜け出してしまったのは、何となく眠れずにいたからだ。今日はやけに、雪白の顔がちらついて離れない。 冷えた水に月明かりを溶かすと甘くなるって教えてくれたのは、確か君だった。夏至の夜、君は不意に僕の家に現れて、其れだけを伝えるとさっさと帰ってしまったんだっけ。 小さく笑って。雪白は度々、突飛な行動を取る。僕は大抵其れに振り回されてしまうのだけど…案外、嫌いじゃなかったりするのも事実で。 ブリキで作ったような月が、煌々と輝いていた。ハリボテのような光。 「……雪、」 はらり、月明かりを遮る白。ひらり、はらり、舞い落ちていく。 ――早く冬が終わってしまえばいいと思った。君を苦しくさせる雪なんて、無くなってしまえばいいと。 どうしたら僕は君に近づけるんだろう。すぐ隣に居るようで、其れでいて酷く遠い処に居る君に近づくには、どうしたらいいんだろう。 やっと近寄れたと思っても其れは錯覚で、隣に並んでいる筈の君は虚像でしかなくて、どうしても埋められない溝に苦しくなってしまう。 嗚呼、と溜め息一つ。喉を塞ぐものがまた一つ、増えたような気がした。 息苦しさを吐露するようにまた息を吐いて、天を仰ぐように洋盃(グラス)を傾ける。時折灰色に途切れる、蜜色の明かり。 喉に流し込んだ水は、やけに苦かった。 * * * * * * * * * * * 雪が続いていた。時折太陽が顔を覗かせて積もった雪を溶かすけれど、其れも直ぐに雲隠れしてしまって、羽のような雪が降り注ぐ。 君は、笑顔を見せることが少なくなっていた。 段々と白さを増していく君の頬は人形のようで、僕は、君が雪と一緒に消えてしまうんじゃないかと思った。 元々端麗な君の容姿は此の頃、凄絶さと儚さを増している。まるで、人ならざる者みたいだ。 「――き、……ゆき、白雪、」 名前を呼ぶ声にはっとなる。顔を上げると、薄青い瞳が此方を覗き込んでいた。 「……雪白、」 「もう授業は終わったよ、食堂に行こう。どうしたの、最近ずっと上の空じゃないか」 「……もう、授業終わったの、」 鸚鵡返しにぼんやりと呟く。彼は少し眉根を寄せて、額に白い手を当ててきた。氷みたいな冷たさに、思わず身を引く。陶磁器(セラミック)でも、此処まで冷たくはならないだろう。 「手、冷たい」 「熱はなさそうだけど…あれ、そう?ごめん、驚かせた」 ひらり、遠退く指先を捕まえて、両手で包む。一体何をしていたらこんなに冷たくなるんだろう。こんなにも教室は暖かいのに。 「ふふ、白雪の手は暖かいね」 「君が冷たいだけだよ…氷水にでも浸けたの?」 溜め息混じりに言葉を返して。彼はくすくす笑いながら、「あったかい」と目を細めた。 「筆記張(ノォト)は?どうせ取ってないんでしょう?」 「真っ白、」と揶揄いに肩をすくめる彼に苦笑。確かに、授業で何を話していたかの記憶も何もない。僕の腕の下に敷かれた筆記張(ノォト)は真っ白だ。 「見せてあげようか」 含みのある笑顔。普段なら何も言わずに持ってくるのに、わざわざ訊くということは、恐らく。 「ホットショコラでいい?」 「いいよ、丁度金欠だったんだ」 予想していた答えに思わず笑う。彼は案外、金遣いの荒いところがあるんだ。 「今度は何に使ったんだ?カラスと賭け事でもしたのか?」 級友の名前を出せば、彼は「そんなとこ」と苦笑する。カラスというのはあだ名で、烏よりは白鷺のような見た目をしているのだが、其れは彼の名前と性格に起因する。当人は名前によるものだろうとしか思っていないのが滑稽で、少年達は稀に、揶揄を込めて彼を呼ぶこともあった。 「まだ月始めだろう。何をしたのさ」 「チェスで一勝負」 「君にチェスの勝負を挑んだのか?流石カラスだな。……あぁいや、負けたのか」 「ううん、勝ったよ」 「じゃあ、なんで?」 勝ったなら、何故金欠なのか。きょとんと首を傾げれば、彼はふっと笑う。 「僕が勝ったら、彼が南で買ったって言う硝子ペンを貰うことにしてたんだ。