第三章 聖徳太子未来記

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   二 「祇園の長者には、ご機嫌麗しく、恐悦至極に存じ……」  綾絹は途中で藤次の言葉を遮った。 「こなた、これを誰から奪い、誰に届けるつもりであった」 「梵論党の者どもから奪い、満済入道どのに」  満済入道とは、三宝院満済といい、足利義持が最も信頼する僧侶である。  赤松越州一味は、首魁だった稲田三郎が亡くなった後、皆梵論党の仲間になったらしい。  梵論党は、別に暮露ともいう。総帥は楠木正勝である。また正勝は、梵論党の総帥で虚道ともいった。  梵論党の者たちは、正勝の命を受けて、大阪の四天王寺から秘蔵の『聖徳太子未来記』を盗み出したという。祇園藤次は、満済の指示を受けてそれを奪還しようとしていたらしい。  満済という名を聞いて、どこかで聞いたことがある名だと思ったが、どこで聞いたか思い出せなかった。 「そうか。子細によっては、わらわが貰ってもよいかえ」 「やむを得ませぬな。満済入道どのも否やは申しますまい。それにわれも吉祥門の美女たちに囲まれては、逃げも隠れもできますまい」  ここは綾絹の部屋だが、いつものように上座に居るわけではない。高麗縁の畳の上に、綾絹と黒装束の女の他に若い女人が四人、それに藤四郎と藤次を加えて車座になっている。その後ろに暖を取るための火桶が置いてあった。  藤次は懐の巻物を恭しく献上した。 「これが世に聞く『聖徳太子未来記』かえ」  綾絹は藤次の手渡した巻物を手に取った。 「四天王寺門外不出といわれる書でございますか」  綾絹の隣の若い女が聞いた。  その女は、藤四郎が初めて長者邸に来たとき、着替えを持って現れた雑仕女と思った女人であった。  その後も何度か姿を見かけていたが、雑仕女ではなかったようだ。その女も含めてこの場に居る者は、いずれも美人で、そのうえ美しくあでやかな小袖を着ている。  だが、武芸に優れた女人であることを藤四郎は見抜いていた。おそらく吉祥女の弟子たちであろう。もしかしたら、蝉丸社で助けてくれた者たちではなかろうか、と思った。  京に来たときは、そうしたことはわからなかったが、修行を積んだことにより、他の兵法人を見る目が養われているようだ。  綾絹は巻物を紐解いた。 「長者どの。それがしにはさっぱり分かりませぬ」 「さもあろう。こなたも巻き込まれてしもうたようだ。聞かせてやらずばなるまい」  藤四郎の疑問に綾絹が答えようとすると一人の女が反対した。 「もはや藤四郎を他人とは思わぬ。我らの仲間と思うてもよいであろう」   さらに何かを言おうとする女人を制して、 「こなたちも名乗るが良い」  綾絹に促されて、それぞれ、蛍火、薄雲、夕月、星雲、甘雨、朱明、景雲、山百合と名乗った。いずれも吉祥女の剣の弟子であるらしい。  いずれも風情のある名で、 「もしや東洞院の遊君では?」  という藤四郎の疑問に、蛍火が黙って肯いた。  藤四郎は傾城屋に入ったことがないから分からなかったが、蛍火、薄雲、夕月、山百合の四人は、ともに遊君としては名の通った者たちだったのである。  かつて蛍火という名の遊君が、坂東の宇都宮弾正と浮き名を流したことがあるが、ここにいる蛍火ではない。数代前の話である。源氏名は、代々継承する仕組みになっているという。 「此度も手を貸してたも。藤四郎よ」  綾絹の頼みに藤四郎は強く肯いた。  それに満足したのか、やや相好を崩した綾絹が、 「聖徳太子未来記とは……」  と、語った内容は壮大なものだった。 『聖徳太子未来記』とは、四天王寺の縁起書とも呼ばれるものである。四天王寺は、奈良に都が在った頃、聖徳太子が創建したものである。  当時、仏法はまだ大陸からもたらされたばかりであった。いち早く帰依した太子は、その興隆を祈願していたが、その創建にかかる縁起を記したものだと言われている。  それが『聖徳太子未来記』と呼ばれるには理由がある。その名の通り、今日で言う予言の書なのである。  実はこの書のことは『太平記』にも記載がある。元弘二年八月四日というから、今から百年ほど前のことである。  その日正成は、大般若経転読の布施として、白鞍を置いた馬に白覆輪の太刀と鎧一両を添えて奉納した。  そのとき、聖徳太子が在世した頃、百王治天の安危を考えて、日本の未来記を書き置かせたという書の披見を願い出た。  赦されて、その書を披見した正成は、不思議な一条の文章を見たという。 「それがここのところじゃ」  綾絹は巻物を置いて、皆に一所を指さした。そこには、   人王九十六代に当たって、天下一たび乱れて、主安からず。この時、東魚来たって四海を呑む。   日西天に没すること三百七十余ヶ日、西鳥来たって東魚を喰らう。   その後、海内一に帰すること三年、獼猴の如くなる者天下を掠むること二十四年、大凶変じて一元に帰す。