第一章 祇園の長者

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   二  綾絹の屋敷は、感神院の北側に位置する広大な邸宅であった。  そのため綾絹は、 〈祇園の長者〉  と、呼ばれているという。  ひょんなことから藤四郎が、綾絹の邸に逗留することとなって十日が過ぎた。  あれ以来、綾絹は姿を見せず、藤四郎は衣食足りて、毎日が退屈な程である。  綾絹は、普段邸にも居ないのではないかと思われた。しょっちゅう出かけているのか、それとも本宅が別にあるのか、藤四郎にはよく分からない。 「都見物などなされては、いかがでござりましょう」  三郎四郎の勧めで、藤四郎は京の町に出た。  藤四郎は常陸国松平の里で生まれ育ち、年が明ければ二十歳になる。  高柿家の次男である藤四郎は、叔父である禅僧念道慈信を剣の師と慕い、ともに鎌倉に出てきた。今年、春のことである。  念道は〈念流〉という剣の流派に連なる。鎌倉で念道に学んだ後、藤四郎はさらに念流の剣を学ぶべく京へ出てきたのである。 「師伯(しはく)を訪ねてみよう」  藤四郎は決めた。 「京に居るわが相弟子、すなわちこなたにとっての師伯は……」  念道が教えてくれたのは、次の五人だった。  畠山駿河守  土岐近江守  甲斐豊前守  四宮弾正左衛門  浄阿弥  いずれも一廉の兵法人といってよい。  不思議な縁で綾絹の邸の世話になっているが、いつまでも厄介になっているわけにもいかないだろう。  早晩、邸を退出することになるはずである。そのためにも、伯父に当たる五人の邸をあらかじめ知っておくべきだと思ったのである。 「五人の邸地を聞いておけば良かったか」  藤四郎は後悔した。京の町は、鎌倉よりも大きいようだ。名前だけで、すぐに邸が見つけられるかどうか自信がない。  それでも、畠山駿河守と土岐近江守の邸はすぐに分かった。  二人とも畠山氏、土岐氏という守護家の一族で、何人かの都人に聞いて後本家を訪ねて、そこの門衛に聞いたのである。  浄阿弥もすぐに分かった。なんと浄阿弥は、四条金蓮寺の住持だったのである。四条金蓮寺は、時衆四条派の道場として名高い。  そのうえ、寺のある四条京極は、綾絹の邸からもそう遠くない。  しばらくして、甲斐豊前守の邸も判明した。甲斐氏は越前、尾張、遠江国の守護斯波家の被官で、越前国守護代を務めている。豊前守はその甲斐氏の一族だった。  五人の師伯を訊ねる藤四郎は、都人の目が決して好意的ではないことを感じていた。  そんな都人自身、何となく浮き足だっているように感じられる。  不思議に思いながらも四宮弾正左右衛門の邸を探しあぐねていると、 「何をきょろきょろ歩いている」  突然、声をかけられた。  声のした方を振り向いて、 「あっ! わぬしは、あのときの……」  藤四郎は驚いた。そこには、先日、四条大橋を渡ったところで犬神人と争ったとき、助けに入った若者が立っていたのである。 「あのとき、どこに行ったのだ」  綾絹が止めに入ったとき、若者の姿は無かった。  気にはなったが、綾絹の真意もわからない。あのときは、助けに入ってくれた者を巻き込みたくない、という気持ちが強かったのである。 「はは。祇園の長者どのは、苦手でな」  ということは、この若者は綾絹を知っていることになる。 「どうだ。再会を祝して一杯やらぬか」  若者は親指と中指を合わせて口の先で傾けた。 「酒か。よかろう」  藤四郎は肯いた。 「酒屋は任せろ」  若者は烏丸通りにある大きな酒屋に入った。京では酒を造るだけでなく、店で呑ませるところが多い。  昼下がりとはいえ、店は混んでいた。やっと、二人座れるところを確保して酒を酌み交わす。 「われは、名を祇園藤次という」  藤四郎が名乗ると若者も名乗った。 「祇園……。とすると、祇園の長者どのの縁につながる者か?」 「長者を知ってはいるが、縁というほどのものはない。われは生まれてすぐ感神院の門に捨てられていたらしい。憐れに思った感神院の神僧に育てられたのだ。ゆえに祇園藤次と名乗っている」 「そうか。それはすまぬ。余計なことを聞いてしまった」 「構わぬよ。それより、ぬしは何をしに京へ来た?」  藤四郎が兵法修行と答えると、 「ほう。ぬしの師は誰だ?」  藤次は目を輝かせて訊いてくる。  藤四郎が念道という禅僧だと応えると、藤次はやや驚いた顔をした。 「お師匠を知っているか?」 「知っている。東国一の兵法人よ」 「東国一か……」  師を持ち上げられて、藤四郎も悪い気はしない。  そのとき、藤次は薄く笑ったのだが、藤四郎は気付かなかった。 「それよりぬしは、都が何となく落ち着かぬと思わぬか」    藤次はさりげなく話題を転じた。 「わぬしもそう思うか」  藤四郎が我が意を得たり、と大きな声を上げると、 「声を落とせ」   藤次に制せられた。そして、 「今、京の町は、御所さまと三尺入道との確執で騒然としているのだ」  と、落とした声で言った。  