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初めて会ったのは、あたしの勤めている歯科クリニックだった。
旦那は、スーツ姿。受付で、あたしを呼び出した。
「春日凛子さんですね。森田と言います」
あのとき、旦那は緊張していたな。あたしは、名指しをされてちょっと警戒していた。
「はい……」
小さい声で返事をした。怪しい男を見るみたいに、目つきも悪かったと思う。
「あの、僕の母が、障がい者支援ボランティアに行ったときに、春日さんと同じグループで活動したと言っていました」
「ああ、あの森田さんですね。はい、覚えています。お話し好きな楽しい方で」
「はい。そのときに母は、写真を撮ってたのですが。その中に、春日さんが写っているものが、何枚かありまして。それを春日さんに渡してほしいと、母にたのまれたので、お渡しにきました」
「え、わざわざ。ありがとうございます」
「僕の仕事場がこの近くにあるので、ついでに春日さんに写真を渡すように言われて、急に申し訳ありません」
当時旦那は32歳で眼鏡あり。あたしから見ると、顔は中の中の中。独身。今から思うと、恐らく旦那の母親の、思わくがあったことは明白だ。でも、旦那はあたしに写真を渡すと余計なことは一切言わず帰っていった。あたしも突然のことで、記憶の片隅にも残らなかった。
再び旦那が現れたのは、患者としてだった。そのときのあたしは、歯科助手として先生に、診療器具を手渡す仕事した。
「おお、おお。親知らずの虫歯だ。こりゃあもう抜きましょう」
歯科先生、親知らずはチャッチャと抜いてしまう。それを聞いた、旦那のビビりようったらなかった。
「あ、あのう、抜くのは、ちょ、ちょっと待ってください。明日、研究授業があって、痛みがあったり顔がはれたりしてたら、授業ができないので」
旦那は、高校教員をしていた。
歯科先生は疑いつつ、
「そうなの……。じゃあ、それが終わってからにしようか」
と言って、抜歯を取りやめた。治療用のイスを起こして、後はよろしくと言って、先生は隣の患者の方へ行く。
「うがいをしてください」
あたしが促すと、旦那はホッとしたような、情けないような顔をして、ぺっとうがいをした。そしてあたしを見た。
「はあ、また出直します」
やっぱりビビっていた。でも、旦那の言った、研究授業のことは事実だったと、後で聞いた。
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