(注)  とあった。 「これは……」  藤四郎は絶句したが、 「人王九十六代とは、どの御門のことでござりましょうか?」  蛍火は動じた風もなく訊ねた。 「正成は後醍醐帝と見たようじゃ」  綾絹はゆっくりと話し始めた。皆は綾絹の語る言葉を静かに聞いている。  太平記によれば、楠木正成は「東魚来たって四海を呑む」とは、北条高時の一門とし、西鳥、東魚を食らう、とはその高時を滅ぼす人が有ると言ったらしい。  さらに「日西天に没する」とは、後醍醐帝が隠岐国に流されたことで、「三百七十余箇日」とはその年の翌年の春頃に、後醍醐帝が隠岐国より還幸成って、再び帝位に即かせたまふたことだとも言ったという。 「お師匠。それではこの未来記に書かれていたことは事実であったと言うことになりましょうか」 「太平記によればの話じゃが」 「おそらく、楠木正成公が披見された書ゆえ、梵論党が盗んだものでありましょうか」 「そこよ。予言は後醍醐帝の復位のことを予言しているとすれば、今更このような書を誰に献じようとしているのか」  綾絹も考え込んでしまった。  皆が一さまに首を傾げているとき、 「もしや別の意味、別の使い方があるのではござりませぬか」  藤四郎が遠慮をしつつ言った。 「うむ。そう思わねば梵論党が狙う意図が分からぬ」  綾絹が応えた。 「ところで、天王寺陰守衆とは何者でありましょうか?」  訊いたのは祇園藤次である。 「天王寺陰守衆ですか。その者たちは一体何者なのです?」 「はは。(あずま)育ちの藤四郎は知るまい」  綾絹は藤四郎の無知を責めたわけではない。東国に天王寺陰守衆の噂は無いと考えたからである。 「この未来記とどのようなつながりがあるのでしょう?」  夕月の疑問に、 「わらわたちにも分かりませぬ」  吉祥門の女達が次々に続けた。 「さようか。天王寺陰守衆とは、まさにこの巻物を守護する者たちのことよ」  えっ、という驚きの声が皆から一さまに漏れた。 「実はこの巻物は、後醍醐帝も見ておられるのじゃ」  時期は正成が披見した後、建武二年五月八日と伝わっている。そのとき帝は、 「たやすく披見すべからず」  と、封印を命じたという。爾来、四天王寺では秘府の奥深くに蔵し、万一有るを慮って、天王寺陰守衆を組織し守護してきたというのである。天王寺は四天王寺の略である。 「一人ではなく、男二人、女二人の四人と聞いておる」  その名の通り、四天王つまり四人が二組になって一つの巻物を陰ながら守護するということになるらしい。 「それほどのものでござりましょうか?」 「今はわらわにも分からぬ。じゃが、秘蔵すべき書が世に現れたということは、何か不吉なことの始まる前兆ではあるまいか」 「不吉なこと!」  女人たちは一さまに眉を顰めた。 「御所さまのお伏せりのことと何か因果が」 「これ。滅多なことを言うでない」  御所さま、すなわち足利義持は、正月八日に風呂で尻にできた大きな腫れ物をかきむしったことから、それが化膿し、起き上がることができなくなってしまったのである。  薄雲と夕月の言い合いを聞いて、 「お伏せりのことは案ずるでない。それよりも密かに御所さまを呪詛し奉る輩が居るという」  皆が驚きの声をあげた。 「そのような噂があるということじゃ」  話が逸れたようである。困ったように綾絹が眉根を寄せている。藤四郎は話を戻すように、 「この巻物を長者どのはいかがなさるお積もりでありましょうや?」  と、訊ねた。 「いつかは四天王寺に返さねばなるまいが……」 「しばらく我らが預かって、様子を見られてはいかがでござりましょう。今四天王寺にお返しあっても、また梵論党どもに狙われましょう。それでは意味がありませぬ。楠木正勝の意図が分かるまで、ここに置かれてはいかが」 「うむ。藤四郎の言に従おう」  綾絹はきっぱりと言ってから、 「この巻物はわらわが預かろう。よいか」  綾絹は藤次に確認するように言った。 「やむを得ませぬな」  藤次は神妙だった。 「こなたたちは手分けして、梵論党の意図を探るのじゃ」  と、女人たちに命じて、侍所には動かぬように言うておこう、と続けた。 「それがしは?」 「こなたにも頼みたいが、古泉どのとの約定もある。こなたには別に頼みたいことがある」 「未来記と関わりのあることでござりましょうか」 「無論のこと」 「では、お引き受けいたしましょう」  藤四郎が承知すると、 「明日、藤次と共に満済入道どのを訊ねて、この書をわらわが預かった旨話して欲しいのじゃ。併せて、満済入道の指図に従うがよい」  満済入道は、義満の頃から将軍に近侍し、後に黒衣の宰相とまで呼ばれるほどの力を持っていた。  藤四郎と藤次が、承知していっしょに畏まったとき、時刻は寅の刻を過ぎて、すでに夜は明けつつあった。 (続く)
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