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第一章 祇園の長者
一
高柿藤四郎は、日ノ岡峠の頂から京の町を見た。
眼下に広がる町並みは、白河の辺りである。
法勝寺はどこに、と首を左右に振ったが、
「そうか。今は無いのだった」
思い出してがっかりした。
度重なる火災で失われたのである。それでも、往事の盛況を感じさせる寺社がいくつも建ち並んでいる。
初めて見る都の景観を、鎌倉のそれと比較しつつ、藤四郎は胸躍らせて峠を下りた。
鎌倉を出て十四日が経っている。
粟田口を入ってしばらく行くと、道は白川と合流するところで二つに分かれる。
一つは白川に沿って三条の橋を渡って京の町へ。ほとんど真っ直ぐ道で、彼方に三条の橋が見えている。
もう一つは白川の支流小川に沿って暫く行き、祇園社(感神院)のところから右に折れて、四条大橋を渡って京の町に入る。
藤四郎はしばらく迷ったが、人通りの多い四条大橋の方の道をとった。祇園社へ向かう道でもあり、さらに下って左に曲がると清水寺である。
四条の大橋は、この年仲夏下旬に大洪水があって、五条の大橋とともに流されていたという。ようよう復旧なったばかりのようで、まだ匂って来そうな程に橋の木が新しい。
藤四郎が、その四条大橋を渡った頃には、すでに日暮れどきで、西の空には焼け付くような赤金色の太陽が没しようとしていた。
遠く入相の鐘の音が響いている。
やんごとなき上臈の網代輿とすれ違う。
ひゅう、と身を切るような比叡颪が吹きすぎて、
「急ごう。日が暮れてはまずい」
独りごちて、藤四郎は足を速めた。
まずは宿を求めなければならない。
仲冬の空は、烏色の闇に覆われるのも早い。
――都の夜を甘く見るでない
師念道慈信の戒めが、頭の片隅をよぎった。
しばらく歩いて行くと、大勢の男たちが騒いでいる。不審に思って藤四郎が立ち止まってよく見ると、
「直に日が落ちる。急げ……」
男たちが家を壊している最中だった。
「いったい何故に壊しているのであろうか」
近くの野次馬らしき男に訊ねると、
「罪人の家でございますよ」
「罪人の家を壊す!」
山彦返しの藤四郎に男が肯った。
「罪を犯した者に咎はあってしかるべきだが、家族に咎はあるまいに。家を破却してしまっては、家族はどこに寝泊まりすればよいのだ」
鎌倉、いや東国にそのようなしきたりは、無かったように思う。
合点がいかぬ、とばかりに藤四郎が、
「誰も止めようとせぬのか」
大きな声を出して一歩踏み出したときである。
「我らの行いに難癖をつけるか」
突然の怒声に、はっ、として藤四郎が、声のした方を向くと、
「ぬしは何者だ!?」
きつい言葉とともに、ばらばらと屈強な男たちが取り囲んできた。
赤い僧衣に白い布の覆面頭巾を被り、八角棒を手にしている。
「こちらが聞きたい。ぬしたちは何者だ」
烈しい誰何に、
「生意気な若侍め」
「ははあ、田舎者だな」
一人が小馬鹿にしたように言った。藤四郎の旅支度を見ての判断だろう。
「われが田舎者なら、ぬしらは蛮族よ」
藤四郎が言い返す。
「ううむ。言わせておけば、雑言を……」
憤怒の形相で、別な一人が八角棒を振り下ろした。
間一髪、八角棒を避けた藤四郎は、その者の後ろに回って背を蹴った。
前のめりになる男を受け止めた男は、
「構わぬ。この者に都の仕来りを教えてやれ」
と指示した。
同時に八角棒の者たちが一斉に襲ってきた。
一人一人の武芸の腕は、たいしたことは無いと見切った藤四郎だったが、数の多さは厄介だった。とはいえ、背の太刀を抜くわけにもいかない。
素手で男達と組み合いながら、その数に手を焼いていると、
「はは。手助けがいるようだな」
高い声とともに、一人の侍が、藤四郎の味方に入ってきた。
「若造が若造を助けようというか」