ほら、南は硝子が特別綺麗だろう。君の目と同じ、綺麗な白緑の硝子ペン」 「あぁ…夏休み明けに自慢してたやつか」 僕の机に後ろ向きに腰掛けながら、指を振って話す彼に相槌を打つ。まだ夏の香りを残す二学期初めの教室で、淡い白緑の硝子ペンの入った箱を掲げ、声高に何やら自慢していたカラスが脳裏に浮かんだ。 「其れ用の新しい替芯と洋墨(インク)を買ってたら、あっという間に」 「全く…本当に金遣いが荒いな、君は」 呆れを隠しもせずに言えば、雪白は「必要経費さ」と柳に風だ。「仕方ないから、サンドイッチぐらいは奢ってあげるよ」「流石白雪、わかってるね」そんな会話。 「月末まで食事抜きのつもりか?流石に今月ずっと奢り続けるのも無理があるよ」 「まさか。適当にカラスから巻き上げるよ。もしくは上級生から、」 くすくすと笑う君は悪戯っ子の様相を呈していて、苦笑せざるを得ない。以前其れで手酷くやられていたというのに、懲りないんだ。あの時の君は至るところ血だらけで、見ている此方が痛みを覚えてしまうほどだった。 「全く、君も性格が悪い」 「知ってて止めないから君も同罪」 「確かに」 お互いに笑いあって、食堂へ向かう。廊下は、昼食を求める生徒達でごった返していた。 「クロックムッシュとホットサンドならどっちにする?」 「三日月パン。バターとスクランブルエッグ、ベーコンも乗せて」 「奢られる方なのに、随分遠慮がないな。了解。買ってくるから、席取っておいて」 「わかった」 頷く雪白に背を向けて、二人分の昼食を買いに行く。いつも通りの昼だった。 ――そう、いつも通りだったんだ。 學校が終わる、其の時までは。 * * * * * * * * * * * はぁ、と吐いた息が白く解ける。隣を歩く君の頬に、白い冬の欠片が触れた。 (……早く、止めばいいのに) 雪なんて。……そう、思った。 「――白雪」 柔らかな声が鼓膜を揺らす。ちらりと視線を向けると、酷く優しい笑みをたたえた雪白が、僕を見ていた。 「……どうしたの、雪白」 嫌な予感がした。其れを誤魔化すように、繕ったように明るい声音で名前を呼ぶ。 「ね、僕のこと、殺してよ」 朗らかに、彼はそう言った。 何でもないことのように、さもいいことを思いついたかのように。 自分のことを殺せ、と、彼は笑った。 「……え…?」 声がどうしようもなく掠れた。心臓を雪の中に突っ込まれたような感覚。体温が下がっていって、心拍数が上がる。 「なん、で」 問うた声は、笑えるぐらいに震えていた。彼は優しい微笑を浮かべ、僕の手を握る。 「思ったんだ。どうせ死ぬのなら、僕は君に殺されたい。……此の手がいいんだ。僕は、いつか来る死神なんかじゃなくて、他でもない君に葬られたい」 まるで、悪戯の計画を話すように。 楽しそうに話す君の声が遠い。まるで、水の中に居るみたいだ。 何を言っているのかさっぱりわからない。僕が、殺す?何を?誰を?……君を? ――僕が、殺すのか? 口にしたい言葉とすべき言葉が一つの螺旋になって、ぐるぐる、頭の中を巡る。わからない。彼は、何を言っているんだ。 耳鳴りがする。きぃん、と、高く張り詰めた音がする。気持ち悪い、吐きそうだ。 「――何も今すぐとは言わない。でも、春になるまでには殺してね。此の冬が終わるまで。きっとだよ」 何も言えずに、ただ冷や汗をかいて瞬く僕を見かねたのか、彼は仕方ないなぁとでも言わんばかりの笑みを浮かべる。其の瞳の奥に隠れた言葉を見つけることは、今の僕には出来なくて。 涙は出なかった。言葉も、声も出なかった。何を言えばいいのか判らなくて、現実味のない彼の言葉を咀嚼するのに精一杯だ。 ――結局僕は、何も言えなくて。頷くことも、首を振ることも出来なくて。 唯、無邪気に笑う君を見ていた。 * * * * * * * * * * * 銀色の明かりが夜に溶けていた。流しから、水の滴る音が聞こえてくる。其れを止める気にもなれず、僕はカウチソファに体を沈めた。 