第一章 祇園の長者

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   四 〈赤松越後守持貞〉  あのとき襲った相手が言った、「越州の仇」の、越州がその名前だと聞いて、はてどこかで耳にしたことがあるな、と藤四郎はゆっくりと記憶をまさぐった。 「惣領職を狙って赤松満佑どのと……」  藤次から聞いたことを思い出した。 「いかにも。その赤松どのの一族に候。また、御所さまの寵愛深い仁にても候よ」 「確か御所さまが、赤松満佑どのの所領播磨国を持貞どのに与えるとか……」 「さ候。ゆえに満佑どのは怒って、東洞院にある邸を自焼きして播磨に引き上げ申し候」  藤次は赤松満佑討伐が進んでいないと言っていた。 「ところが、越州どのは夕べ自害いたし候よ」 「自害をしたのですか。何故に?」  藤四郎はびっくりして訊き返した。話の展開がよく理解できない。夕べといえば十三日のことになる。 「御所さまより切腹の命が下され候ゆえ」  藤四郎は戸惑った。 「御所さまは、持貞どのを寵愛していたのではないのですか」  そのような話だった。それゆえに赤松満佑の分国播磨を取り上げて、持貞に与えようとしたのではなかったか。  それが今度の事件のそもそもの始まりだったはずである。  まさか、自邸を焼いて播磨に帰った赤松満祐を恐れて事を収めようと図ったか、とも思ったが、武家の頂点に立つ人物がそのようなことをするはずがない、と慌てて打ち消した。 「持貞どのが、女事(おんなごと)にて御所さまの不興を蒙り候よ」  女事ですか、とまたも藤四郎は訊き返してしまった。  持貞は美男であった。美男ゆえに足利義持の寵愛を受けたのだが、色男でもあったようだ。  義持の内室、側室あるいは彼女たちに仕える女たちが放っておかなかったらしい。そのうちの何人かと密かに通じてしまったのだという。 「拙僧が高橋どのの文を、御所さまに差し出して、事が(あらわ)れ候よ」 「御所さまに御坊が、文を差し出したと言われるか」  話が大きすぎて藤四郎には現実感が湧かなかった。あまりの展開にしばらく頭の中を整理するのに時がかかりそうだった。  そんな藤四郎を察してか、 「おお。あそこに社が……。噂に聞く蝉丸社に候よ」  夕暮れどきである。このまま関を越えようと思えば越えられるのだが、 「このまま別れるのは惜しく候よ。せめて一晩なりと語り明かしたく候」  と、剣阿弥が言い出したのである。  謎の者どもに襲われてからの道々、藤四郎は剣阿弥という人物に惹かれていた。剣阿弥もまた藤四郎に興を覚えているようでもある。  それ以上に、今度のことは何か大きな力が働いている気がしてならなかった。  できることなら背景や動向を詳しく知りたいと思う。それには、剣阿弥に直接訊くのがてっとり早い。  藤四郎は、承知、と即答した。 「ならば、酒を求め候よ」  と言って、剣阿弥は近くの民家で自ら酒を調達してきた。  手慣れたもので、時衆とは重宝なものだと改めて思ったのである。 「今宵は語りあかし候よ」  そんな藤四郎の思いに関係なく、剣阿弥は悦び勇んで、先に蝉丸社に入っていった。 「大丈夫だろうか?」  また襲われるということもあり得る。そのとき酒に酔っていては、不覚を取るおそれもある。  長者から頼まれた以上、藤四郎としては酒を躊躇するものがあった。  藤四郎が後から入って、そのことを告げると、 「心配には及ばず。やつがれの剣は、酔剣にて候」  酔った方が、剣先が鋭くなるという。  そんな剣があるのか、と訝しんでいると、 「逢坂の関までは、都の内にて候よ」  剣阿弥にそこまで言われては、藤四郎としては断ることもできなかった。  そういえば、長者と呼ばれる、あの臈たけた女性の正体も知りたいという気持ちも動いている。  こうして藤四郎と剣阿弥は、酒をちびりちびり飲みながら、蝉丸社の中で語り合うこととなった。  赤松満佑が自邸に火を掛けて、領国播磨に引き上げたのが十月二十六日の夜中である。  十一月四日には、赤松討伐のため山名氏が出発したが、一色氏が取りやめるなど、他の大名は皆満佑に同情的だった。  藤四郎は藤次から聞いた話を思い出していた。  満佑に同情的な大名たちは、管領を中心に密かに高橋どのに相談したらしい。  相談を受けた高橋どのは、 「拙僧に文を御所さまに届けるように命じて候」  すでによろしくない噂を把握していたのだという。  剣阿弥の届けた文を見た義持は怒り、持貞の弁明も聞かず、切腹を命じたらしい。  