第一章 祇園の長者

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   三 「長者さまがお召しにござりまする」  三郎四郎が取り次ぎにきたのは、十一月十四日の朝だった。藤四郎が楠木正勝を見かけて五日ほどが経っている。  ここのところ京の町は、冬晴れの日が続いていた。常陸国で育った藤四郎は、京の寒さを苦にしない。  いつものように、師伯の四宮弾正左右衛門の邸を探しに出かけようとしていた矢先だった。  藤四郎は三郎四郎に従って主殿へ向かった。  主殿は広大な綾絹の邸の中央にある一際大きな建物である。 「藤四郎どのをお連れいたしました」  簀子縁に畏まった三郎四郎の口上で、藤四郎が妻戸を開けて中に入って畏まった。 「どうじゃな、京の町は。面白いかえ」  いきなり綾絹から問いが飛んできた。藤四郎の行動は、逐一報告されているのだろう。  はっ、と畏まってから、下げた頭をあげると、にっこりわらった綾絹の臈長けた顔があった。慌てて目を下に戻す。  綾絹は御帳台で繧繝縁の畳に座っていた。御簾はなかったのである。 「都はまことに大きゅうございます。見るもの、聞くものすべてが物珍しく」  藤四郎が正直に答えると、 「ほほほ。こなたは素直でよい」  藤次にも似たようなことを言われたな、と思いながら苦笑をこらえていると、 「ところで、京で何ぞ面白い話でも聞かなんだかえ」  改めて、綾絹に問われた。  藤四郎は酒屋で聞いた足利義持と赤松満祐の所領を巡る確執を話そうかどうしようか迷ったが、結局話すことにした。 「相変わらず、都雀は五月蝿いことよ」  話を聞いた綾絹は、呟くように独語すると、 「こなたに頼みがある。引き受けてくれるかや」  と言って、部屋の者を下がらせた。  驚いたのは三郎四郎が、ずっと簀の子縁に控えていたことである。  綾絹は三郎四郎に命じて、開いている戸を全て閉めさせた。  燭台があるため、部屋の中が暗くなることはない。三郎四郎は再び簀子縁に控えたようだ。  やがて一人の時衆と覚しき男が現れた。  男は二十代の半ばくらいだろうか、綺麗にそり上げた頭に、(はなだ)色の阿弥衣、首から小さな袈裟を掛けて脛巾(はばき)をつけている。  腰に帯びた腰刀が異様である。がっしりとした体つきである。 「この者が京を離れるまで、付き添って欲しいのじゃ」  護衛をしろということらしい。  はて、と藤四郎が思って、まさに藤四郎が訊こうとする直前であった。 「理由(わけ)は訊いてはならぬ」  先手を取るように、ぴしゃりと言われた。だが、不思議と反発は覚えない。  こうしたところが、やんごとなき身を思わせる威厳と共に長者の不思議な魅力だった。  藤四郎は二つ返事で引き受けた。  よく考えれば、理由は長者に訊かずとも、付き添う法師に訊ねれば良いことである。  思い至って、藤四郎はくすりとした。  長者の世話にもなっていて、何の不自由もない。出会いのいきさつを考えても、いつかはこのような依頼が来るのではないかとも思っていたのである。 「ほほ。こなたを選んだわらわは、ほんに運がよい」  怪訝な表情をしたようだが、すぐに長者は扇を開くと、口元にかざして笑いを隠した。  だが、すぐに開いた扇を畳むと、 「頼みましたぞえ」  そう言って退出を促した。  すぐに妻戸が開けられ、三郎四郎が、こちらへと藤四郎と法師を促した。  法師の名は剣阿弥といった。 「このままお発ちください」  そう言って三郎四郎は、藤四郎に剣を手渡した。  驚いたのは剣阿弥も太刀を受け取ったことである。もしかしたら兵法人かもしれない。名も剣阿弥である。藤四郎は一際興味を惹かれた。 「参りましょうか」  藤四郎は法師を促して長者邸を出た。  剣阿弥は長者邸を出ると、小川に沿って先に歩きだした。 「行く宛てはおありか」  藤四郎が訊くと、 「東国に行こうかと思うて候」 「ほう。東国にですか」  このまま三条の通りに出て、粟田口を経て、日ノ岡峠を越えに東海道へ入ろうとしているようだ。  藤四郎が京に入った道筋と逆を行くことになる。  鎌倉から来た、と藤四郎が言うと、 「どのような所に候や、鎌倉は?」  剣阿弥の目が輝いている。 「三方を山で囲まれ、南は海に面しており申す。東国一繁華な町で、寺社も多くござります」 「念仏の道場は、如何?」 「多いのは禅寺です。念仏の道場はなかったかと……」 「何と。