男の一人が悪態をついた。とはいえ、その男も藤四郎と同じくらいの年格好であった。
「悪いか。犬神人も多勢で一人を襲うなど、卑怯千万ではないか」
「言うな、若造。いっしょに目にものを見せてやれ」
たちまち乱闘に戻った。
「ううむ、手強い奴。構わぬ、棒で撃ち殺してしまえ」
いったん引いて、二人を囲んだ犬神人たちが、改めて八角棒を持ち直したとき、
「その争い、待ちゃれ!」
甲高い制止の声が飛んできた。
その言葉の効果は絶大であった。屈強な男たちの動きが、ぴたりと止まったのである。
気がつくと、藤四郎の目前に輿が迫っていた。
「もしや、先ほどの……」
藤四郎は、その輿に見覚えがあったのである。
四条大橋ですれ違った網代輿に間違いなかった。
橋の上で、さっと強い比叡颪が吹いたときのことである。御簾がわずかにめくれて、藤四郎の視野に輿の中の人物が飛び込んできたのである。
乗っていたのは女人であった。決して若くはない。垣間見た感じだったが、美しい、と藤四郎は正直に思ったのである。
ただし、年齢は判然とせず、高貴な上臈という体である。重ねた小袖の色、文様は艶やかで、薄化粧を施した顔立ちは、えも言われぬ神々しさに満ちていた。
臈長けた、とはまさにこのような女人のことをいうのであろうか。藤四郎は一瞬我を忘れてしまったのである。
女人はそんな藤四郎を見て、手にした扇子を口にあて、軽く笑ったようだった。
すぐに御簾は元に戻り、輿は何事もなく橋を過ぎて行ったのである。
その輿の主が、犬神人どもに囲まれて、あわや大乱闘かというときに、止めに入ってきたのだった。
「これはこれは。祇園の長者さま」
男たちは慌てて、輿の前に跪いた。
するすると御簾が開けられる。現れたのは、間違いなく藤四郎が先ほどかいま見た上臈であった。
「いかがいたしたのだ」
「長者さま。この者が、我らのお役目の邪魔をするのでござります」
犬神人のうち頭だった者が答えて、藤四郎を指さした。
邪魔をしたわけではない、と藤四郎が抗議しようとしたとき、
「こなた、名は何と申す。いずこから参った」
上臈が矢継ぎ早に訊ねてきた。一見して旅の者と知れたからであろう。
気がつけば、助太刀に入った若者の姿はない。
むしろその方が良い、と思った。助太刀の若者を巻き込むことは、藤四郎の本意では無い。
藤四郎は名乗ってから、鎌倉から上京したばかりだ、と言った。
「ほほ。東夷かや」
上臈は手にした扇子を軽く口元にあてて微笑んだ後、
「東人は都の礼儀を知らぬ。許してたもれ」
「さりながら……」
上臈の仲裁に、犬神人の頭だった男が異を唱えようとすると、
「わらわの言うことが聞けぬかえ」
威厳のある声で、ぴしゃりと言った。何者の反発も許さぬという強い響きがあった。
「滅相もない」
慌てて男たちは再度跪くと、それぞれ詫びの言葉を述べ立てた。
「もう良い」
上臈は男たちを止めると、今度は藤四郎の方を向いて、
「わらわが都の作法を教えてつかわそう。ついておじゃれ」
と、命じた。有無をも言わせぬ響きがあって、従いて来るのが当然という体である。
藤四郎に拒む言葉も与えずに、御簾が下ろされ輿は静かに動き出した。
「長者さま。このような者など相手にしてはなりませぬ」
止めようとする男たちの声を無視して、輿は再び四条の橋を渡っていく。
(今日の宿のこともある。ままよ……)
藤四郎にためらいはなかった。後ろから輿に従うようについて行った。
振り返ると家の破却は止んで、犬神人たちの姿も見えなかった。人影もまばらである。
すでに陽は落ちていたが、輿の回りは、松明で明るく照らされている。
やがて、輿は感神院の近くの巨大な邸宅に入っていった。
門を入ると、上﨟は藤四郎を近くに呼んだ。御簾はそのままである。
「わらわの名は、綾絹という。覚えておくが良い」
