第二章 二人の女

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   三  都の遊君は、立君(たちぎみ)図子君(ずしぎみ)に大別される。  立君とは夜鷹のように往来で客を引く遊女である。対して図子君は、(つぼね)と呼ばれる家屋で、客と遊ぶ女をいう。  五条東洞院は、一帯が図子君の傾城町である。辺りは夜に入ってからの方が、人の往来が多くなる。  藤四郎が着いたときは、まだ日の入り前で、街の往来はそれほど多くなかった。編み笠で顔を隠した武士がまばらにいるだけである。  一軒の傾城屋の近くまで来たが、経験のない藤四郎が入るには、さすがに敷居が高すぎた。  首を捻って思案しつつ、店の前に佇んだが、中に入る名案は浮かんでこなかった。  店は二階立てで、大きな造りである。奥行きもあるようだ。店の構えからして間違いなく懐にある銭では足りないだろう。 「何をお悩みなんです?」  不意に藤四郎は声をかけられた。  声のした方を振り向くと、明らかに四十を過ぎたと覚しき女が、笑みを湛えながら藤四郎を見つめていた。垂髪に白い布を桂巻にしている。 「旦那さまは、入ろうかどうしようか迷っていらっしゃる」  いや、と藤四郎は慌てて否定した。 「率爾ながら、傾城屋は、旦那さまの入るところではござりませぬ。どうです、わたしどものところで遊んでは」  どうやら別な傾城屋の遣り手婆と思われたが、藤四郎の歯切れは悪い。遊びに来たわけではなく、綾絹に会いにきたのである。 「はっきりしないお侍だねえ。遊びに来たんだろう」  藤四郎が困って、返答に窮していると、 「なら、ここに何を求めて来たんだえ」  遣り手婆は、見下したように言った。 「人を訪ねている」  ようやく藤四郎は言った。遣り手婆に押されてしゃべれなかったのだ。 「ひと? 遊君(ゆうくん)かえ」  遣り手婆の疑問に、藤四郎は覚悟を決めた。 「遊君ではないと思うが、綾絹という女性なのだ」 「あやぎぬ……さま」  遣り手婆は吃驚したように叫んだ。 「お侍さんは、綾絹さまがどのようなお方かご存じなのかえ」 「いや。知らぬ」  藤四郎はあっさりと答えた。 「東洞院の長者で、この地の遊君を統べるお方だよ」 「なに、統べるお方!」  今度は藤四郎が吃驚する番だった。そのときである。 「綾絹を出せ」  叫び声が聞こえた。しかも若い女の声である。 「やれやれ。また来てるよ。あの娘」  遣り手婆が呆れたような声を出した。  見れば十五、六ほどの気の強そうな女が、傾城屋の店先で店の者と覚しき男たちと揉めていた。女は白い水干姿で太刀を佩いた男姿だった。 「何者ですか?」  藤四郎が遣り手婆に問うと、 「長者さまを仇と狙う命知らずな娘さ」  遣り手婆には、やや見下す風な言葉つきだった。 「仇ですか。あのような娘が……」 「ああ。何でも母親の仇らしいというのだがね」  娘の方を見ていると、やがて、店の者たちだろう屈強な男達がぞろぞろと出てきて、娘を取り囲んだ。  その者達に、帰れ、帰れと口々に言われて、娘がついに太刀を抜いた。 「太刀を抜いたが、大丈夫なのか」  藤四郎は見ていてそわそわしてきた。娘一人に屈強な男たちが数人がかりである。 「心配はいらないよ。ああ見えて、娘は兵法を使うからね」 「兵法を。それゆえ水干姿なのか」  藤四郎は、妙な感心をした。水干は男の着る衣装である。同時に、白の水干、緋の袴に立烏帽子は、白拍子という女性の芸能者の姿でもあったが。 「畠山古泉さまの孫娘なのさ」  藤四郎は、畠山という名字に引っかかりを覚えて、 「その畠山古泉どのと畠山駿河守どのとの関係を知らぬか」 「さあ、知らないねえ。ああ、そう言えば、古泉さまと名乗る前が、駿河守さまだったような」  遣り手婆の記憶は曖昧なようだ。  