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第三章 聖徳太子未来記
一
応永三十五年の年明けは、いつもと変わらず静かだった。
応永六年の大内義弘の乱以降、畿内に大きな戦もない。
藤四郎は千里に誘われて吉田山に初日の出を見にいった。
「利恵どのも」
いっしょに行こう、と誘ったのだが、
「お姉さまは、お祖父さまをお願い」
強引に千里が決めてしまった。
藤四郎は利恵姫と二人で積もる話もあるのだが、千里は巧妙に二人の間に割って入ってくる。
昨年十一月に再会して以来、二人きりで話したことはまだない。なぜか、必ず千里が入り込んでくるのである。
そんな不満を抱きつつも、総じて穏やかな正月であった。
十日ほど経ったときのことである。
藤四郎が、畠山古泉の屋敷に移りたい、と綾絹にどう申し出ようかと考えつつ、鴨川を渡ったときである。
河原の方から剣戟の音がする。
「何の争いであろうか」
藤四郎の足が止まった。
古泉の邸からの帰りである。千里のたわいのない話に強引に付き合わされて、その夜はだいぶん遅くなっていた。
戌の刻はとうに過ぎて、亥の刻に近い。
正月とはいえ、夜の比叡颪は肌に刺さるように厳しかった。
京の夜は鬼が夜行する、と言われており、夜出歩く者はほとんどいない。だが、藤四郎は祇園の長者邸に帰るため、道を急いでいたのである。
空には十日余りの月があった。野原は枯れ芒が揺れて、蕭々とした寂しさが漂っている。
夜目に剣戟のする方を見ると、どうやら一人に対して数人が切り結んでいるように見える。
やや迷った後、藤四郎は剣戟のする河原へ出た。
「一人に対して、数人掛かりとは卑怯であろう」
藤四郎は剣戟のする方へ大声で呼びかけた。
「おう。その声は、高柿藤四郎ではないか。助勢を頼む」
という声に、藤四郎は覚えがあった。
「祇園藤次!」
名を呼んだときには、剣を抜き藤次の横に立っていたのである。
「邪魔をするでない」
藤次が戦っていた相手は、皆一さまに黒装束に黒頭巾であった。
だが、藤四郎が引かないとみると、藤次一人に手こずっていたようで、さらなる新手に、
「やむを得ぬか。いったん退け」
頭立つ者の号令で、すぐに闇の中に消えていった。
「大事ないか?」
「おお、すまぬ。助勢に礼を言う」
藤四郎の声に藤次が応えた。
「いったい何故に闘争など」
「原因はこれよ」
藤次が差し出したものは、一巻の巻物であった」
「これは?」
月明かりだが、文字までは読めない。
「『聖徳太子未来記』だ」
藤次が答えた。
「聖徳太子未来記とな? 何だそれは?」
「古、聖徳太子が、未来を予言して書かれたものだという」
「予言の書か。ばかばかしい」
藤四郎は予言など信じない質だった。
「はっはっは。ぬしは気楽でよい」
藤次は明るく笑った。
「行こう。寒くなってきた」
すでに三更の頃合いである。そのうえ河原である。吹き渡る風は、身に刺さるようだ。
二人は河原から大路に出た。そのときである。
「何者だ?」
激しく誰何されたのである。と思う間もなく、長刀を手にした腹当姿の雑兵たちが、ばらばらと藤四郎を取り囲んでいた。
松明を持つ者が居て、辺りは俄に明るくなる。
「主たちこそ何者だ。この夜中に、何の騒ぎだ」
藤四郎が逆に問うと、頭立つ腹巻姿の武士が、
「無礼は許されよ。我らは侍所の者。この近くで赤松越州の一味を見かけなんだか?」
言葉を改めて訊ねてきた。
「侍所の面々であられたか。こちらこそ無礼した」
藤四郎は詫びの言葉を述べて、自らの姓名を名乗った。
祇園藤次も続けて名乗ると、
「赤松越州一味の者どもはわれを襲ったが、こちらの藤四郎どのの助勢で事なきを得た」
「ほう。その一味の者どもはいずくに」
腹巻姿の武士が、急き込んで問うてきた。
「あちらに」
と、子の方(北)を指さすと、
「忝ない」
一言礼を述べて、腹当姿の雑兵たちに、それっ、と指図して腹巻姿の武士も行ってしまった。
侍所とは、都の治安を預かる職名で、大名が任命される。このときの頭人(長官)は京極治部少輔持光であった。
藤次が争っていたのは、赤松越州一味だったのだ。藤四郎は稲田三郎の火事でやけどを負った顔を思い出していた。
「藤次どの。何故、赤松越州一味が、聖徳太子未来記などを狙うのでしょう」
「理由を知りたいか」
藤四郎が肯いたときである。
「やはり、こなたらしか居らぬ」
声のした方を振り向くと、先ほどの腹巻姿の武士が、同じように腹当姿の雑兵を随えて現れた。
「このような夜中にいずこへ参られる」
言葉は柔らかいが、有無を言わせぬものがある。
「我らが、赤松越州一味といわるるか」
「いかにも。話さずば、こなたを召し捕らねばならぬ。着ているものからみて牢人とも思えぬが」
牢人、浪人とも書く。
話さねば主に迷惑が掛かるぞ、という言外の意味を覚ったとき、
「騒がしいぞえ。何事ぞ」
突然、女房たちを随えた祇園の長者が現れた。
腹巻姿の武士が慌てて跪いた。
「この者は、我が家の食客高垣藤四郎と祇園藤次。何用か?」
臈長けた長者の言とともに、三郎四郎が腹巻の武士に近寄ると、何事かを耳打ちして匂い袋のような物を手渡した。
「聞きたきことがあり、呼び止め申しました。されどすでに用は済んでござります。これにて去り申す」
「京極どのによしなに言うてたもれ」
はっ、と応えた腹巻の武士は、雑兵どもを連れて去って行った。
その者たちが去るのを待って、長者が呼びかけた。
「面白い物を拾うたようじゃな。わらわにも見せてたも」
にっ、と笑ったその顔は、全てを知っているという顔つきであった。
おそらく知っているだろう。吉祥女の配下の者も居合わせたに違いない。赤松越州一味、侍所、そして吉祥女が追う巻物『聖徳太子未来記』とは、かなりな物に違いない。それになぜ祇園藤次が持っているかということも気になる。
藤次も観念したような顔をしている。
(ちょうど良い。不可解なことを全て聞いてみるとしよう)
むしろ藤四郎にとっては好都合であった。
「では。お部屋へ参りましょう」
「ほほ。こなたは大胆よな」
長者は機嫌の良いしのび笑いを漏らして踵を返した。
(続く)
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