と、中から言った。
藤四郎が、はっ、と答えて控えていると、
「北の奥の一棟を好きに使うが良い」
綾絹は無造作にそう言って、
「三郎四郎よ。この者の世話をしてやるが良い」
同じく控えている人物に命じた。
輿が去り、三郎四郎が藤四郎の近くに寄ってくる。
三郎四郎は歳の頃五十ばかりの雑色で、好々爺という感じであった。
「こちらへお出でくだされ」
藤四郎が、三郎四郎に従っていくと、北側の一棟に案内された。
調度も一通り揃っている。食事も運んでくれるという。暮らしに不自由はなさそうだった。
「ううむ。これはいったいどうしたことだろう」
藤四郎は不審を抱いた。このように優遇されるいわれが見つからない。
「なぜ、それがしにこのような親切を?」
「分かりませぬ。ただ……」
三郎四郎はその先を言い淀んで、言葉を濁した。
「ただ。何だ?」
「長者さまは、気まぐれなところがござります。若くて強そうな男には、興を抱くことがままござりまして……」
三郎四郎の答えは、はっきりしない。
「長者さまとは、どのようかお方なのだ?」
部屋に落ち着きながら、藤四郎は問いを変えた。
「高貴なお方にござります」
どうも三郎四郎の答えは要領を得ない。
「見れば分かる。どのような身分のお方かということを訊いているのだ」
三郎四郎が言いよどんでいると、
「お着替えをお持ちしました」
と言って、一人の雑仕女らしき女が入ってきた。
雑仕女とはいいながらも、杜若色の小袖に身を包んだ、若くて美しい女である。
「先ほどの家を壊すことといい、それがしには、都のしきたりがさっぱり分からぬ。もう少し詳しく教えてくれぬか」
雑仕女の持ってきたものに着替えながら、藤四郎は訊ねた。
こうなったら、このまま厄介になってやれ、という開き直った気持ちになっている。
三郎四郎が訥々と語ってくれた話はこうである。
先ほど家を破壊していたのは、感神院こと祇園社の犬神人だという。
神人とはそれぞれの神社に属する下級神官のことだが、特に祇園社に属する者を犬神人というらしい。
犬神人の活動は、祇園社境内の清掃、警護、犯罪人の住居の破却などであるとのことだった。
先ほど藤四郎が止めに入った破壊行動は、住人が祇園社に対して不義の行為を働いたことによる。いわば〈制裁〉という性格のものだったという。
「そうか。それを咎められたと知って、犬神人たちは怒ったのだな」
知らぬこととはいえすまなかった、と藤四郎は素直に詫びた。
「やむを得ぬことと存じます。その予感があったのでしょうか。長者さまが輿を引き返させたのは」
「やはり、そうであったか」
四条の橋の上ですれ違ったはずであった。それがどうして止めに入ったのか、藤四郎には合点がいかないことである。
「高柿さまとすれ違ってすぐのことでござりました。犬神人たちともめ事を起こすのではないか、と仰せになったのです。長者さまは先のことを見通す力がございます」
予言が中る、ということらしい。
「陰陽道を心得ておられるのか」
天文、暦、卜占のことを陰陽道というが、方術の一種で、予言の術もあると藤四郎は聞いたことがある。
「さにあらず。陰陽道は安倍家、賀茂家のもの。長者さまの身に備わった不可思議な力にござりまする。初めて見た者の先行きが分かると申しますか、危難を感じると申しますか」
藤四郎は思わず考え込んでしまった。そのようなことが本当に可能なのだろうか。
三郎四郎の言葉は要領を得ないが、思うに予言というほどのものではないように思う。いわゆる勘が鋭い、ということなのだろうか。
綾絹は犬神人たちから畏れ敬われている高貴な女性であるらしい。
藤四郎は祇園の長者と呼ばれる綾絹に大いに興味をそそられていた。
(続く)
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