思うは、優しい白雪のこと。 ほんの少しだけ気弱で、誰よりも優しくて、笑った顔が風に揺れる花みたいな、そんな君。 「……君は、綺麗だから」 連れていかれてしまうのだろうか、あの子のように。 呟いて、溜め息。冷えた空気が体を刺す。いっそ此のまま凍って、何も考えられなくなってしまえば楽なのだろうか。 最近の君は、どうも上の空だ。いつもは呼びかけたらすぐに僕の目を見てくれるのに、何度呼びかけても気づかないことがある。普段真面目に――真面目過ぎるぐらいにしっかりと――とっている筆記帳(ノォト)も真っ白で、僕のものを写すことが多い。もの思いにふけるように、散る雪を眺めている。 ――僕は、そんな少年の末路を知っていた。 秋の終わり、金木犀の漂う頃、金雀枝に連れていかれた負けず嫌いの友人を思い出す。……否、友人と(そう)思っていたのは、僕だけなのだろうけど。 白雪も、そうなのだろうか。彼も、ひとならざるものに連れていかれてしまうのだろうか。――また、僕は大切なひとを奪われてしまうのだろうか。 (――嗚呼、) 嗚呼、其れならば。 其れならば、いっそ君に殺されてしまえば楽だろうか。ひとならざるものに魅入られ、僕のもとを去る君を見る前に、他でもない君に殺されてしまえば。 そうすれば、僕の心も晴れるだろうか。そうすれば、此の苦しみもなくなるだろうか。 頭の中は、在りもしなさそうで、其れでいて在り得そうな可能性ばかり。水に落とした洋墨(インク)のように、一点の黒い染みはどんどん広がって僕の思考を侵食する。 深く、深く息を吐いて。だから冬は、雪は嫌いなんだ。 金木犀に似た雪なんて、なくなってしまえばいいのに。 こんな痛みなんて、雪と一緒に無くなってくれたら楽なのに。 嗚呼、と息を吐く。もどかしい。いっそのこと、死んでしまえたら。拭いきれない破滅願望は、日に日に膨らんでいく。 「――殺してね、白雪」 此処には居ない彼の名前を呼ぶ。食欲がないせいで骨の浮き出た腕を暗闇に伸ばすと、病人の様な白がぼんやりと浮かび上がった。 ……雪の降る中、隣に居た彼に殺してくれと乞うてからもう一週間が経つ。彼は殺してくれる気配も見せず、いつも通りに…何事もなかったかのように振る舞おうとしている。 「……此の冬が、終わるまでに」 どうか、君の手で、僕を。 そんな苦い願いを吐露した、雪の夜。 * * * * * * * * * * * 今日も、雪だった。見慣れた白い欠片は、一か月前よりは小さくなっているような気がした。 緩んだ霜の上を踏みしめて歩く。隣の君は、なんだか上機嫌に鼻歌を歌っていた。 君が僕に殺してと乞うた日から、三週間が経とうとしていた。此の頃、雪の勢いは少しずつ衰え、梅の香りが漂い始めている。 (此の儘、全て有耶無耶に) 君の願いなど、溶けゆく雪と同じように、なかったことにしてしまえれば。君はまた笑ってくれるだろうか。僕の隣で息をしてくれるだろうか。 時々、子供のように泣きじゃくってしまいたくなる。僕の隣で生きていてくれよと、駄々を捏ねたくなってしまいたくなる。君を失ってしまったら、僕はきっと此の世に溢れる色の殆どを失くすことになるだろう。 「雪ってさ、金木犀に似てると思わない?」 唐突な言葉。俯けていた顔を上げると、曇天の隙間に青空を見つけた。君は頭の回転が速いから、すぐにころころと話題が移り変わる。 「……そう、かな」 呟くように、疑問とも否ともつかない曖昧な相槌。君はこくんと頷いた。 「うん。金木犀の薫りにそっくりだよ。……だから、雪は嫌い」 何の色もない声。感情の抜け落ちたような、真っ白な声。 ――なんで、とは、紡げなかった。 あんまりにも苦しそうな、泣き出しそうな微笑みを、君が浮かべるから。 僕はまた、何も言えなくて。 「僕ね、金木犀が嫌いなんだ。もう居ないともだちのこと、思い出すから」 初めての言葉だった。驚いて、目を見開く。君は、静かに微笑んでいた。 「金雀枝も嫌いだよ。