第三章 聖徳太子未来記

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   三  三宝院とは醍醐寺の塔頭である。  その醍醐寺は、伏見にあって、京都との往復には時間が掛かる。そのため満済は、京に在るときは法身院(ほっしんいん)を宿坊としていた。それには訳がある。  法身院は内裏に近い土御門富小路にあった。  足利義持は室町御所に住んでいない。父義満への反発から、三条坊門第に住んでいた。法身院からは、富小路通りを真っ直ぐ十町ほど南に行ったところにある。内裏にも御所にも近いというわけである。  二人が法身院を訪ねると、 「これは、藤次どの」  取り次ぎの僧は、藤次と知り合いの様だった。 「こちらは、高柿藤四郎どの。祇園の長者どのの使いである」  藤次が藤四郎を紹介すると、すぐに満済のいる僧院へと案内された。  院内は馥郁とした香りが漂っている。香を焚いているのであろう。  二人が座に着くと、 「そなたが祇園の長者のもとに居る高垣藤四郎か」  と言って、満済は目を細めた。  満済はこのとき五十歳。家は摂関二条家につながり、父は従一位権大納言今小路師冬である。三代将軍足利義満の猶子となって三宝院に入室後は、二十五世院主、今は醍醐寺座主を兼ねていた。  応永十六年に大僧正に任じられ、義持の新任厚く、幕政に深く関与している人物でもある。  丸い顔と大きな頭、金襴の僧衣をまとった姿は、傍目には威厳に満ちていたが、その言葉使いとはうらはらに、目前の満済は、むしろ好々爺という感じであった。  このとき藤四郎は思い出していた。等持寺で、楠木正勝と会ったことを誤解され、勝負を挑んだ山法師を止めてくれた僧侶であることを。  藤四郎がそのときの礼を述べて無礼を詫びると、 「何の。名を問わぬように申したのは拙僧であった。詫びるのは拙僧の方であろう」  満済は気さくに言った。大僧正ながら偉ぶったところが微塵も無い。藤四郎は満済に好意を持った。 「もしや、それがしを知っておりましたか?」 「名は知っておった。念道どのとともに鎌倉の関東管領上杉憲実どのを助けた若者とな」 「お師匠もご存じでありますか?」  満済はこくりと肯いた。  意外なことに藤四郎は驚いているが、 「もしや、上杉利恵どのでは?」 「はは。いかにも。実際は従者の長尾景四郎が、拙僧と関東管領どのとの連絡を受け持っている。関東管領どのには、そこの藤次が当たる」  と言われて、藤次が恐縮している。 「それにしても筋骨逞しく凛々しき若者よな。美丈夫と言うて良いわえ」   満済は本当にそう思っているかも知れないが、聞いている藤四郎は、その讃辞にいささか尻がこそばゆい。  だが、高僧と聞いて厳めしい顔つきを想像していただけに、藤四郎には安堵するものがあったのは事実である。  藤四郎が『聖徳太子未来記』のことを話そうとすると、 「待て」  満済は手を上げて藤四郎を制すると、人払いを命じた。  傍らに控えていた稚児や侍者が静かに部屋を出ていった。残ったのは、藤次と併せて三人だけである。 「長者は何と言うたな?」  先に訊ねられた。藤四郎は昨夜のことを話して、 「しばらく『聖徳太子未来記』をお預かりしたいとのことでした」  ふむ、と肯いてしばらく黙考した満済は、 「長者どのの見込み通り、その巻物は、楠木正勝の指示で奪ったものに相違なかろう」  と、断定してから、 「正勝の父の名を知っておるか」  藤四郎に訊ねてきた。 「確か、虚無道人とか」 「それは梵論党総帥としての名じゃ。俗名を楠木正勝という」  父子が同じ名を名乗っている。 「先代の楠木正勝は、応永の乱に参加して敗れた後、楠木氏悲願の南朝復興を諦め、虚無として生きていこうとしたのだ。息子の正勝は、父の不甲斐なさを嫌い、自ら父の名を継承し、室町幕府打倒と南朝再興を志しているのじゃ」  その壮大な野望を知って藤四郎は驚いてしまった。 「ということは、その巻物もそのために」  利用しようと考えているのでしょうか、と藤四郎がさらに問うと、 「いかにも。おそらく世情不安を煽るためであろう」  と、満済は答えた。  世情不安を煽るとは、いったいどういうことだろうか、と藤四郎が考えていると、 「近頃、京で噂に高い百王伝説を知っておるか?」  藤四郎は首を横に振って、知りません、と答えた。本当に聞いたことがなかったからである。 「我が国は、百代で滅びるという古来からの伝説でな。公家の間では『野馬台詩』なるものが声高に語られておる」 「野馬台詩でござりますか?」  満済が肯いた。  野馬台詩もまた、一種の予言書といって良い。奇しくも中国南北朝時代の僧宝誌の作と伝えられる。  いかなる王朝も百代で滅びるとされており、その説によると、我が国の皇統もまた百代で滅びるというものである。  都では予言書、未来記の盛りが何度かある。今も流行の時期だった。 「ですが、当今(とうぎん)はすでに百代を超えておられるはずでは?」  