御所さまとは、足利義持のことで、三尺入道とは赤松満祐のことである。  足利義持は、室町幕府第四代の将軍であった。将軍位を息子義量に譲って後も、実質的な権力は手放さずにいる。  赤松満祐は背が低く、世人は三尺入道とあだ名していた。  播磨、備前、美作の三か国の守護である赤松氏の惣領義則の嫡男である。  早くから父に代わって室町御所に出仕し、侍所頭人も二期務めるなど、次期赤松家惣領としての実績を積んでいた。  齢も四十を越しているが、なぜか正式に惣領職を相続できずにいる。   「三尺入道は、性傲岸で不遜、そのうえ気性が激しい」  実際に三尺(約百センチメートル)の背丈というのは、真であろうか、と藤四郎は首をひねった。半信半疑である。 「御所さまは、背が低く、豪傑顔の三尺入道をひどく嫌っている」  義持は穏やかな性格といわれているが、実は好悪がはっきりしており、特に美しいものを好むらしい。 「近侍の持貞どのに、赤松家の惣領職を継がせたい、との思いがあるのだ」 赤松氏の庶流に春日部を名乗る家があった。その当主を持貞という。 「まさか、持貞どのは……」 「美童よ。御所さまの思い入れは、一方ならずと聞いたぞ」  要するに男色の関係にあるらしい。  義持の近習で、美男かつ才気も十分だったことから、義持に重用され、やがて赤松氏の惣領たらんとする野望を抱いたようだ。 「まずは、播磨国を御所さまが直々に宰領し、その代官に赤松持貞どのを任ずるというのだから、三尺入道も驚くわな」  しかも、その知らせは、喪中に届いたらしい。  満祐の父義則が亡くなったのは、先々月の九月二十三日のことである。  満祐が室町どの、つまり義持の内書を受け取ったのが、十月二十六日のことであったという。四十九日は経っていなかった。 「播磨、備前、美作の三か国は、赤松家代々の領分だ。いかに御所さまとて此度の命は、理に欠けておると思わぬか」 「ううむ。怒るのももっともというわけか。成る程な」  満祐は義持の内意を知ると、翌二十七日に、 「京の邸に自ら火を掛け、さっさと播磨に引っ込んでしまった」 「火を掛けた……」  藤四郎は、京に入ったときに犬神人が屋敷を壊していたことを思い出した。  それが縁で藤次と今ここに居る。取り壊した後で燃やした、とは後で聞いたことである。  京では邸を焼く、ということに意味があるのだと思った。 「戦になると思うか?」  藤次がずばりと訊いてきた。 「われには何とも……」  分からない、とうのが、藤四郎の正直な気持ちだった。 「正直な奴だ。気に入った」  藤次は藤四郎の肩を叩かんばかりの勢いで、 「われも正直に言おう。三尺入道を討伐する軍勢の編成は、なかなか進まないらしい」  乗り気なのは、山陰の大名山名持豊一人らしい。 「その赤松どのが、都に攻め寄せてくるということはないのか?」 「そこよ。さすがに、ぬしは鋭いな」  持ち上げたかと思うと、だが、と言って、 「(すけ)どのの子孫と後南朝の宮を探しているというぞ」  と、続けた。  佐どのとは足利直義の養子直冬のことである。直冬は直義が非業の最期を遂げた後、終始反足利幕府の立場を貫いた。  都人が何となく落ち着かない様子なのは、赤松満祐が京に攻め寄せてくることを案じてのことだろう。  かつて、足利尊氏、義詮の時代、京は南北両朝の戦火を幾度となく味わった。  悪いときに都に来たかな、と藤四郎が思ったとき、 「や! すっかり話し込んでしまった。日が暮れている」  藤次が驚いたように言った。  酒屋はいつのまにか差し込んでいた西日も消えて、客もまばらである。  二人は酒屋を出て、四条へ向かおうとしたとき、はっ、として藤四郎は、藤次の袖を引いて物陰に隠れた。  そんな二人に気付かないかのように一人の人物が、悠然と通り過ぎた。束髪に白鉢巻、黒の袴に紙衣。一目で分かる暮露の姿である。  通り過ぎてからその後ろ姿を見て、 「楠木正勝か?」  藤次が藤四郎の耳元に囁く。 「知っていたか」  藤四郎は驚いた。鎌倉で師念道から注意するように教えられた人物だった。 「知らいでか。暮露の総帥にして楠木正成の曾孫。後南朝再興を目指しているという。幕府にとっては目障りな男よ」  藤次の口ぶりでは、正勝に好意を持っていないようだ。そのとき藤四郎は、先ほど酒屋で藤次に聞いた話が、鮮やかに蘇ってきた。  赤松満祐は、足利直冬の子孫と後南朝との連絡を取ろうとしているらしい。  連絡が取れれば、おそらく二人を担ぐにちがいない。反幕府の大義名分とし、他の守護大名へも呼びかけようという腹づもりなのだろう。  それは明らかに楠木正勝の望むことである。後南朝の再興を目指す正勝にとって、いまは恰好の時ということになるだろう。  藤四郎の胸に不吉の予感が兆していた。 (続く)
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