第三章 聖徳太子未来記

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四 「なにゆえに、われら二人が一人の僧に、と思っているのではないか?」  藤次が聞いた。  一条京極の酒屋の中である。ここから今出川は近い。法身院を出ると、藤次に誘われたのである。 「いや、そうは思わぬ。われは一度、今出川義円どのと太刀を合わせたことがあるのだ」  真か、と訊いて藤次は、ぐっ、と杯を呷った。 「強かったか?」 「はっきりいって強かった」  藤四郎の言葉を聞いて、 「実は、われも負けたのだ」  そう言って、藤次は項垂れた。  目前の藤次の技量は、しかとは分からないが、初めて会ってから、今までに全くの隙を見せていない態度からして、藤四郎はかなりの手練れだと思っている。  その藤次が負けたのである。藤四郎は改めて今出川義円に興味を持った。 「今出川義円どのとは、いったいどのような人物なのだ?」 「簡単にいうと拗ね者だな」 「拗ね者!? これはまた意外な」  藤四郎にとっては意想外な答えだった。 「僧侶ゆえ、仏書を学び、和漢の古籍に通じ、そのうえ兵法にも熟達している」  そうした人物は珍しくない。 「だが、世に入れられぬと思うているようだ」  藤四郎は黙った。そのような僧侶は、京、鎌倉にはいっぱいいるはずである。だいたいが、世の中に嫌気がさして頓世を志すのだ。  だが義円は、遁世を考えているわけではなさそうである。 「血の気が多いということであろうか」  刀槍への興味が強いということだろうか。 「そうだ。遊侠を気取っているらしい」 「年齢は?」 「今年で確か三十のはず」  藤四郎はいやな感じがした。三十といえば分別ある男盛りである。そのような者が世を拗ねて、遊侠を気取るなど、稚技にも等しい行為ではないかと思ったのである。 「まあよい。わぬしが負けるようなら、われと二人掛かりという手もある」 「それは卑怯ではないか。他に手だてもあろう」 「何を言うておる。遊侠を気取る者は、根が純粋な者が多い。下手に策を弄するよりも、真っ向勝負の方がよいのだ」  それは藤次の言う通りである。つまらぬことを言ったものだ、と藤四郎は後悔した。 「満済どのもまさかわしが破れるとは思うていなかったらしい。それで急遽、われとわぬしに依頼したというわけだ」 「分かった。引き受けた以上は必ず果たす」 「よし。その心意気だ。乾杯しよう」  藤次の上げた杯に、藤四郎は自分の杯をかちんとぶつけた。 「前に太刀を合わせたとき、義円どのは、奇妙な技を使った」 「奇妙な技とは?」 「月次(つきなみ)の剣と言うていた」  藤四郎は等持寺で太刀を合わせたときの義円の不思議な剣の流れを思い出していた。 「よし。明日から二人で稽古だ。義円どのは、京流の剣を遣う。その月次の剣も京流の技であろう。われも京流ゆえ、何となくわかる」  藤次は胸をたたいた。 「よろしく頼む。義円どのの太刀の流れ、技を詳しく知りたい」 「辰の刻に祇園の長者の邸へ参ろう」 「よいのか? わしの方から出向こうぞ。鴨川の河原でも良いのだ」 「はは。遠慮はいるまい。同じ京流の一門よ」  翌日――。  冬晴れのからりとした空だった。  海を控えた鎌倉と違って、ぴんと張りつめたような空気が心地よい。  藤次は約束通り辰の刻ちょうどに現れた。 「長者どのに挨拶は済ませたか?」 「居らぬらしい」 「忙しいお方ゆえな」  いつものことだと藤四郎は思ったが、 「御所さまのもとに詰めっきりのようだ」  足利義持の妻は、日野家の出で栄子といった。栄子を中心に女たちは、別棟で病気平癒を祈っているらしい。  綾絹は高橋どのに命じられて、栄子に従っているという。 「身内の祈祷では、足らぬらしい」  いよいよ十三日からは諸寺に命じて、義持の病気平癒を大々的に祈らせるという。 「満済どのもその手配に大わらわのようだ」 「いよいよ神仏の戦いか」  この時代は、神仏の加護が信じられていた。 「そうだ。十六日には石清水八幡宮でも修法することになっている」  石清水八幡宮は、源氏の守り神である。 「我らも急ごうぞ」  おう、と応じて藤四郎は、長者邸の南庭に出た。  広い。ほぼ十丈四方の庭は、木石や花もなく、ただ白砂が敷き詰めてあるだけである。  三郎四郎に聞いたところでは、綾絹はこの庭でたまに兵法の仕合を催すらしい。吉祥門の女たちが、武芸を披露しあうさまを想像して、藤四郎は不思議な感じを持った。  庭は綺麗に掃き清められていて箒の目が美しかった。  三郎四郎が木太刀を二本持って現れると、無言で二人に渡した。 「参ろうか」  おう、と藤次は応えて、二人は庭の中央に立った。  間合いはおよそ三間。藤四郎と藤次が対するのは初めてである。  互いに中段に構えて、始めは互いの技の披露となった。  何度か太刀を合わせて、強い、と藤次は内心舌をまいた。  その剣には、急襲もあれば意表も突く。間合いをとろうとする直前に、相手の懐に飛び込んで、そのまま勝ちを制することもある。  藤四郎にはそれをしなかった。いや、できなかった、というべきか。勝つことが目的ではないと分かっていたが、それ以上に隙がなかったからである。  四条大橋の袂近くで、犬神人と戦っていた頃の藤四郎ではなかった。畠山古泉の薫陶を得て、さらに上達していたといってよい。  義円に破れたのは、相手の血筋に飲まれたからだ、と藤次は思っていた。 (位に負けたのであろう。貴賤を知らぬ、粗野な東夷に任せてはどうだ)  満済に命じられて、藤四郎は力任せの若者だとばかり思っていたのである。だが、その言葉はどうやら満済の気遣いだったようだ。  今日の立ち合いは、藤四郎の実力を試すため、という意味合いからだったが、実際に木太刀を合わせてみて、藤次はその力量に驚いていた。  その翌日――。  藤次は昨日の己の迂闊さを恥じて、気合いを入れ直している。  今日は互いに三間の間合いを取ったまま動かない。  しばらくは、互いの気が飛び交ってぴんと張りつめた空間になった。  藤次はつっと引いて、木太刀を開いた。そのまま藤四郎が押すように前に出た。転舜、身を空に踊らせた藤次は、藤四郎の後ろに回った。  藤四郎の転回は計算のうちである。そのまま身を沈ませて剣尖を立てて喉頸に当てるはずであった。  だが、藤四郎の転回は藤次の思惑に反して速すぎた。身を沈める前に、藤四郎の木太刀がぴたりと首に当てられていたのである。 「参った」  藤次は素直に負けを認めた。 「わぬしなれば、よも義円どのに負けることはあるまい」  世辞でなく藤次の心からの言葉だった。 (続く)
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