当今とは御門のことである。後に称光帝と諡される。 「ほう、よく知っておるな。いかにも、そのとおりじゃ。じゃが、主上には、いまだ皇子(みこ)がおられぬ」  称光帝は二十七歳とまだ若い。これから親王の誕生が期待できないこともないが、病弱で、兄弟もなく、不測の事態があれば、直系が絶える危険性があった。 「おそらく正勝の狙いは、当今後の皇位を南朝皇族にお移し申し上げたいのであろう」  あまりの事の大きさに藤四郎は言葉も出ない。 「嵯峨の小倉山におわす良泰親王のもとには、不穏な輩がひっきりなしという。今ぞ好機と考えておるのであろう」  良泰親王は小倉宮と呼ばれる。  そうか、それゆえにおばばどのが守護しておられるのか、と藤四郎が合点がいった。幕府が小倉宮を害しようとすれば、それほど困難では無い。 「ですが、御所さまの御承認なくば、皇位の継投もなりますまい」  すでに政事の実質的な権限は、足利氏による武家に移っている。 「こなたも知ってのとおり、御所さまは将軍ではない」  あっ、と藤四郎は思わず声を上げそうになった。  前将軍ということになる。足利義持は、いったん嫡子義量に将軍位を譲ったが、義量は応永三十二年正月二十七日に逝去した。今から三年前のことである。  当時、義持はまだ四十歳であった。他に子はなかったが、これから子をなすこともあり得ないことではない。実際、満済はそのように進言し、将軍位は空席のままで、政務は義持が取っていた。 「まさか、祇園の長者どのが危惧したのは……」 「その通りじゃ。いま御所さまは病んでおられる。呪詛という噂も飛び交っておる」  藤四郎は驚きの連続である。 「御所さまと当今が相次いでお隠れになった機に乗じて、と考えてもおかしくはない」  実力でということだろう。 「では、いま噂の予言書や未来記も」 「誰が流したものか出所は分からぬ。だが、その意図は明らか。『聖徳太子未来記』もその一つじゃ。それを使ってさらに世の不安を煽ろうということであろう。あわよくば内乱を起こし、南朝の新帝の手で治めさせたいのではあるまいか」  あまりの事の重大さに藤四郎は言葉も出ない。  しばし無言であったが、ここに来たそもそものことを思い出して、 「では、祇園の長者どのが、訪ねるように命じた真意は」 「うむ。呪詛には呪詛返しの祈願でなければ効がない。それは我らが行う。じゃが……」  満済はそこでいったん言葉を切って、 「こなたと藤次にはどうしても引き受けてもらわねばならぬことがある」  満済は表情を改めて言った。 「何なりと」  藤四郎と藤次は改まっていっしょに答えた。 「今出川義円なる法師を探して、密かに青蓮院へ連れ戻して欲しいのじゃ」 「今出川義円? 青蓮院?」  藤四郎が山彦返しに呟くと、 「いかにも。京中、今出川に住して遊侠を気取る僧じゃ。それゆえ今出川を名乗るが、今出川に居ることはほとんどない。しかも、その僧はよく剣を遣う」 「兵法者ということでござりましょうか」 「いかにも」  満済が肯いたので、藤四郎の脳裏にある人物の顔が浮かんだ。 「もしや、等持寺で太刀を合わせた、あの山法師ではありまぬか」  これ、と藤次が横から窘めた。 「構わぬ、藤次」  満済はそう言って、 「あのときは名を知って欲しくなかった。だが、今は早急に探して欲しいのだ」 「探していかがなさりまする?」  と、聞いたのは藤次である。 「青蓮院へ帰るように言うて欲しい」 「帰るのを拒んだら」 「そこじゃ。今まで拙僧の使いで、幾多の者が説得を試みたが、言うことをきかなんだ。此度は力づくでも帰らせてほしいのじゃ」 「それゆえにそれがしを」 「そなたの兵法の技前は、十分に聞いた。ぜひ引き受けて欲しいのじゃ」  等持寺では、今出川義円の兵法に刃が立たなかった。  だが、その後畠山古泉のもとで修行を積んでいる。今なら遅れを取ることは無いだろう、と藤四郎は思った。 「未来記は、長者どのが間違いなく四天王寺に帰すであろう。それが分からぬこなたではあるまい」  確かに祇園の長者は、吉祥女である。配下には腕利きも多い。いかに楠木正勝が暮露の手練れを使って襲おうとも、簡単には奪われないだろう。  未来記は、もともと四天王寺のものである。元あった場所に戻れば何の問題もない。 「今出川義円どののことが此度のこととどう繋がるのでしょうか?」 「それは、今は言えぬ。じゃが、間違いなく正勝の野望を打ち砕くこととなる」 「真でござりまするか。信じてよろしいのでござりまするか」  藤四郎が詰め寄ると、満済きっぱりと言って大きく肯いた。  綾絹の頼みもある。藤四郎は引き受けざるを得なかった。 「藤次も手伝うがよい。藤四郎と力を合わせて、今出川義円を青蓮院へ連れ戻してくれ。頼むぞ」  満済の依頼に藤四郎と藤次は、必ずや、と力強く返事をした。 (続く)
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