そして十三日になって、持貞は切腹、稲田三郎他家臣十名ほども家に火を掛け自害したという。  邸を自焼きする、と聞いても、藤四郎はもう驚かなかった。 「ところで、高橋どのとは、そもそもいかなる人物なのです?」  藤四郎が問うと、 「先の御所さまの側室にて、長者どのの師にてござ候」  剣阿弥がからりと答えた。 「先の御所さまの側室で、祇園の長者どのの師匠……」  藤四郎は後の言葉が続かなかった。  高橋どのは西御所と呼ばれ、義持の父三代将軍足利義満の側室だったという。同時に京流の剣を使う兵法人でもあった。  綾絹はその弟子だが、同時に高橋どのの意を受けて、四代将軍足利義持の側室になるはずだったという。 「しかして、側室にはなれずに候」  剣阿弥はため息をついた。 「なぜなのです?」 「御所さまに拒まれて候よ」  足利義持は、父義満に反発するところが多かったらしい。そのため、父のように多くの側妾を抱えることを嫌ったのではないか、と剣阿弥は言った。  ううむ、と思わず藤四郎は考え込んでしまった。  綾絹は確かにやんごとなき高貴な女性と思ってはいたが、まさか前将軍の側室候補であったとは。 「まあ、側室候補であったのは昔のこと。今は長者どのにて候」  剣阿弥は屈託無く笑った。  だが、側室に上がるはずが、拒まれたことにわだかまりはないのだろうか。 「まあ、それゆえに今の長者どのにて候よ」  藤四郎の問いに剣阿弥はそう答えた。はぐらかされたような感じだが、要するに、側室にはなれなかったが、その代わりに今の富と地位を得たということなのだろうか。  剣阿弥の返答は芳しくない。それ以上聞くのがためらわれて、 「しかしながら、何故にこなたが仇などと」  藤四郎は話題を変えた。  剣阿弥が文を届けたことで公方から切腹を命じられたとしても、文を届けるよう命じたのは高橋どのである。であれば、仇は高橋どのになるはずではないだろうか。  だが隻眼の男は、剣阿弥に向かって、越州どのの仇、とはっきり言ったのである。 「隻眼の男は、何者でござろうか?」 「赤松持貞の家臣稲田三郎にて候」  持貞の忠実な家臣稲田三郎は、持貞邸に火を掛けて自害したことになっている。  確かにいったんは腹を切ったのだが、息が絶える寸前に剣の師浄阿弥に救われたらしい。  それで右目の周りが爛れていたのだ、と改めて納得がいった。  だが、浄阿弥という意外な名前が出て、またも藤四郎はびっくりしてしまった。何と京の町は狭いことか、と思う。  浄阿弥は師伯に当たる人物である。とはいえ、剣阿弥にそんなことは言えなかった。 「知り合いにて候や?」 「いや。聞いたことのある名だと思ったのです」  藤四郎は慌ててごまかした。 「浄阿弥どのは、四条金蓮寺の住持で、四条(国阿)派の剣の遣い手にてござ候。やつがれは、霊山双林寺の者で、双林(一阿)派の者にて候」 「とすると先ほど我らを襲ったのは」 「いかにも。四条派の者どもにて候」  金蓮寺も双林寺も時衆の道場である。同時に京流の剣も伝えているらしい。  両派は仲が良くないらしいのだが、詳しい理由は剣阿弥も知らないという。  仇討ちとはいえ、稲田三郎が四条派の者どもといっしょに剣阿弥を襲ったということは、四条派と双林派の争いが背景にあるのかもしれない。  成り行きとはいえ、藤四郎は師伯の弟子を敵に回してしまった。  困ったことになった、と思っていると、 「いかが候や。急に黙り込んで……」  剣阿弥は怪訝な面持ちである。 「いや。何でもござらぬ。浄阿弥どのといえば、確か念流のはずでは」 「四条派の剣に満足せず、さらに念流を学んだと聞き及び候」  なるほど、と藤四郎は納得した。 「浄阿弥どのは、なかなかの遣い手と聞き及び候よ。やつがれの双林派は、兵法に熱心ではなき候ゆえ、やつがれが、去った後は……」  そこまで言って、剣阿弥の顔が曇った。  どうやら双林派は、後継者に恵まれていないようだ。  時衆としての人気も一阿上人亡き後は、あまりぱっとせず、高橋どのの後援を得てかろうじて命脈を保っている状況だという。  話が暗くなっていきそうだった。  それ以上に夜の帳が深くなって、 「そろそろ寝るか」  どちらからともなく言い出した。  子の刻(午前零時)も近いだろう。  酒の酔いもある。二人がごろんと横になったとき、二人は同時に不穏な気配を確かに感じたのである。 (続く)
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