ともだちを連れていったから」 氷の張った水溜まりのように凪いだ声。其の下に後悔と憎悪を見つけて、ぎゅぅっと胸が苦しくなる。 「――寒いね、白雪」 呟いた君が吐く息は、白く染まっていた。何か、嫌な予感がした。 「ねぇ、殺してよ」 息を呑む。――言葉が、出なかった。 「もうじき冬が終わる。其の前に」 白い手が、伸びて。 僕の頬を、包む。 「今、此の場処で。――殺して、白雪」 君の微笑は、泣きたくなるぐらい綺麗だった。何もかもを諦めたような、そんな微笑みだった。 息を、吸う。――ころさ、なきゃ。 他でもない君が望むなら。君が、僕じゃなきゃ嫌だって、言うなら。 殺さなきゃ。殺さなきゃ、いけない。君が、望むから。僕が、此の手で、此の場処で、今。――殺さなきゃ。 震える手を無理矢理動かして、君の細い首に手をかける。簡単に折ってしまえそうなほど、細い首。 力を、込めて。そしたら、僕は、君の望みを、 「……白雪、」 嗚呼、やめてくれよ。 (……そんな、顔で、) 笑わないでくれよ、なぁ。 「だいすき」 ――やめて、くれよ。 折角、覚悟、決めたのに。 (……嫌だ、) 喉が、締まる。眼球が熱い。 ――ぽろり、頬を雫が伝う。 力が入らない。君の首にかけた手は、いつの間にか君を抱き寄せていた。 「――っ、ごめ、ごめん」 ごめん、ごめん。 やっぱり、僕には 「殺せない…っ」 泣きじゃくる。縋るように、君を抱き締める。 「ころせ、ないよ、」 「……白雪」 「だって、大事な友達、なんだよ」 嗚咽混じり、そんな言葉。息を呑む音が聞こえた。 「いやだよ、雪白」 「でも、白雪、」 「嫌だ。いくら君の頼みでも、聞けないよ、雪白」 ぐりぐりと彼の肩に額を押し付ける。君は何も言わずに、僕の後頭部に手を添えた。 「……話して、なんて、傲慢なことは言えないけど…ねぇ、お願いだよ、雪白」 華奢な体を力一杯抱き締める。君は、こんなに小さかっただろうか。 「――僕の隣で、生きていて」 ぐしゃぐしゃに揺れた声で落とした願い。肩に押しつけていた顔を上げて、額を合わせる。 「ずっと笑っててなんて言わない。死にたくなったら、僕が君の手を握るから」 細い、細い手を握る。少し力を込めてしまえば折れてしまいそうなほど細い手を、強く握った。 「――死なないで」 死なないで、雪白。 「君の居ない世界を生きていたくないんだ」 君が居なきゃ、きっと何も面白くない。 「君が居ないなんて嫌だ。夏に曹達(ソォダ)を一緒に飲むのも、冬にココアを飲むのも…君とじゃなきゃ、嫌だ」 だから、お願い。 「雪白、」 名前を呼ぶ。君を、此方に留められるように。 言葉に出来ない感情も、きっと君なら汲み取ってくれるから。 「――そんなに泣いたら、目溶けちゃうよ、白雪」 そんな声が、頬を擽る。白い指が、僕の目元を拭った。 「だって、君が、」 「泣かせるつもりはなかったんだよ。僕が死んだら、君は心置きなく向こう側に行けるかなって…ううん、此れは言い訳だな。僕は、君を、……他でもない友人を、喪うのが怖かったんだ」 青白磁の瞳に薄い水の膜が張る。ぽろりと溢れた雫は、硝子玉のようだった。 「……むこう、がわ?」 「此方の話。……ごめんね、白雪。本当に、ごめん」 ぼろぼろ、留まることを知らない雪白の涙を掬って、ふるふると首を振る。そんな僕の手首を掴んで、君は漸く少し微笑んだ。 「……あったかいね、白雪は」 「だって、君の手が冷たいから」 二人、泣きながら笑って。はらはらと降る雪は、手の甲に触れて溶けていく。 「――ねぇ、雪白」 「なぁに、白雪」 「ココア、飲まない?」 微笑みながら問う。君はぱちぱちと瞬いた後、くしゃりと笑った。 「うん。二人で飲もう」 そう、目を細めた君はすごく綺麗で。なんだか、また少しだけ泣いてしまいそうになった。 雪道、増えた足跡二人分。
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