もし、畠山古泉と駿河守が同一人物ならば、娘の使う兵法は念流かもしれない。となれば、娘とは従兄弟(いとこ)弟子ということになる。  藤四郎は、にわかに他人のような気がしなくなってきた。 「でもねえ。勝ちはしないんだが、負けもしないんだよ」  藤四郎は遣り手婆の言う意味がよく分からなかった。  娘は抜いた太刀で店の者たちと渡り合っていたが、よく見ると男たちは、手に手に棒を持っている。  いかに兵法人とはいえ、十五、六の娘に棒を手にした屈強な男が、四、五人がかりである。勝負の帰趨は明らかだった。  やがて男たちに追い立てられて娘は太刀を取り落とし、そのまま棒で殴られている。 「いかん。娘一人に男が大勢とは……」  助けに出ていこうとする藤四郎の背に、 「おやめよ旦那。そうやって殴られて、娘は泣く泣く家に帰るんだから。いつも命までは取られやしないんだよ」  遣り手婆の声が聞こえたが、すでに藤四郎は男たちと娘の間に割って入っていた。  娘を打擲しようとする男の棒を横合いからぐっと掴むと、 「よさぬか。娘一人に手荒な真似は」  男の目を見てはっきりと言った。 「何者だ!」  男たちに動揺の声が走った。だが一瞬の後に、 「この娘の味方だな。容赦するな」  男たちの一人が叫んだときには、藤四郎は男たちを相手に派手な大太刀回りを演じていたのである。  藤四郎が大きな拍手に気づいた時、周りには男たちが伸びていた。傾城町はときならぬ演武に、往来の者たちが、足を止めて眺めていたようだ。 「これはいかん」  藤四郎は慌てて、大丈夫か、と娘に声をかけると、肩を貸して早々に傾城町を後にした。  その一部始終を見ていた者が二人いた。  一人は隣の傾城屋の二階の端から見ていた綾絹である。目に愁いがあった。  そしてもう一人は柳の木に隠れるように見ていた楠木正勝である。こちらは意外な成り行きに戸惑っているように見えた。  傾城屋から遠ざかると、 「離せ。お節介はいらぬ」  娘は邪険に藤四郎を突き放して自ら離れた。  水干は汚れ、手足には痣になっているところもある。だが、さすがに女と言うべきか、顔には大きな傷はなかった。男たちに打擲されつつも顔は守ったのであろう。 「たいした傷はなさそうだな」 「うるさい。黙れ」 「母の仇と言うていたが」 「余計なお節介だ」  娘は藤四郎を警戒しているようである。  藤四郎が改めて娘を見ると、全体丸顔だが、両頬が下に垂れ気味で下唇が突き出ている。何かに強い不満を持っているかのような顔つきだった。まだ幼さを残している。長い髪を後ろで束ねてあった。 「ぬしは何者だ? なぜ余計なことをする」 「もしや畠山古泉どのは、昔、駿河守と言わなんだか。もし、駿河守どのであれば、我が師と相弟子の間柄ということになる。同門とあっては放ってもおけまい」  藤四郎は自らの名を名乗った後でからりと言った。 「では、念流か?」  藤四郎が肯くと、娘はにわかに親しさを見せ始めた。 「わたしの名は千里。駿河守とは、お祖父さまが、昔奉公衆をしていたときの官名に間違いない。こなたのことを知っておいでか」 「分からぬ。たぶん知らぬと思うが」  藤四郎は二月ほど前に鎌倉から京に上ってきたばかりだと告げた。 「ならば、わたしの家に来い。お祖父さまも喜ぶであろう。わたしに兵法も教えて欲しい」  千里の申し出に藤四郎はしばらく逡巡した後、 「駿河守どのにご挨拶申し上げよう。案内してくれ」  千里に兵法を教えるかどうかは別にして、いつかは訪ねようと思っていたところである。ここで千里に会ったのも何かの縁だろう、と藤四郎は思った。  よし、と小さく肯いた時には、もう千里は先に立って歩き出していた。 (続く)
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