それは不本意なことであろう。藤沢の遊行寺も近いというに」  藤四郎の言葉に剣阿弥は怒りを露わにした。藤沢の遊行寺は、時衆の総本山である。 「われに怒っても。武家の都ゆえ、やむを得ぬのでは……」  時宗の祖一遍が、弟子を引き連れて鎌倉に入ろうとしたところ、北条氏に止められたことがある。その話をすると、 「さ候か。真に残念。東国の時衆は、肩身が狭いのでは……」 「そんなことはない。我が生国常陸には、道場もある」 「おお。それは重畳に候」  がっかりしたかと思うと、一転して喜んでいる。  僧侶とはいいながら、感情豊かで、後に尾を引かない質のようだ。藤四郎は親しみを感じた。  手探りの状態だったが、言葉を交わすうちに、口調もぐっと砕けてきた。話しやすいのだ。もしかしたら、馬が合うのかもしれない。  道は日ノ岡峠に入りつつある。 「もしや御坊は、兵法の心得があるのではなかろうか」  時衆の話が一段落したとき、藤四郎は思い切って訊ねてみた。 「待て!」  剣阿弥が答えるより早く、野太い声とともにばらばらと十人ほどの者が、藤四郎と剣阿弥を取り囲んだ。  柿色の小袖の上に腹巻、墨色の法衣、同じく柿色の小袴に黒の脛巾を巻き、頭全体を頭巾で被い、白く四角い布で鼻から下を隠している。目ばかりが異さまに鋭い男たちだった。  中に明らかに隻眼と分かる男がいる。顔を隠すというよりも彼ら一党の装束なのであろう。 「何者だ!」  藤四郎が誰何したが、男たちは答えず、いっせいに持っていた太刀を抜いた。 「ぬしたちに襲われる謂われはないぞ」  男たちは筋骨逞しい体つきをしている。法衣を着しているとはいえ、山法師とは思われない。頭巾をしているところを見ると、武者の従者が山法師に似せたものだろう。  藤四郎が訝しんでいると、 「そちらになくともこちらにはある。越州どのの仇と心得よ」  隻眼の男が叫ぶと、近くの男がいきなり切り込んできた。 「越州どの?」  さらなる疑問に戸惑う寸暇もなさそうだ。 「油断は禁物に候」  剣阿弥の声が飛ぶ。すでに太刀を抜いている。  十人ほどの男たちも太刀を抜いていたが、構えからいずれも手練れのようである。よく訓練されてもいるようで、周りから押し包むように攻撃を仕掛けてくる。  藤四郎は自身修行中の身だが、鎌倉にあったとき師念道の薫陶を得てかなりの剣技を修めている。  一人なら何とか切り崩せない相手ではない、と見た。気がかりなのは剣阿弥である。剣阿弥を護りながら、となるとさすがに自信がない。  そんな藤四郎の思いは杞憂だったようだ。剣阿弥もまた優れた遣い手であった。  切り込んだ相手の太刀をはじくと、早くも剣阿弥は反撃に移りつつある。  剣阿弥の太刀技は鋭く、速い。藤四郎も負けじと自らの太刀を繰り出しつつ、相手を追いつめていく。  やがて、藤四郎の太刀が隻眼の男の頭巾を切った。前の垂れがはらりと落ちて顔が露わになる。  男の隻眼もはっきりと顕れた。右の目がつぶれているだけではなく、いったいが引き攣れたようになっている。ひどい火傷を負った後のようだ。  だが、残る左目はかっと見開かれて、布を切られたことにより、さらに眼光に鋭さが増したようである。  両頬は痩けて、額には皺が多い。歳は藤四郎よりもかなり上であろう。  次いで、藤四郎と目が合い、相手は一瞬苛立ったように見えた。  軽く舌打ちをして、藤四郎が構え直したのを見て、やむを得ぬと言うように、 「引き上げよ」  低いがはっきりとした声で命じて、自らは身を翻して真っ先に逃げていった。他の者も後に続く。  しばらく敵が逃げるのを見ていた藤四郎は、剣を納めて、 「何者でしょうか」  剣阿弥の方を見て訊ねた。 「藤四郎どのは、いずこまで見送り候や?」  剣阿弥は藤四郎の問いには答えずに、逆に問い返してきた。  そういえば長者からは、  ――京を離れるまで付き添って欲しい  と言われたが、具体的な地名まで指定されたわけではなかった。 「逢坂の関まで参り候や?」 「構いませぬ。また襲われるやも知れませぬ」 「ならば道々お話候よ」  剣阿弥も太刀を納めた。  日は中天を過ぎてすでに西に傾いている。  十一月の日脚は、引くのが速い。逢坂の関辺りで野宿かな、と胸の内で思いながら、二人肩を並べて歩きだした。  遠巻きに見ていた往来人もようやく歩きだしたようだ。 (続く)
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